教養教育の捉え方

先日、工学部での「教養教育」の位置付け が、ある委員会で議論になりました。それでちょっと自分なりに考えてみたくなりましたので、メモ代わりに書いておきます。

 これからの工学部での教育活動の方針策定に大きな影響を及ぼすことが考えられている日本技術者教育認定機構(JABEE)では、 教養教育をどのように考えているのでしょうか?

 下に引用した、JABEEで考えられている教育目標の (a)と(b)および(f)が、その「教養教育」に対応するのかもしれませんが、特に(f)の言語能力は教養というよりは専門教育も含め実践的にも重要なので、 (a)(b) が本来の教養教育の位置付けということでしょう。

--

基準 1 学習・教育目標

(a) 地球的視点から多面的に物事を考える能力とその素養

(b) 技術が社会および自然に及ぼす影響・効果に関する理解力や責任など、技術者と

して社会に対する責任を自覚する能力(技術者倫理

(中略)

(f) 日本語による論理的な記述力、口頭発表力、討議などのコミュニケーション能力

および国際的に通用するコミュニケーション基礎能力

(後略)

--

 要するに、多面的な思考力と素養、および倫理観 、というのがJABEE の考える「教養教育」の目指すもの、ということになるかもしれません。抽象的にはそれで納得できると思いますが、では、具体的にはどのような科目での教養教育が必要か、どのような形態での教育が必要なのか、というのが問題になります。

 また、文科省は、平成13年10月10日付けで、「 新しい時代における教養教育の在り方について(骨子案)」という提案を示しています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo1/gijiroku/011001a.htm
(ここでは、大学教育も含め、教養教育のあり方などを具体的にカリキュラムづくり等も提案しているようです。そして、「これからの大学の生き残りには、教養教育の抜本的充実が不可避の課題」という捉え方をしています。たぶん、この大学でも近いうちにその提案を検討していくことになるでしょう。そこでは、「学生の価値観の形成を目的とした科目や知的好奇心を喚起する科目」の設置を具体的に示しているようです。今はまだこの提案への評価は出さないでおきます。)

 さて、自分の学生時代はどうだったかな、と考えると、私の場合 196970 年ごろの所謂「大学紛争」の中での「教養教育」でしたから、今のような「まともな」教養教育は受けてなかったかもしれません。そのかわり、自主ゼミ活動とか、「正規の授業」以外の活動が活発で(というか、それしかなかったから)、それらは今でいうところの「チュートリアル教育」の原型だったのではないか、と思える節もあり、多面的な思考方法だけはしっかり学べた(?)ような気がします。

 当時の正規の授業での「倫理学」や「心理学」「政治学」など教養科目も、ある程度は受けはしましたが、残念ながら印象に残っている内容はごくわずかです。だからといって、無駄だったというつもりはありません。自分の印象をすべてに押し付けてはいけませんから。だいたい、これら大学で学ぶ「教養科目」からよりも、実際はそれ以後の生活で、印刷メディアや放送や映画や現場体験など広範な社会生活により学ぶ「教養」の内容のほうが圧倒的に多いわけですから、せいぜい20時間程度の授業から得る「教養」の割合は、(それを専門とするものでない限りは)すごく小さいに決まっています。中には、稀にすごく記憶に残る1シーンもあるかもしれませんが。。。(私の場合、マスプロ授業だったという記憶だけが強いもので、ちょっと情けないですが。)

 考えてみると、これら教養教育の記憶とは、所謂手続き記憶(Procedual Memory)と呼ばれる、体で覚えるような、どんな記憶だと「陳述的に」表現することの困難な記憶じゃないかという気がします。あの、自転車乗り の記憶が、どのような手順で乗り方を覚えられるようになったか、を明確に表現できないように、です。ですから、いい年をこいた大人に、「あなたの教養教育はどうでしたか?」と聞いても、「あんまり覚えてないなぁ。」ということになって、短絡的にあんな教養教育は「役に立っていない」という話が昔出てきたんじゃないか、と思うわけです。

