まだ復活の光が見えない四月
どんなことがあっても時は流れていく。たんたんと・・・。
3・11から50日が過ぎましたが、被災地復興も、避難者の仮設住宅への入居も、原発事故の収束も、遅々として、一向に先の光の見えない時間ばかり過ぎて
いく、という感じが続いています。さらに、再び大きな余震や津波が起こるのではないか、という不安もあり、ゴールデンウィークに入っても動き回って休日を
楽しむという雰囲気になかなかなりません。
還暦を過ぎる前後から、アレルギーが強く出るようになり、左目が涙目になる機会が多くなり、鼻炎の調
子も良くありませんでした。そして、3・11の大震災の報道が流れるたび、行方不明になった子供を探す家族の映像が流れるたびに、被災者の、避難者の、深い嘆
きが伝わり、かなり涙もろくなったせいか、アレルギーのせいかは分かりませんが、涙があふれるのを止めることができません。
3月初めに5月の連
休の過ごし方を考えたのですが、その時4月28日から数日かけて車で福島まで行こうと思っていました。ところが震災と余震と原発事故が起こり、4月の初め
には宿泊予定にしていたホテルにキャンセルの連絡を入れ、その小旅行はすべて止めることにしました。ただ行っても復興の邪魔になるだけだと思いましたの
で。そして、その後、福島の実家のある伊達市の中にも、小学校の校庭が放射線物質で結構汚染されているところがある、という報道があり、校庭の土の上層を
はがし取って汚染除去の活動もなされているようです。これらのように、広い福島県のほぼ半分ぐらいが放射線物質汚染の不安にさらされています。たぶんこの
不安なこころは、現場の人たちでないとなかなか理解できないことかもしれません。特に子供たちへの影響を考えると、年間被ばく量1ミリシーベルトを超えて
いる校庭が少なからずあるので(最近の報道にあるように政府の基準が年間20ミリシーベルトにしたというのはいくらなんでも高すぎます)、その影響が20年後、30年後どう現われてくるのか、未知ですから、不安な世界です。この不安さは、やはり復興の足かせになっている
とは思います。
それでも日本中で、世界からも、チャリティーコンサートや東日本支援のイベントがたくさん催され、至る所にがんばれ日本!がんば
れFukushima、が溢れているので、だんだん復興も加速していくことでしょう。でも、どのように?復興会議でもまだその明確な道筋が明らかにされて
いるわけではありません。そこが心配なところです。もっと心配な第一原発のこともあります。
原発事故の収束に関しては、一応工程表は東電から発表されはしました。信じていない人は多いとは思いますが。しかし、「神は超えられる試練のみを与える」(JIN
仁 より)としたら、現在の福島の、東日本の、そして日本全体の試練はいつか必ず克服されるはずです。そして、克服された東日本はどのようになっているの
か?それは、5年後か、10年後か。自分が今の大学を退官するころにも、まだ復興は道半ばでしょうから、その後の生き方を考える上で、どうしてもその地域
復興への貢献は避けることはできないでしょう。
(2011.05.01)