おくりびとへの共感
毎年恒例の、嵐のように忙しい2月もようやく終わり、一段落つきました。
今年は、この2月の日にちと曜日の関係が、来月3月のものと同じなので、3月のある会議の日程変更の通知を、2月のものと勘違いして、何人かの方にご迷惑をおかけしたりしました。気分的に余裕のない月でした。
この2月は、
修士論文発表審査、、入試業務、卒業論文発表審査、などなど、いつものように、大学から去っていく人たちと、次にやってく
る人たちに向けた、儀式、ともいえる業務があります。去り行く人々が残していったものを確認するのが、発表審査会。かなり実験量豊富に卒業研究や修士の仕
事を進めたものもいれば、研究量が相当足りなくても、様式に従って、一定の「美しい」形式に仕上げて、限られた時間内に、みんなの前で発表する、という儀
式。この形式は、研究教育を進める上で、やはり大事です。これは、 いわば、1~2年の間に紡いだ人生の一こまを表す文章に、日本語で言えば、句点を付ける作業といえるかもしれません。○を付けて、区切りとすること。実に多様な人生を歩むであろう人々の、ごくごく小さな人生の一部分をあらわす一文に、句点を付けて美しい文章にするのが、我々教員と審査会の役割であると、思えます。
こんなことを思っていると、自分が「おくりびと」になった気分になるわけで、我々は、送り出される人々を句点を付けて送り出す、「おくりびと」であるわけです。まあ、あのアカデミー賞受賞の快挙をよろこぶあまり、こんな発想から入ってみました。
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月下旬、アメリカでのアカデミー賞外国語映画部門で、他の優秀な映画を差し置いて、滝田監督、本木氏主演の「おくりびと」
(Departures)がオス
カーを獲得しました。旅立つものたちを、一定の様式に従って美しく、納棺するという人たちの物語ですが、山形庄内平野の自然の美しさと厳しさと、チェロの
音楽の
美しさ、その中で様々な人々の死というものを美に昇華させて行く作業は、我々を感動させずにはおきませんでした。僕も昨年9月公開後だいぶ後に観ました。
そのときは観客は僕たちのような中年以降の方々が多かったように思います。それにしても、このもの凄く日本的な、死との向き合い方の映画が、世
界に理解された、というのは、大変な驚きですが、これはまた、今の世界の精神状況を反映しているのかもしれません。特にアメリカでの評価ですから、現在の
未曾有の経済的社会的危機がもたらしている人々の精神状況が、投影されていないわけはありません。
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日の報道では、アメリカのシティバンクがアメリカ政府による公的管理下におかれることになった、と言われていました。相当な公的資金を注入しても、結局こう
いうことになってしまうほど、危機的状況であるということでしょう。地球的進化の中での恐竜の時代が終わろうしているような、そんな印象をもちます。恐竜
が退場し、新しい小さな哺乳類の時代が始まり、バックには美しいチェロのメロディーが流れる、そんな映画的イメージが浮かびます。精神状況としては、哀し
みの中で最後の最後での癒しを熱望するような感じでしょうか。この「おくりびと」のバックに流れる曲は、主題はチェロがメロディーを作っていたと思います
し、一方で山形交響楽団の第九の演奏もありました。映画の中ではブラームスのコンチェルトだと思いましたが、実に美しいメロディーが流れていました。ブ
ラームスは、哀しみを表現するのには、もっとも適した作曲家であると思います。
あと3月下旬の卒業式までは、なんとか考える時間が取れて、自分の時間が持てそうです。
(2009.02.28)