ネトレプコ讃歌


 もう1年以上、サラマンカホールで音楽を聴いていません。研究教育や学会などの活動で、次から次へといろんな仕事が舞い込んで、ホールに足を運んで音楽 に浸るという精神的余裕が無くなったためでしょうか。ホールからは時々コンサートのアナウンスが送られてきますし、魅力的な新人の演奏や歌声を聴いてみた いという感情は湧きますが、なかなかチケットを取って会場に足を運ぶまではいきません。特に、最近は、土曜日も日曜日も仕事で出かけないといけない日が多 くあります。

 そんななかで、先日あるテレビで夜やっていた、ソプラノ歌手アンナ・ネトレプコの特集をたまたま見た時に、その歌声と演技と容姿に、魂を引っ張られた、 というか、魅了されてしまいまして、音楽をまた聴きたいという感情が復活してきました。早速アマゾンでネトレプコ主演の「椿姫(La Traviata)」のCDを手に入れ、時間があれば聴き入ってい ます。よくぞこの豊潤なる感情と時間を復活させてくれた、ネトレプコとそのオペラに感謝です。

 ネトレプコの歌声の魅力は、高音は言うに及ばず、中音域から低音域におけるその音声のピュア度、清浄さ、膨らみ、繊細さ、そして強さではないかな、と思 います。まだDVDや生でオペラ自体を観ていないので、演技も素晴らしいという評価はわかりませんが、テレビでちょっとだけ紹介していた演技は、おなじく ロシア人でテニスプレーヤーのシャラポワの体の華奢さとプレーの力強さのアンバランスの魅力、を彷彿とさせました。

 あるインタビュー記事で(ここ)、 彼女自身が自分の声の魅力について

「澄んでいることね。オーケストラの響きも突き抜ける。」

 
と語っています。なるほど、と思いますね。オーケストラの音に負けないで、ストレートに耳に飛び込んできますよ、彼女の歌声は。低音域でもね。
 彼女はマリア・カラスの再来、とか言われているようです。もう天才、というしかないでしょう、思っていましたら、そのインタビュー記事の中で、次のよう にも語っています。

「私は天賦の才能の持ち主ではないの。でも、生まれつきの才能の持ち主が偉大な歌手になることはほとんどない。自分の声とのつきあい方を学ばないせ い で、すぐにだめにしちゃうの。わたしが学んでいたときにトップだった人たちは、みんな舞台から消えていった。」

 そうかぁ、あの声は努力のたまものだったんだ。でも、この言葉の意味するところは、深いですね。オペラ歌手だけの話ではないと思います。スポー ツ選手にも言えるでしょうし、研究者の世界でも言えるのかもしれない。

 こんなことも語っています。

「自分が完璧な歌手だと思ったことはありません。私はいつも進化しているし、自分の声に新しい特徴を与えようといつも努力しています。」

 でもだれでも努力だけであんなになることはできないでしょう。できたらみんなアンナのようになってしまうし。努力してあのように進化できる、と いうのが天才たる所以です。

 世界中のオペラファンが熱狂しているという理由がわかります。
 
 こんなことを書いている暇があったら彼女のオペラを聴いていたほうがいいですので、これくらいで切り上げます。

(2007.06.30)