風のように
2006年もあと3日。岐阜に来て7回目の正月を迎えます。時間が風のように流れていく感覚を覚えます。もちろん戻りはないのですが、ゆるやかだったり、突風だったり、といった感覚。年末のこの一週間は、かなりゆったりと流れています。会議が重なっているような時は、「嵐のような」という表現を使います。
先週末23日には、「緑の風」を感じに近くの長良川球技場メドウに行ってきました。実に7年ぶりのサッカー観戦でした。99年の、大分トリニータ(現J1;今年8位)がJ2でやっていたころで、J1昇格がかかった山形との一戦を、大分市営陸上競技場に行って観たのでした。その時は、山形との引き分けに終り、あと一歩の所でJ1昇格を逃したゲームだったのですが、一万七千名以上を集め満員の市陸での、後に「舞鶴橋の悲劇」として語られるようになった「歴史的な」試合でした。その辺りから、J1の試合だけではなく、J2も含め、一生懸命なサッカーの試合を観るのが趣味になっていました。それで、岐阜に移ってから、地元の応援し甲斐のあるチームがない(名古屋にはあるけど)のを若干不満に思っていたところ、昨年あたりから「FC岐阜」が少しずつ意識に昇ってきて、そして23日のJFL昇格を賭けた最後の試合が地元であるという幸運に遭遇したのです。それで、また「あの風の感覚に触れたくなって」メドウに行ったのでした。観客は3000人ほど集まりましたが、それでもう一杯。J2の下のクラスへの昇格、という試合ですから、あまり人数は期待できないのですが、それなりの面白さはありました。試合は、まあ、ほとんど最初から決まっていたようなもので、手に汗握るというような面白さは無かったのですが、どちらのチームも一生懸命さは伝わってきました。終わってみれば、FC岐阜の4−1での圧勝でした。最後の最後で1点返されたのは、まあ集中も切れていて、遠く宮崎からご苦労さんというお土産点と、理解します。でもホンダロックもFWやMFは動きが良く、けっこうはらはらもしましたが、いかんせん守備がザル状態(素人目にも)でしたから負けるのはしょうがない。
テレビで観戦するより、スタジアムから見るほうがやはり広い視野で選手の動きを追えるし、色んな声が聞こえてきて面白い。FC岐阜は、戦力からは勝って当然の戦い方ではありましたが、J2以上の力を感じる数人以外は、まだまだ動きが遅いし当たりも弱い。でも、楽しみなチームが地元に出来て、またはらはらするでしょうけど、来年からが面白そうです。
今年の冬は、結構暖かく、外で風を感じてスポーツを楽しむには良い気候です。僕は競馬の趣味はないですが、先日のディープインパクトの走りは、みんな「風のようだ」と表現するように、軽々と障害を乗り越えていけるような、ワンランク上の走りでした。岐阜では実業団の女子駅伝が恒例になって、先日行われましたが、例のQちゃんも「風になって走る」という表現を使いますね。「風のよう」という表現は、「走る」こととつながります。サッカーも走る競技ですから、「風を感じる」ことができます。
昔から、「正義の味方」は、「疾風(はやて)のように現れて、疾風のように去っていく」ので、一般的には風には良いイメージがあるのです。しかし、今年は強すぎる風もあって、局所的におこる風速90mなどという竜巻が、日本でもおこりましたね(北海道佐呂間)。映像で観ると、まさに家も木っ端微塵になっていましたので、すさまじい力が発生したのがわかりました。
今年は、僕の周りでは春から夏にかけては、学会大会の開催という、まことに台風のような風が吹き荒れたわけですが、それが過ぎてからも10月、11月と後処理という「ふきっかえし」が続きました。税務署にも行かざるを得なくなりましたし、結構ノンアカデミックな勉強をさせられました。その苦労の甲斐もあってか、12月初めには、岐阜・名古屋地区でお世話になった方たちで懇話会を催し、じっくりと研究発表も聞けて、これも結構勉強に(アカデミックな方)なりました。忘年会代わりにもなりましたし、来年もやれるといいのですけど・・・。
さて、来年はこの周りや、世界にはどんな風が吹くやら…。穏やかな風が吹いて欲しいとは思いますが、そうもいかんでしょうな。風は映像などのバーチャルでは感じられないもので、実際に生きた身体の皮膚が感じるもの。来年もまた、色んな学生さんや人々が運んでくれる風を、真剣に肌で感じていきたいと思います。
(2006.12.28)