遠くなりにけり

 「明治は遠くなりにけり」という言葉がありますが(中村草田男の俳 句「降る雪や明治は遠くなりにけり」 より)、たった1週間前に終わった北京オリンピッ クも、その加油の熱気が凄まじかっただけに、「北京は遠くな りにけり」という言葉が浮かんできました(豪 雨の夜 北京は遠く なりにけり・・・早斗)。
 なぜ、大正ではなく、明治は遠くなりにけり、なのかといえば、やは り江戸から明治、そして日清日露の戦争を経て作り上げてきた 日本という国が、凄まじい熱気を帯びた時代だったからに相違ありません。
 熱気を帯びていないと、10年前のこともつい先日のことのような「まだ近くにありけり」という感覚があるように思います。熱気があった青年時代は、やは りその意味で「遠くなりにけり」なんでしょうな。
 もう今となっては、昔のことのようですが、8月8日に始まった北京オリンピックでは悲喜交々でした。開会式や閉会式では、雨雲をミサイルを爆破させて消 滅させていたとか。これは、豪雨のようなすごい雨をもたらす雲にも適用できるのでしょうか。日本ではやらないでしょうけど。八に大変こだわった北京オリン ピックでしたが、見栄え、というか、バーチャルにもこだわった演出だったらしく、中華民族の長い歴史をしっかりとアピールした開会式であり、閉会式でし た。

 4年前のアテネオリンピックでは、旗手を務めた井上康生選手の敗北が大変印象に残りました。今回は、やはり旗手を務めた鈴木桂治選手が1勝もできず敗北 しました。井上選手の時もそうでしたが、まさか、まさかまさか、でした。あの足技が全然出てこない。 やはり体調の問題だったのでしょう。これも含めて、かなり期待が裏切られた競技が多かった気がします。でも、フェンシングのように全然期待していなかった ところで、銀メダルをとったり、といったこともありました。競泳での北島選手たちの活躍、柔道での金メダリストの胸のすく活躍、ソフトボールでの女子の活 躍、などなど、いろんな感動を貰いました。超人たちの活躍は、やはり素晴らしいものです。一方、超人たちとは言いながら、やはり人間ですから不調やけがは つきものです。それにしても、準備だけに数年を費やし、たった1日のための努力が、直前に故障し出れなくなった選手も結構いたわけですが、その無念さは想 像を超えるものでしょう。
 このような大会のテレビ放送のおかげで、お盆休み期間は全然退屈することなく過ごせました。

 そのお盆休みに入る直前の11日と12日に、「理科離れを防ぐ 理科実験講座」 を試行的に、物理、生物、化学、地学、について、現役の小中学校の先生方と、単位にはならないけど学部の1,2年生に対して行いました。10人ぐらいの参 加でしたが、それなりに良い経験をしました。僕は生物の実験を担当しましたが、予定した実験の一部は時間がなくなり、最後までやれなかったものもありまし た。90分で3つの実験をみんなが体験しながら実験をする、というのは時間的には結構厳しいものでした。実験は、唾液によるデンプンの分解をヨードデンプ ン反応で観察すること、呼気中には炭酸ガスがあり石灰水で検出できること、植物の葉では光合成によってデンプンができること、これら3つの実験を体験する ということでやってもらいました。この中で、僕が印象に残ったのは、小学校の先生で文系の先生でしたが、呼気を石灰水に吹き込むとうっすらと白濁するのを みて、「これって本当に炭酸ガスで濁っているのでしょうか、呼気に入っているほかの 変なものが入って濁っているだけではないのでしょうか」、という疑問を出してくれたことでした。
 たぶん、今の標準的な学生さんならば、教科書的に、というか、教えどおりに「炭酸ガスは炭酸カルシウムに変わり溶けにくくなって白濁する」というのが示 されれば、それで「はい、お終い。うまくいってよかったね。」と思うのでしょう。でも、科学の実験で大事なのは、その小学校の文系の先生が抱いた疑問、本当にそれは炭酸ガスのせいなのか、ということを抱くこと、 なのだと思います。実験では、実際には時間がないので、濁りは炭酸カルシウムなのだ、という証明をすることはできませんが、それを証明するにはどんな実験 が必要なのか、ということを議論する時間が大事なのだろう、と思います。今回は、全体では時間がなく、議論はできませんでしたが、そのような「素朴な疑 問」というのが、科学にはすごく大事なのだ、ということを改めて思った講座でした。

 この「理科実験講座」は、小学校の教科書に出ているような、いわば初歩的な実験をしたのですが、であっても生物を使った科学実験にはやはり違いないので あって、厳密に論理的に進めるにはかなり、奥の深い実験と知識が必要になります。その実験講座のときには言えませんでしたが、まさに「温」ということが、このような初歩的な体験実験にはぴったりくる言葉で す。「温」(初歩をたずねて、先端を知る)ということではないかな、と 思った次第です。なにせ、ヨードデンプン反応は、「ナノチューブに入ったヨード分子の非線形的な光学現象」なのですから。

 最近、文科省も大学・大学院生に対して、初等理科教育の補助を担えるような人材の育成を目指す事業を始めるというアナウンスが新聞に出ていまし た。これは、非常に大事なことになると思っています。ポスドクの行き先として、企業やアカデミックポストだけではなく、未来の人材の育成に関与できる仕事 もそれに加われば、かなりの人数が必要とされるようになるため、ポスドク問題の解消にも役に立つでしょう。これは、文科省だけの、国レベルだけの問題では なく、地方の教育行政の問題でもあります。ですから、県や市などが積極的にかかわれる方策になっていってほしいと思います。
 アカデミックなポストでも、補助的なポストを設置して、その未来の人材の育成事業と併用すれば、かなり良い方向にまわって行きそうな感じがしています。 僕も昔に(30年くらい前)ポスドクを経験しましたが、それは 遠くなりにけり  ですが、実は今もまだ新しいIssueです。

 医療の問題と、教育の問題は、根が深く重い問題を含んでいますが、医療は医師だけの問題にしな いで、また教育は学校の先生だけの問題にしないで、それをうまく補助する人材とのコラボレーション、社会との共同作業によってしか、解決できないと思って いますから、そのような補助する人材の育成と制度化は、財政難でも削ってほしくないものです。

(2008.08.31)