 最近は、ふたたび、「教養教育」を重視せよ、という話が強く出ています。私などは、上のような考えをもっていますから、「自分から」学ぶ方が重要だと思っているわけですが、最近の学生さんは、多くはどうもそうではないらしい。どうも、授業で「与えられた」ものだけをこなすのに精一杯で、それ以外では学ぼうとしない。ほんとに、そうなのか、そんな学生が多くなっているのか、私にはあまり確たる証拠は見えませんが、それでもやはり、ちゃんと教えないと全然判っていない(非常識な)学生が多く社会に出てきて困る、という社会的風潮があるのは認めざるを得ません。だから、昔、「教養部」を解体・改組しておきながら、現在ではまた、教養教育は重要なんだ、ということで何らかの対応を迫られています。

 どんな教養教育が良いかを我々が考える時に、昔の価値観を押し付けないで多様なメニューを選べるように設定してあげる、というのが最低必要なことではないかな、と思います。素養としての様々な知識は授業でも効率的に学ぶことはできます。ただ、それでも授業では十分な知識を与えることはできませんし、本人が学び思考するためのほんの きっかけを与えているにすぎないと思いますね。また、さらに「思考力」となると、これは授業というよりも、私の場合、自分で図書館などに通って真剣に考えることによって学んだり、友人や先生や他人との議論・ディベートを通して学んだのではないかな、と感じます。ですから、「多面的な思考力」を伸ばすのが教養教育の目標の第 1だとすると、今の授業形態でそれが達成できるか、というところが問題になるところでしょう。

 ただ、現在医学部などで提案されている「チュートリアル」教育がいいのか、というと、それは別問題です。規模と内容の問題が出てきます。私は、今の共通教育で 2030 名以下の学生を相手にするならば、かなり「チュートリアル的な」教育は可能なような気がしますが、 50 名以上になると不可能でしょう。現実には、ジャンル別個別・自然科学系の61科目のうち、登録者学生数が 30名以下の科目は、約 40%あります。このような、適度な受講者数の授業では、「思考力」を重視した教育プログラムを工夫して作ってみる価値はあるかもしれませんし、うまくやればできるでしょう。

 科目の設定では、現代的な問題を扱うテーマを持ってくると興味が湧いてくる学生も多いと思います。それで、新聞記事にどのようなキーワードで記事が出現しているかを測ることで、現代的なテーマの一部が炙り出されるかもしれませんので、調べてみました。

表1.

毎日新聞過去 2年間の記事のキーワードの出現回数

2585

情報

1503

環境

1048

985

852

技術

664

630

科学

515

509

精神

454

災害

445

生命

341

統計

333

328

化学

306

270

遺伝子

260

心臓

251

宇宙

230

血液

228

動物

215

地球

185

がん

180

細胞

152

肝臓

111

医学

107

皮膚

107

神経

92

83

植物

80

血管

61

筋肉

51

数学

32

物理

32

微生物

29

アルツハイマー

24

大腸

 

この表は、この右側のキーワード(思いつくままに出したもの)に関係した記事の出現回数で、「毎日インタラクティブ」のサイトで検索させてもらったものです。ダントツに「情報」や「環境」の問題が出ているのは、うなずけるでしょう。それに続いて、「心」「脳」「精神」の問題が「技術」や「科学」のキーワードと同じ程度に出現しているのは興味深いことです。特に、脳は「臓器の一つ」としては異常に高いスコアになっています。脳死臓器移植や狂牛病など、脳に関係した社会的話題が最近も多いということを示しています。(この中で「光」には「観光」なども入っているので高スコアになっているようですので、純水に物理的な「光」だけのことではありません)

 私の担当している「脳と化学」では、工学部、農学部、医学部だけでなく教育学部(文系)からの受講生もあるので、化学的な側面だけでなく、こころの発達や精神の捉え方など現代的な側面も話すようにしています。これは、図らずも、社会的に高い関心事のひとつを対象にした話になっていたようです。現在の授業でも、討論などを取り入れたりしていますが、来年度からは、もう少し議論・討論の部分を増やして「学生の思考の回路」を詳しく分析してみるようなことをやってみようかな、と思っています。そして、学生には「なんかおもろいことやった気がする」という「記憶」を持ってもらえれば、成功じゃないかな、と。。。

(2001.12.1)