物憂げな違和感


 9月から10月下旬にかけて、ほぼ2週間ごとに学会やらシンポジュウムやら会議やらが多くあって、落ち着いて考える余裕が無いうちに、いつの間にか秋が深まっていました。11月初めには大学祭があって、キャンパスはなにやらまた浮かれた感じが漂っています。あちこち出掛けて、色んな人にあって、それなりの昂揚感を感じていましたが、それらの行事が一段落して、元の日常に戻ると、なにか物憂げな秋を強く感じるようになります。でも、まだまだ仕事はたまっていて、やることも結構あるのですが、まったりとした気分を感じています。「秋深し ・・・」という時期は、鬱症状が増えるという話も聞きますが、鬱とは違う物憂げさ、なり。

 そんななかで、先日は東京証券取引所のコンピュータシステムの障害で数時間も市場が混乱した、というニュースを聞きました。昔にも、銀行合併での時に、似たような障害のニュースがありました。全部ソフトウェアがらみの障害のようでした。新聞を読むとどうもソフトを変更したあと(F社)検証が行われないまま、現場で実行されたようでした。
 他にも、ATS列車速度制御装置でも、ソフト的な不具合があったらしく、ちゃんと制限速度を超えても制御がかからなかったらしい。ある識者は、新聞に「ソフト技術者が足りない」「高度なコンピュータ技術者が少ない」などと、人材的な問題を指摘していましたが、確かにいくらインドから技術者を呼んできても、全体のネットワークを見れる人たちが少ないのでしょう。でも再び事故が起こる前に気がついて良かった(<なんて言っている場合か!)。
 しかし、問題はもっと単純で、かならず検証してみる、もしダメならすぐ改良する、というごく当たり前のプロセスが、踏まれていないことではないでしょうか。市場の場合は、このような一時的な擾乱は、さほど大きくはならず、すぐ収まるものでしょうが、それにしても、科学技術立国を唱えてきたわが国の基本的なところに、実に違和感を覚えます。ちょっとちゃうんじゃねーの、どうしちゃったのよ、日本!という感じ。
 7日には東京山手線で、電線の張りを作っている重しがはずれただけで5時間もストップする事故がおきたそうな。こんな長時間影響するようなトラブルじゃないような気がするのですが、これも素人目にはすごく違和感を感じます。

 今のこういう物憂げな季節だから、余計に違和感が増幅されておるような・・・。



 9月、福岡であった学会で、BSEやプリオン病に関するシンポジュウムがありました。専門の方の説得力あるお話で、一番印象深かったのは、日本人のプリオン蛋白の性質は、西洋人と比べて異常プリオンの感染にかかりやすい性質になっているんだとか。以前に、ちょっとだけイギリスに渡った経験のある人が、vCJDで亡くなったという記事がありましたが、本当に日本人の持っているプリオン蛋白は、感染しやすいのだそうな。
 こういう背景を知った後に、また政治優先で「アメリカ産牛肉の早期の輸入再開」が決められようとしている、というニュースが出てきました。アメリカでの検査体制が日本のものと同じくらいしっかりしていることを前提にした、政治的な決着を急ぐ決定がなされるかもしれません。予想はされておりましたが、何とか委員会での話の進み具合に、本当に違和感を感じざるを得ません。科学的なデータも、政治に利用されると、まともには思えなくなります。いかようにも結論を導けるようになる。科学の脆弱さでもあります。



 政治に利用される科学、ということでは、最近読み終わった、マイケル・クライトンの「恐怖の存在」(State of Fear)が、実に印象深いものでした。何か、わが国(欧米諸国も含め)の科学技術等のあり方に対する「違和感」に、するどく光を照射したような、そんな印象でした。これは、いわゆる環境問題、地球温暖化問題などを含めた科学技術と政治・社会との関係を扱っているのですが、何かを主張するならその根拠となるしっかりした「科学的データ」をどれほどもっているのか、という点を、賛成派、反対派の両方に投げ掛けている問題作でした。(科学技術を、「恐怖の国家=State of Fear」の道具にはしてはならない;恐怖を植え付けることを政策の基本にしている国家恐怖を作ることで人々は何らかの行動を取らざるを得なくなる。
 実はこれは、環境問題ばかりでなく、いわゆる現在の健康食品問題にもそのまま当てはまるような気がします(血中コレステロールが220mg/dlより高いと○○○○になるよ!と恐怖心を煽ることもそれに近い)。クライトンは、その本の最後で、かつてはほとんどのメディア、科学者、政治家、思想家などが賛成した「優生思想」のことを思い起こせ、と指摘します。アメリカのような自由な国においても(本当に自由?日本も?)、科学技術においてさえ自由にものが言いにくい状況になっていることを憂いています。
 現在の科学技術研究は、大学においても、国なり民間なりが支援してくれる予算がないと始まりません。こういう状況は、ルネッサンス時代の画家とパトロンとの関係のようだ、ともクライトンは指摘します。パトロンの気に入るような絵を書かないとお金はもらえません。さらに、クライトンは、論文の発表の仕方にまで提言をおこないます。賛成派も反対派も、自由に発表させろ、と。
 すごいね、このひとは。

(2005.11.8)