追悼の気持ちで溢れる師走

 11 月下旬にいつもの皆様宛てに喪中の葉書を出しました。5月に父が亡くなったからですが、この行事の前後に多くの知り合いの訃報が届くことになりました。 10月初旬のアップルのジョブズ氏のことは前回書きましたが、今回はあまりに身近な方たちばかりだったので、少し気が滅入って、11月下旬の雑記更新を すっかり失念してしまうほどでした。(他にもいろいろ忙しいことがあったからというのもありましたが・・・)
 いまや日本人の男性の平均寿命は79歳ぐらいですから、80歳以下で亡くなるというのはかなり若くして亡くなったという印象しかありません。
  まず、11月中旬に亡くなられたOY先生は、私の大学院生時代に大変お世話になった方で、今でもミトコンドリアの授業でP. ミッチェルさんを紹介する時に並んで写っているOY先生の写真(神戸でやった国際会議での)を学生に見せてご紹介しています。アメリカから帰って大分医大 に着任するときもOY先生のお力添えがありました。大分にいた時も時々OY先生の研究室(京大医学部)を訪問させていただき、自前で作成された光ファイ バー式の拡散反射分光光度計を使って指先の血管の酸素化ヘモグロビンの濃度を測れるということを自慢気に話されて、実演して下さったことを、今でも懐かし く思い出されます。今から20年以上も前の話ですので、まだ日本では珍しかったパルスオキシメータの原型です。定年で引退されてからも、最近までブログを 継続され、結構人気のブロガーとして発信されていました。10年ぐらい前に神戸での学会の折に、OY先生のご自宅を訪問させていただいた時も、大きなゆっ たりとしたソファーに座られて、趣味のパソコンを使った声楽の練習をされている様子をご紹介いただきました。今でもOY先生のブログの中で、声楽の練習成 果である歌唱や一絃琴の練習成果を聴くことができますし、ブログは生前の記憶を残すりっぱな装置として働いています。私もあと4年ほどでこの雑記も、この サーバでの記録は終了するでしょうが、別の自分のブログにコピーし、生かしていこうかなと思っています。絆の継続装置であるブログ、ちょっと見直しまし た。ツイッターやFacebookやLinkedIn全盛の現在でも、ブログは一味違います。
 また、そのOY先生の後輩で、私の大分医大時代に大変お世話になったYT先生に連絡したら、OY先生だけでなく、同時代の同門の先生方お二人が今年、やはり他界されたことを聞きました。皆さん70歳代でした。
  そして9日、そろそろ雑記を更新しようかと思っていたら、家にまた新しい喪中の葉書が来ていました。ご主人を亡くした奥様からの葉書です。それはTM 先生の訃報を伝えるもので、今年の8月、北京の大学で学術指導に当たられていた途中、北京の病院で急逝されたことが書かれていました。ネットで調べて見ま したら、心筋梗塞で亡くなられたとありました。68歳の若さでした。北大を定年で退官されたあと、NIRSを使った脳測定装置の開発などで北京に活動の場 を移されて、活き活きと活躍されていると思っていました。大学院の時お世話になった講座の先輩でもあるTM先生のことは、医用工学の授業でも光CTに関連 して話していました。TM先生とはこれまでも学会などでお会い していましたが、数年前に、阪大で同門の会があった時も、TM先生も参加されていて、北京での活動の様子を話されて、北京の学生と日本の学生の違いなどを 熱心に語って頂きました。相変わらずお元気ですね、などと喋った記憶があり、心筋梗塞で68歳で亡くなるなどとは微塵も考えられませんでした。中国での食 事や単身赴任のストレスがTM先生の体には悪かったのか、などと考えてしまいます。

 今年、2011年は東日本大震災があり、2万人近くが犠牲になりました。ということは、数十万人の人たちが親戚・知人を亡くして、追悼の気持ちを抱えて年末を迎えているということです。
 そして現在も、これからも、多くの人が原発事故の影響で苦しみを抱えています。今年の師走はたくさんの追悼の気持ちを抱え、走りまわる、そういう12月にならざるを得ません。

(2011.12.10)