それぞれの年の瀬


 今年2002年もあと十数時間。慌ただしかった12月も、仕事納めを過ぎると少しは過去を振り返ってみようという気になります。なぜか今年は、教務厚生の仕事でうちの学科は例年になく気を遣う仕事が多く降りかかった1年でした。問題を起こした学生はどんな気持ちでこの年の瀬を迎えているのかな。しっかりとやる気を出して、失敗をバネにして学生生活を乗り切って欲しいものですね。

 今年の前期は、特にネット大学コンソーシアムの運用では、実働的にはさほどでもなかったのですが初めてという事もあって結構気を遣ったイベントでした。来年も私たちが若干お世話をして面白いネット授業ができるようにしていく予定です。しかし、気がかりなこともあります。それは、このコンソーシアムにしても、普段のルーチンの授業という形式をとった教育にしても、その内容・評価が問われる時代ですので、授業をやる方は色々考えて工夫して行っても、それが受講者に効果的に伝わっているのか、という問題がいつも起こります。これは教育が、情報の発信と受信の仕組みに依存するからです。如何に素晴らしい情報が発信されたとしても、それを受信する機能が劣っていたり受信機の電源がONになっていなければ、情報は有効には伝達されません。即ち、教育は、少なくとも情報の優れた発信器(教師と教育方法)とそれを有効に受信できる受信器(学生の技量、熱心さ等)と受信者の将来の力になるべき優れた情報自体(講義内容)の3者の協力が合って初めて、良いものかどうかという評価が下されるべきでしょう。

 如何に最先端の科学に関して、とても重要な講義が面白く為されたとしても、多くの受講者の受信器には巧く捉えきれなかった、などということはよく起こりえます。これなどは、言うなれば発信器の波長と受信器の波長が合わずにかなりの信号をロスした事と同じです。共鳴が起こらなければ、情報は伝わらないわけです。しかし、中には下手な講義のやり方でも、ごく少数の者の「琴線に触れて」意図した事以上に伝わった、などという事もあり得ます。冗談のつもりでほんのちょっと言った事が、聞くものの印象に深く残って講義全体の意図を把握するのに役に立った等という事もあります。こういう意味では、発信者は色んな波長の情報を出さないと、ピンからキリまで性能の違う受信器を持った、より多くの受信者には伝わりにくい事になります。

 一番理想的なのは、受信器が自動的に様々な波長の情報を多重受信できるようにマルチなアンテナを出せるように、自ら能力を拡大する事です。ま、普通の言葉で言えば結局、やる気、ということですよ、これが引き出せれば8割がた教育の目的は達せられたと思って良いと思います。ただ、この「やる気」ってやつは、受信器の履歴や環境からの雑音などにも大いに影響されるので、一様にはいかないので大変なわけですな。自然研究より困難な事業です、教育ってものは。。。

 そういう多様な人たちが、それぞれの年の瀬を迎えている事でしょう。



 来年2003年は、4月7日に「鉄腕アトム」が生まれた(ことになっている)記念すべき年だそうで(未来を過去形で言うのは変な話ですが)、それでなくても、最近も「未来」を扱った映画や書物が溢れていますね。それはそれで楽しいし面白いですし、それ以上に考えさせられるものが多いですね。最近見た映画、スピルバーグの「マイノリティレポート」は、そんな考えさせられたものの一つです。ちょっと後味悪かったですけどね。未来の予言というカルト的な内容と犯罪予防という現実的な問題を扱っていたわけですが、最後の最後で「自分の未来は自分で決めろ」というところがこの映画のポイントだったのでしょう。この問題は、遺伝子診断による病気の予防・対処方法の「予言」とだぶらせて考えてしまいました。人間の脳は、かなり先の事まで予想しようとする癖のある装置です。ただ、考えておかないといけないのは、未来の事は「確率的にしか決まらない」ということではないかな、と思います。これも一つの考え方に過ぎませんが、特に複雑なシステムを抱えている人間などの生体はそうであろうと思います。ある遺伝子に変異があったものがその人である病気(例えばガン)になるのは「ある確率」で起こりやすい、ということです。ある一人の人にとって見れば、これから10年後に癌にかかるか、かからないか、は100%か0%かということなのですが、多くの人でみれば「確率的にしか決まって」いません。非常に単純な単細胞では、この確率は100%か0%かにかなり近く、はっきりと判断できるものもあるかもしれませんが、高度に複雑な多細胞系ではそんなに単純にはいかない事が多いでしょう。

 この映画、そのような主題とは別に、DreamWorksの映画らしく、ディテールが面白いですね。特に私には、車とその走り方には興味をそそられました。出てきた車、先日テレビで見たGM社のコンセプトカーにそっくりだったように思います。(実際はトヨタレクサスのコンセプトカーらしいのですが、サイト情報によると・・)映画の中で車やコンピュータや電子機器は素晴らしく進んでいるのに、「風邪一つろくに直せやしない」とぼやく主役の一人の言葉や家々の造りや冷蔵庫などが殆ど現在のと変わっていないというあたりも、スピルバーグ流の皮肉が読みとれます。

 鉄腕アトムから話はだいぶそれましたが、未来の技術の予想では、やはり立場によって様々な評価がでてきます。バイオ技術にしてもそうですね。信憑性はともかく、人クローンの話も先日、やはり出るべくして出てきました。だから技術は人が生み出したものである以上、人自身がコントロールして未来の人間や環境に災禍がないようにしないといけない責務があるわけです。秘密裏に封印するのではなく、公開してガラス張りの中で技術的社会的に監視しコントロールするのです。(#ただし、この「オロカな人間ども」がどの程度巧くコントロールできるのかは、ケセラ・セラです。)



 さて、最近ニュースにちょっとしか出ませんでしたが(新聞にも出ていないし)、ゲノム解析の中で周期性解析というのがありますが、それをみんなのパソコンの力を借りてやろうというプロジェクトが日本からできています。

 http://www2.cellcomputing.jp/project/021203_01.aspx

 で様子はみれます。私も試しに参加していますが、どれくらい広がっているのか、よくしりませんが、色々データが送られてきて、ADSLでつながっている私の家のパソコンは少しづつ解析をこなして、やりとりしているようです。結果が2次元の綺麗なドット模様ででてくるので結構面白いですよ。

 こういうのは、何万人か、何十万人かが参加しないと意味がないと思うので、ここで私も宣伝しておきます(大して効果は無いとは思いますが)。このような最新の技術が各家庭に入ってきて参加させていく、というのも、将来の技術の有り様を示唆してして、面白いと思いますし、「監視して」いきたいと思います。



 ちょっと書き忘れていましたが、最初の方に書いた「教育論」は、最近読んだ森博嗣氏の小説「そして二人だけになった」(新潮文庫)の一部に書かれていた事に触発されて思って、書いたものです。ここ暫く彼の小説から遠ざかっていましたが、また読みたくなってふと本屋で目にして買って読んだのですが、それにしてもまたまた捻りを効かせすぎだなぁ。相対論を入れるのは良いとしても、多重人格やスキゾフレニアを取り入れたのはやりすぎじゃないのかなぁ。謎解きのおもしろさが無くなっちゃうじゃないか、って文句言ってもしゃーないか。今でも彼の小説の中で「すべてがFになる」がやはり一番面白かったよ、素直に言って。

  それから、今年は12月の「みそぎ祭り」があった土曜日に、知的クラスタ関連の会議に急遽招集されたために、その祭りを見る事ができませんでした。それで、今年のケガレがミソガレ無かった気がしてちょっぴり残念です。来年は大丈夫かなぁ、日本と世界は・・・。

 

2002.12.31