枠の外

10月の中旬は、秋の高山祭り、そしてノーベル賞の発表がある時期が重なってやってくる、という印象が強い季節です。去年も今年も高山祭りは平日だったので、行けませんでしたが、ノーベル賞の発表はいつものようにやってきます。発表の時間になると、インターネットのwww.nobel.seサイトは途端に繋がり難くなります。

 今回は、医学生理学賞、物理学賞、化学賞、どれも興味を惹かれるものばかりでしたね。物理学賞の小柴さんのニュートリノ検出のカミオカンデは、まあ、大方の予想もあり驚くほどではありませんでしたが、化学賞の田中耕一さんには仰天させられましたよ。

 94年ごろ私の前の職場に島津のTOF/MSKratos)を導入した時に、田中さんにはお会いして説明を聞いたり、そのあと実験を始めてMatrixとして加える酸の量をどうするかなど条件を電話で相談したりした記憶がまだあったので、他人事とは思われませんでした。しばらく絶句して当時の様子を思い起こしていました。元同僚にもメールで確認したり、当時営業についてきて説明してくれた技術者がノーベル化学賞取ったんだぜっ!という驚きを分かち合いました。それにしても、こういう計測技術の優れた工夫の発表を見逃さず賞の選考に挙げていた目利きの方には(日本にもいらっしゃいます)感激というか、感謝というか、…。田中さん、おめでとうございます(ここで書いてもしょうがないのですけど、一応気持ちだけ)、これからの人生大きく変わっちゃうので大変でしょうけど…。島津の御同僚たち・営業マン・トップの戦略・推薦した某先生の成果として、是非皆で喜びを分かち合ってください!

 今まで色々「枠の外」の悲哀を味わっていた日本人の研究者・技術者は(今回の医学生理学賞のアポトーシス関連の研究者にもその思いを抱いている方は多いことでしょう!)「天晴れ!」と思っていいと思いますね。ただ、ノーベル賞を人生の最高の目的と考えて派手な仕事をしている研究者に対しては、厳しい(小気味良い)アンチテーゼとして働くかもしれませんが。

 ところで、他人事の研究ではなかったので、その「枠の外」にも思いをはせる必要があると思うのは、この分野の研究者・技術者としてはフェアなことでしょう。

 MALDI関連では、ドイツのKarasHillenkampのグループとの競合が良く知られたことで、現在の状況を考えると、そのドイツのグループが化学賞を取っても少しもおかしくはない状況だと思います。顕著な論文で比較すると以下のような順番(早い順)で発表がなされていました。

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1.Karas, M.; Bachmann, D.; Hillenkamp, F., Anal. Chem., 1985, 57, 2935

2.Karas, M.; Bachmann, D.; Bahr, U.; Hillenkamp, F., Int. J. Mass Spectrom. Ion Proc., 1987, 78, 53

3.Tanaka, K.; Waki, H.; Ido, Y.; Akita, S.; Yoshida, Y.; Yoshida, T., Rapid Commun. Mass Spectrom., 1988, 2, 151

4.Karas, M.; Hillenkamp, F., Anal. Chem., 1988, 60, 2299 (上より3ヶ月ほど遅いがここで大きな蛋白の分析の報告をした)

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Hillenkampのグループは今ではMALDI/TOF-MSでは大御所的存在ですが、生体分子のレーザーイオン化法を元々開発・改良したのは彼らであると考えてよいと思います。ただノーベル財団の資料にもあるように彼らは87年ごろまではまだ大きな蛋白質のイオン化には成功していなかった。それを田中さんたちは分子量10万ぐらいの大きな蛋白質の分子イオンを作り出すことに成功した。それはMatrix(グリセリンとコバルト)の工夫だった。だから、MALDI関連で誰にプライオリティをやるか(化学賞を出すか)判断する時に、生体分子のレーザーイオン化法を考え出したドイツのグループか、その方法を使いながらも大きな蛋白質のイオン化の条件を工夫した島津のグループか、絶対迷ったはずだと思いますね。普通ならば、原理を考え出したところに与えて、工夫して感度を上げたところは2番手と考えるのが順当ではないか、と思うのですが、どうでしょう?

それを今回は、Matrixを改良した島津グループに与えた背景には、現在のポストゲノム=プロテオームにおけるMALDI/TOF-MSの貢献を考えると「大きな蛋白を測れるようにした」点を第1に持ってきたかった、というメッセージがあるのではないかと思います。それと、もう一つは、HillenkampKarasの2人を選んだとしたら、今回の受賞では4人になってしまうのでこれも避けたいという配慮が働いたのではないか、ということです。これらはまったく政治的な配慮という事になります。

 この辺は、私の下衆の勘ぐりですが、ドイツのグループのコメントも聞きたいところです。これまで「枠の外」の悲哀を見てきた日本国民の一人としては…。

#「枠の外」といっても以前の(シュートで枠をよく外す)日本サッカーのことではありません…。



  これらの文章を書いてから、10月13日付の朝日新聞にはドイツのグループとの競合についてふれている文章が載っているのに気付きました。Hillenkampらの88年の論文は投稿時期は若干早かったが、87年の田中さんらの国際会議の英文抄録を読んで参考にした、という内容と、田中さんがHillenkampらとの共同受賞でなかった事は残念だ、と言っていたという旨の紹介記事でした。この後半の田中さんのお気持ちはよく分かりますし、正直なところを吐露されているのはさすがだな、と思います。たぶん事情をよく分かっている田中さんにしてみれば「もらっちゃっていいのぉ?」というような感じでしょうから、ワイドショー並みに引っ張り出されるのは不本意でしょうし嫌でしょう。でも、もう後戻りできないのだから、腹を決めて今後は「技術者の星」として色々政府や企業トップに意見を言ってもらって、全技術者のためになるような政策なり企業内方針が進められて改善されると良いですね。

 

 さて、次は何でしょうかねぇ? ゲノム解析のときもポストゲノムでもMSNMRと並んで、今でもよく使われているのは、「キャピラリー電気泳動」ですよね。実は、これも日本人が1983年発表したのが最初じゃないか、と思うのですが(Dr.K.Yagi;久しぶりで表舞台へ?)。そのあとは、アメリカが覇権を握っていますが。(来年も面白いことになるかも。)

 

02.10.14