祭りのあと

 先週末、愛・地球博を見てきました。3月末に開始されましたから、2ヶ月近くになっています。5月のGW時はさすがに多く、1日15万人近く入った日も あったようで、GW過ぎた週末は空いているだろう、という甘い予想は見事に裏切られ、先週土曜日で13万人をはるかに超える人波になりました。それでも朝 8時前に家を出て、東海環状道路を使ってかなり空いている道を行けたお陰で、9時には藤岡のシャトル駐車場に着くことが出来ました。その後は、さすがに混 雑でしたが、10時過ぎには会場に入れました。それからは、もうお祭りですから、ハイテンションな一日で、「世界一周して」家に帰り着いたのは夜9時ご ろ。
 考えて見ると、日本ではこれまで4度の博覧会(70年大阪、75年沖縄(特別:海洋博)、85年筑波(特別:科学博)、90年大阪(園芸博))あったよ うですが、僕は一度も参加していないのです。70年には学生で京都にいましたが、なぜか見たいと思わなかったし混雑が嫌いだったので行かなかった。このよ うなお祭りごとは、あまり好きな性分ではないのか、それほどわれ先に、という感じにはなりません。2000年に岐阜に来てからは、地元の祭以外では高山の 春祭りぐらいですね、勇んで行ったのは。。。あとは、どちらかといえば祭のピークをはずして、祭の後の余韻を楽しむかのような時期に行くことが多かったように思います。大分 にいたときも、山の湖の近くであった「花菖蒲祭」も、花の散った後に行くことが多かったな・・・。それでも、花の散った後でも「日常的な自然」は必ずあるのであって、それが我々の五感を楽しませてくれまし た。
 万博は、「公衆の教育を主たる目 的とする催しであって」と博覧会条約に謳われておるように(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/hakurankai/banpaku.html ; 外務省のHP)、もともと教育が目的のお祭なんですね。各国の人々が成し遂げてきたことや展望を、広く人々に知らせること。確かにそれはそれで良いとは、 思います。以前にもこの万博に対する批判があったと思いますが、現代のように簡単に世界の情報が取れて、世界旅行も気軽に行けるようになっているときに、 そのような目的のために一箇所に人を集める必要があるのか、とは思っていたし、それもテロ警戒まであって入りづらくしているのにも拘らず、でありますよ ね。(私達が現在使っている小型の赤外分析装置のようなものが置かれ ていて、不審な粉や液体があったら直ぐに分析できる体制にもなっているのだそうですよ。このような先進技術こそ公開したらいいのに、こういうのは知られて おりませんね)
 今回は、人気パビには行かず、できるだけ空いているところだけを狙って回ってきましたから、80日間ならぬ「8時間世界一周」を成し遂げ、それなりの肉体的な疲労も味わって、不思議なこと に、一種の達成感を感じておりました。家族のものもそのようでした。結局、実際にエジプトやアフリカに旅行に出かけたとしても、雰囲気は全然違うだろうけ れども、お土産に買ってくるものはパビリオンの売店で売っていた各国の民芸品や実演販売していた繊維製品などとほぼ同じものなんですよね。そういう意味 で、各国の空港売店を模擬体験している感じ。そのとき買ったサイの一刀彫みたいな彫り物(1500円)も、なかなか良かった。現在、紛争の真っ只中にいる ような小国からの出店もあって、それなりにアピールしているわけです。アフリカのマリでも、見事な歌を響かせていました。マリのカセ・マデの音楽、懐かし い。日本語も英語も通じない人も店の番をしているし。身振り手振りで値段の交渉している人もいる。素晴らしい民俗音楽を演奏してくれて、ついつい手を挙げ てそのCD買いたいと名乗り出た家内もいた。ある中東の国では、値段交渉が決裂して嫌われてしまったものもいる。まあ、このような生身の人間同士のコミュ ニケーションが、実は教育なんですね。そう思いました。
 もう、くらくらするような美しい映像や、ロボットには、激しく感動することがなくなった自分でも、各国の体温を感じる生身なコミュニケーションの意外性には、やはり感じ入ることがあり ます。



 お祭といえば、何か理由をつけて家族でやるイベントも祭で すし、地元の夏祭り、花火大会も祭ですし、我々の業界の年1回の学会も祭、ではあります。人と人とのコミュニケーションの場、としての祭。週1回とか月に 1,2回という、学術雑誌の発行も、いわば「祭の記録」です。しか も、それは人類の知的財産としての、「知と熱の記録」です。
 その財産を、皆が参照して、新しい技術を開発し世のため人のためになる、こともある。そうなるためには、皆が確かめる。多くの人に確認されて、初めて生 きた力になる。しかし、大部分は真実ではあっても、ただの紙切れではあるし、真実には程遠い内容のもあるにはある。ただ、それは検証可能であり、検証され るようにならなければ、ただの紙切れである。
 こんなことを書くのは、またも起こったある有名な医学部研究者学生の論文捏 造事件があったから。昔から外国でも何度も起こっているが、僕が始めて知った事件は、70年代の終わり頃、僕がアメリカに留学中にさるニューヨーク州の有 名大学での著名な研究室で起こったものだった。J.Biol.Chem.誌に連発した「画期的な」仕事をしたポスドクが、実は捏造していた、それも著名な ボスの目をごまかすほどの内容で。しかし、その後、誰も再現できなかったことから、内容があまりにも「画期的」であったため、調査され捏造が明らかにされ たという。最近の事件では、画像処理ソフトが捏造に使われたようだが、昔はそれはなかった。だから、昔からスペクトル分析分野では、機械の吐き出す生デー タを出すことが求められることもあった。そういう意味で、最近では「学部学生でも」捏造が可能になっている。ますます元の生データを保存しておくことの重 要さがわかる。
 それにしてもだ。論文は検証されるためにある、という初歩的なことの認識が不足していたのではないか。しばらく前からだが、若い医学系のポスドクなど も、CNSとか言って「Cell,Nature,Sicence誌以外は無用」などと恥ずかしげも無く言っているように、IF高いJournalに載せて しまえば勝ち、みたいな風土がおかしいのである。載せてからの検証が重要なのだから。普通、若い学生院生が面白いデータを出したら、他の人にもやってみ ろ、とまずは独立にやらせて、裏を取るだろうよ。あるいは、ホントかよ、と間をおいて先生自ら、あるいは立ち会ってチェックするか、だな。僕らが若いころ はそのようにされたこともあった。小さな雑誌に載った論文だって、残っていくデータはちゃんと残って引用されていく。BigJournalで華やいでいる 発表でも、オリジナルをたどると最初は小さくても堅実なJournalに載った仕事がきっかけ、というのが結構あるのだから、名前じゃなくて、内容の重さ を大事にしようぜ。
 捏造してしまった学生の意識は、実はあのJR西日本で事故を起こした運転士の意識状態と似ていたのではないか?「ダイヤの正確さ至上主義」や「CNS信 者」のようないわれの無い原理主義みたいなものが功名心を煽りプレッシャーになり、批判的な検証を重視し他との交流・コミュニケーションによる確認こそ大 事である という科学発表の基本のことを、忘れさせてしまったのかも。
 「祭」のあとにこそ、その真価が問われる。良ければ、引き継がれて いく。悪ければ、くずになるだけ。

#気が付いたら、この雑記、50号ではないですか!一応区切 りには良い数字ですが、これも発展途上ということで、いつもと同じ、でした。

(2005.05.22)