辛卯の年初め

 2011年、今年に入って1月は寒い日が続いているという印象です。この印象は、この1月の気温の平年との差をみるとより明らかでしょう。特に、西日本 でだいぶ気温が低いようです。(→下図)温度差
特に積雪。日本海側の積雪は例年になく多いようです。
も ちろん、長い期間でみると温暖化の傾向は続いているのでしょうから、60年前の辛卯の冬がどうだかはわかりませんが、そのあたりの年 で今以上に寒かった冬もあったに違いありません。確かに私の小さな頃はもっと雪が多かった気がします。でも、今年の冬の積雪の多さは、世界的なもののよう で、アメリカ東海岸の積雪も相当なもののようです。
 ラニーニャ現象というものが原因と考えられて、一応説明もできているようですが、そのもとになる現象がなぜ起きたのか、ということに関しては(本当はそ れが知りたいわけですが)さっぱりわかりませんし、説明しているものを見たことがありません。地球環境のゆらぎとしか、言いようがない。
  この岐阜では、17日が大雪でした。何年か前にもこれくらの雪は降って、車での通勤は避け、20分ほど雪道を歩いてバス停まで行って、遅れてきたバスで 行った覚えがありますが、今回もそんなもので、数十セン チぐらいの積雪だったでしょうか、バスは若干の遅れで運行できる程度の降雪でした。それで、教養の授業が朝1限目からあったので、8時ごろバスで着いて、これぐ らいだったら 授業もやっていいだろう、と考えて授業の準備をして、定刻通り8時50分に教室に入りました。事務の方から、1/3ぐらいしか来ていませんよ、ということ を言われましたが、実際には半分ほどいたので、授業を始めました。ところが、授業を開始して15分ほどして事務の方が来られて、全学共通の授業は休講にな りました、と連絡が入りました。岐阜市内のバスは動いていたのですが、JRや名鉄のほうが動いていなかったようで、名古屋や遠方から通っている学生は岐阜 に来るのは困難だったようです。それでも、授業を始めてしまったし、半分以上学生は来ていたので、そのまま授業を続け最後までやりました。しかし、来れな かった学生のために最後の週 に補講的に、同じような内容も加えて授業を行うことにしました。この雪のために休講にしたのは、全学共通教育と工学部だけでした。休講の掲示連絡を見て、 せっかく大学に来ても教室 には来ずに途中で帰って行った学生も何人かいたようです。
 このように、半分以上の学生が参加できているときでも、不可抗力で来れない学生が何割かいた場合休講措置をするのは、やむを得ないことかもしれません。 しかし、せっかく努力をして参加してくれた学生も半分以上いるわけだから、授業自体はやって、欠席した学生には欠席処理はしないことにすれば済むことで しょう。補講的な授業もするわけだから、学生には何の不利にもなりません。
 と、ここまで書いてきて、休講措置のときに授業をやったことを詳しく述べていることを、ばからしくなってきました。ま、全体として緊急の判断をする(休 講措置をとるかどうか)のは難しい、ことを言いたかったのですが、授業担当としては大して難しいことではなかったことも言っておきたかっただけです。昔の雪 国ではかんじきを履きながら数キロの雪道を歩いて通っていた小学校の生徒のことを思い浮かべていました。今の甘い環境にいる大学生にそんな努力を望むのが 間違いなのだとは思います。
 雪の日の一コマでした。

 この1月は、終りのほうになっていろんなことが社会的に起こってきました。日本国債の格付けがAA-に引き下げられたこと、鳥インフルエンザに感染した 鶏が全国的にたくさん見つかったこと、特に宮崎県では口蹄疫問題に続いて鶏の鳥Flu感染の問題でまたもや大打撃を受けていること(さらに新燃岳の噴火で火山 灰噴石被害も宮崎に、泣きっ面にハチ、じゃなく火山灰・・・)、海流の流れが変わって寒ブリが豊漁らしいこととか、エジプトでは反政府デモが盛り上がって いることとか、目まぐるしく起こっています。
 そんななか、1月30日午前2時すぎにもたらされたサッカーアジア杯での「ドーハの歓喜」は 印象深いものでした。ザッケローニ監督の下、苦しみぬいて掴んだ日本代表の優勝。あのオーストラリアを1-0で延長戦の末下して勝利した日。押されっぱなし で自分たちのサッカーができていない中、延長戦で交代した李選手が放った素晴らしいボレーシュートがネットに吸い込まれると、真夜中ながら夫婦で大歓声を 挙げてしまいました。これからW杯に向けて、さらなる活躍が楽しみです。
 明日1月31日は私にとっては還暦の日ですが、1951年の1月31日は水曜日で下弦の月だったらしい。その時の天気はどんなだったか、調べてみました がよくわかりませんでした。ただ、カナダ・ケベック州では氷点下35度になったらしく、デュプレシス橋という高速道路用の橋が寒さのため崩壊した、ということがあったようです。ですから、日本でも恐らくかなり寒かったのでしょう。その60年後の明日の1月31日も、雪の舞う寒い日のようです。

(2011.01.30)