桜も散って
全国的には、今年は結構長いこと綺麗な桜が見ることができたらしい。冬の厳しさが解けて、短い期間に咲く桜は、人々に様々な情感を生み出す。そうこうし
ているうちに新学期が始まり、新しい顔ぶれを前にルーチンの仕事が開始される。そして、いつの間にか、桜は散って、薄ピンクの情景は濃い緑に変わってき
た。
4月初旬、春まだ早い奈良、山之辺の聖林寺で桜の固い蕾に囲まれ
て、麗しい十一面観音様を観てきた。だいぶ昔から、いつか見てみたいと思っていた立像で、「日本のミロのビーナス」などと称せられるだけのことはあって、えもいわれぬ妖艶な感じが造形の細部から
匂い立つようであった。
室生寺もまだひっそりとしており、一部咲きといった感じの桜で、観に来た人もまばらで、静けさだけが漂っていた。
その後、1週間ほどして桜は見ごろを迎えたらしい。あとちょっとで春を迎えるという、古寺の佇まいも、大変穏やかで好いものである。
17世紀のイギリスの詩人G.Herbertは、「花」という詩の中で、
「・・・花に会えた喜びは勿論のこと、過ぎ去った冬の寒さを思えば、その喜びはさらに深まるのです。・・・・、花たちは身をすり寄せ、厳しい冬の間、よそ
目には死んだように見えながらも、ひっそりと生きのびてゆくのです。・・・・、主は、私たちが人知れずそっと朽ちてゆく花であることを、教えておられま
す。私たちが、このことを心の底深く悟るとき、主は私たちの住むべき楽園を与え給うのです。そして、自らの力を恃み、さらに高きを望むものは、傲慢に災いされ、その楽園を失うこと
を、私たちに教えておられるのです!」
と述べて、花の忍耐と一瞬だけ晴天を目指す様と、人間の傲慢さを対比させて、救われる喜びと神から疎外された苦しみを詠っている。春の桜の美しさを見る
というのは、一瞬の救われる喜びを感じることと同じではないのかな、と思う。
そして、花は散る。こんなことを書いているときに、忘れかけていたあの○江氏が保釈されて出てきたということを、マスコミが相変わらず五月蝿く書き立て
ている。まさに、傲慢に災いされた人、だったと思う。
さあて、色んな心配事が多い平成18年度が始まったが、着実に歩むのみ。
(2006.04.29)