名のみの春

 春は名のみの風の寒さや、などと嘯きたくなるような、寒い日の多い不安定な気候の4月でした。
 もうすぐ5月の連休で、その頃にはだいぶ暖かくなりそうですが、思い通り、期待通りにはいかないことが多いものです。春は、期待の春でもあるのですが。。。

  「名のみの」ということを出してみると、この言葉は今や色んなところでも使えそうです。名のみの連立政権、名のみの独立法人、名のみの事業仕分け、名のみ の科学技術立国、、、などが口を衝いて出ます。今回、またまた「事業仕分け」第2弾が4月下旬から始まりました。前回、第1弾の心の高ぶりとは違って、今 回のは、どうせ鋭く仕分け評価をしても政府判断でまた復活するんだろう、などと嘯きたくなるような感じで、あまり期待感が持てませんでした。ただ、今回は 数社が映像を配信してくれて、映像もなかなか表情がよく捉えられている、できの良いものが配信されていました。その点は進歩だと思います。ツイッターもど きのつぶやきもリアルタイムで配信されていて、面白いのもあるのですが、多くは聴くのにじゃまになるだけの単なるノイズのつぶやきが多かったのは、まあ残 念でしたが、でも許容範囲でしょう。一番気になったのは、JST(科学技術振興機構)がどのように応募事業を選んでいるのか、その適正さ、というか目利 きの力量に対する評価でした。ここでの「とりまとめコメント」は、次のようなものでした。

日 本学術振興会との違いとして、当該機構は国の戦略に則って目利きがものを見つけて花を開かせるということだったが、全般的にここの団体がどうかというより も、国が戦略性をもっていない、それが十分に省を通じて独法に下りてきていない、総合科学技術会議と文科省と独法との関係が全く整理されていない。さらに 言えば、総合科学技術会議自体が機能を果たしていないというのが共通の問題点であり、それがクリアされていないため、独法の運営自体が国の戦略性とのリン クが乏しくなっているようにみえる。前回の事業仕分けにおいても科学や研究について仕分けをしたことについて、政府の中から科学技術を軽んずるなとの大き な批判を受けたが、あえて仕分けの範疇を超えて言うと、我々としてはそうい う声を上げている方々自体が総合科学技術会議の中でしっかりとした方針を示しきれていないということが問題であると考えている。仕分けのコメントとして は、この法人をどうするかということを大きく越えるが、総合科学技術会議自体から抜本的に見直すことから考えないと物事は始まらない。結論として、総合科 学技術会議のあり方を中心に科学技術政策を抜本的見直し、としたい。

 このようにJST自体への評価というよ り、国家戦略としてどうか、とか、「総合科学技術会議自体の機能」への疑問が主に出されていました。科学技術の国家戦略をどのように立てていくのか、どこ で議論し決定すべきなのか、というところが一番の問題であるわけで、日本にも米国のNIH、NSFや、仏国のINRA、INSERMなどと同等のしっかり した組織を作っていくのが先決だと思っていましたから、このような仕分けのコメントにあるような科学技術政策の抜本的見直し、という結論には大きく頷きた いところです。

 今回は、仕分けの方々も相当慎重に話をしていたという印象で、以前あったような「なぜ2番じゃダメなの」といった問題に なりそうなコメントもなく、かなり鋭いツッコミもあまり感じられず、少し引きすぎた印象でした。仕分け対象となった機関の方々はほっとされたことでしょ う。

 このような動きや大学内での教育研究とは別に、この4月で一番神経を使ってしまったのは、ある学会誌の編集の仕事でした。名のみの 「編集長」であるばかりに、編集作業だけでなく、エラー処理や、JSTのJ-Stageという論文データベースへの学会誌の論文内容のアップロード作業が あり、初めてのことなので時間がかかりました。小さな学会誌でも作業は結構あり、実質的な編集作業すべて編集長がこなさないといけない、という家内労働体 制にため息がでました。
 まあ、あと1、2回こなせば、作業にも慣れてきて、スムースに行くようになるとは思いますが、このような作業をしている 編集長は、他の学会誌でも多いのでしょうね、きっと。先日、北澤理事長(JST)は、J-Stageに参加している学会誌は500を超えたと自慢されてい ましたが、その背後にはこのようなかなりの作業を、本来の仕事の合間にこなさねばならない編集委員が多数いる、ということに想いを馳せることができまし た。


(2010.04.30)