透明な仕分けの時代

 この11月の話題は、なんと言っても中旬から始まり2週間ほど行われた、国の事業仕分けでしょう。事業仕分け自体はだいぶ前から地方自治体において行われて(ネット中継はありませんでしたが)いましたが、国の事業においては初めてのことでした。
  今回は、全事業の15%ほどが対象になっていたようです。これまでであれば各省庁の官僚と財務省との間で秘密裏に行われていた仕分け作業が、民間の人や政 治家が仕分け人となり、公開の場で、それもインターネットでの中継もあり誰でも世界中の人が視聴できる形で行われた、ということは、ある意味、革命的なこ とであったと思います。その内容や、結果に関しては、賛否両論があり、特に基礎的科学技術に関する事業の仕分けの結果には、大きな議論が巻き起こりまし た。政権が交代してまだ4ヶ月ぐらいしかたっていないのに、これまで何十年と続いてきた方向性とやり方にざっくりと、公開のもとで切り込まれていったので すから、激しい反発が起こるのは当然でしょう。お金に関わることですし、生活も掛かっていることですから。
 ただ、考えてみれば、これまでのやり 方でも財務省段階で提案予算の3割カットなどというのは当たり前でしたから、今回のパブリックな仕分けでも3分の1カットなどということも多かったと思い ますが、これはこれまでとさほど変わっているとは思いません。申請するほうも、3割カットを前提に申請することが多かったわけですから、たいしたダメージ ではないでしょう。
 Nature誌のEditorialでも、「Transparency(透明性) and public involvement(一般公開)」 が政策の決定の過程に取り入れられたということに対しては、今までの日本ではなかったとポジティブに捉えているようです。僕もこの2週間ほどは、授業や会 議や実験の合間にネット中継をなるべく広く視聴してみて、その面白さ、特にいろんな仕分け人たちの、優しそうな声で鋭く役人を問い詰める様子や、どすの効 いた関西弁であいまいなところに切り込んでいく様子の面白さに魅せられて、会議の時間を忘れて聴き入ってしまうこともありました。主には科学技術関連や大 学・教育関係予算の事業仕分けを聴いていましたが、厳しい質問に自分だったらどのように答えるだろうか、と考え込んでしまうことも多々ありました。
  この仕分け作業に対しては、所属する学会だけでなく、ノーベル賞・フィールズ賞受賞者からの緊急声明への賛同署名の要請や、学内の理事などからも文科省へ のメール送信の要請など、ブログを含め科学技術関連の世界で大きなリアクションが起こりました。このようなリアクションは、当然であって、黙っていてはそ れこそこの国の科学技術は危ういことを世界に表明していることになります。同時に、このリアクションは、科学技術政策の一部に対して(全部にではありません)パブリックな目線で鋭く切り込まれ、それでいいのかと喉元に剣を突きつけられたような、そんな厳しさを感じたからに他なりません。こ の仕分け作業は、一種の提言であり、最終決定では当然無いので、これからの政治的決定がなされるとしても、その過程がやはり「Transparent」で ないと、これまでの努力がそれこそ無駄になってしまいます。この再見直しの過程では、特に政治家と色んな科学者技術者との真剣な議論の場が、再度設けられ ることが必要ではないか、と思っています。
 注意深く聴いた仕分けの議論の一つに、大学の運営費交付金の在り方がありました。毎年1%ずつ減らさ れていっているその交付金は、いわば大学での研究と教育の基盤的な予算です。そのため、本部や学部での各教室に回ってくる予算からの吸い上げも多くなり、 末端の教室では必要経費の半分以上は外部資金に頼らざるを得なくなっていますので、フィールズ賞受賞者である森重文教授の言にもあったように、大事な研究の芽は運営費交付金によって生まれることが多い、 という指摘を待つまでも無く、最近の研究の多くに「独創的根本的な面白さ」が少なくなっていると感じるのはそのせいかもしれません。この事業仕分けに関し ては、大学の運営費交付金の重要性の意見が多く出され、運営費交付金については縮減にはならず、見直し、さらに大学の独法化も含めた見直しが決まったこと には、少し安堵いたしました。今後の動きが注目です。

 また、若手関係の予算や理科教育支援の予算が縮減あるいは廃止と決まったことに対しては、その重要性は認識しつつもそれらに対する対案が政府から示されていない現在では、残念というしかありません。
  当面の飯の種、という矮小な議論を超えて、もっと根本的な制度改革、教員養成や大学教育の制度などの根本的な見直しを、一方では行っていかないと、それに 対しては長年の問題の解決に繋がりません。将来の科学技術政策と人材の育成について、総括的に議論し政策を決定できるような制度と機関、アメリカのNSF やフランスのCNRSのような科学者研究者中心の機関を、今の総合科学技術会議などを大きく見直し新しく創り出すような、本質的な制度の転換が必要な時代 なのだ、と思います。

 もう一つ、注目されたのは所謂次世代スパコン予 算の大幅縮減という仕分け結果でした。僕もそうですが、一般に科学技術の研究をしている研究者の多くは、スーパーコンピュータを使って仕事をしているわけ ではなくても、将来の科学技術の発展にとってスーパーコンピュータ技術の発展は不可欠であると考えること自体には、賛成するでしょう。この仕分け結果に対 して理研理事長をはじめ色んな科学者集団が反発したのは、もちろん理解できますが、仕分けの時の議論で出てきた貴重な意見をまったく無視して政治的に今 後、単純に復活させることには疑問があります。とにかく「世界で一番のスパコンを作りたい」という理由を述べていた文科省の役人にも語彙の貧弱さに大いに がっかりしたのですが、仕分け人たちの皮肉に満ちた鋭い質問に対して、要するに担当役人はちゃんと説明責任を果たすことができなかったために、このような 結果になったのだろうと思います。
 ここで問われたのは、今の日本で、次世代スパコンとして1200億円もの予算をつぎ込む事に、どんな意味があ るのか、ということでした。最近では、4000万円足らずであの地球シミュレータを超えるスパコンのプロセッサシステム(市販のGPU=画像処理装置を組 み合わせて使って)を長崎大学の助教の方が作ってしまったという報道もありました。3000分の1の予算でできたのです。これは、超並列性を実現するためのソフトウェア開発のたまものです。世界の流れは、もっと安いIntelなどのプロセッサを組み合わせ、もっと高速にそして安価に計算できるスパコンを、多くの研究者に提供するということです。それなのに、世界ではほとんど使われていないF社のSparc(Top500の スパコンの中で2社のみ)だけを使って10ペタフロップスのスパコン(ペタコン)を作るということに、今後の日本の科学技術の将来を託していいのか、とい うことが問われているのだと思います。理研ではもう建物の建築が始まっているとしても、ここは見直しがあっても国益に沿うので、良いのではないでしょうか。国威発 揚のための戦艦大和のような旗艦スパコンよりも、もっと多くの企業ベンダーが参加できて安価に様々な分野の研究者に提供できる超並列型のシステムを作って いくという方針のほうが実現性は高く、日本のソフトウェア技術の進展とスパコン技術やベンダーの開発能力の進展のために重要ではないか、と思います。その方がTop10以内を維持できる可能性は高いでしょう。弱体 化した日本のベンダーの多くが頑張れるような政策でないと、意味がありません。いくら基礎科学の重要性を認めたとしても、金に糸目を付けずに「戦艦大和級 スパコン」に投資できるほど、日本には余裕は無いはずです。その無駄さ加減が分かってしまった現在では・・・。
 こういう点を、次の政治的復活の中でしっかりと議論していって、さらにその過程を公開してほしいと思います。

(2009.11.30)