いろいろあった2014

  2014年今年も押し迫り、この時期になると今までの出来事を振り返る記事やテレビ番組が報道されます。大学や科学研究領域でも色々あった年になりまし た。国立大学が法人化してちょうど10年目なので、色んな反省のイベントがあって当然なのですが、ほとんど聞こえてきません。そんな反省よりも、より一層の改 革が叫ばれて前進あるのみとでも言いたげな状況です。
 それにしても、この1年はSTAP現象に振り回された年でした。1月に華々しくSTAP細胞発見のニュース会見で幕を開けたSTAP現象は、社会現象になっ ていきました。そして、そのNature論文は撤回され、笹井氏は自殺し、ついに12月下旬、第3者委員会で「STAP細胞はES細胞のコンタミ」という認定 がなされ検証実験も打ち切りになって、終了となりました。一応想定内の終了宣言ではありますが、これだけ騒がせておきながら結局O氏本人の退職ということで打 ち切り、組織の衣替え、だけになったのは、あまりにもお粗末。シェーン事件のベル研究所は、名前も変わりほぼ解体状態で出直しになりました。この科学界への多 くの失望感は、幸い3氏のノーベル物理学賞の受賞という慶事によって覆い隠された感じですが、このSTAP事件は恐らくボディブローのように科学界を苦しめ続 けるのではないかと思います。特に、若い研究者、科学に希望を抱いている若者たちへの影響の大きさは計り知れません。
 これ以外でも、様々な臨床研究不正事件が表に出てきました。これらは何も今年だけの現象ではなく、Wikipediaの「科 学における不正行為」にあるデータによるとこの10年間で25件も の大きな国内外の不正事件がありました。その前の1994年からの10年間では5件ですから、表に出ているものだけでもこの直近の10年間で実 に5倍の増加です。あまり表に出ていない不正もあるはずなので、深刻な事態がこの10年間で続いているということになります。
 この憂うべき事態がこの10年間で増大したことと、ほぼ日本だけの状況のようですがこの10年間の科学論文(特にバイオ関係の論文)の生 産性の低下現象は、たぶん無関係ではないでしょう。因果関係は明らかではありませんが、2004年前後で何かが変わったのだと思います。その一つ が、国立大学の法人化と予算の「選択と集中」の激化、でしょう。資本主義社会ですからどの分野でもある程度の「選択と集中」はやむを得ないとは思いますが、そ の程度が過度になるとどうなるか。それが格差の増大と中間層の厚みの消失になるというのがピケティの「21世紀の資本論」の唱えるものでしょう。これは大学と いう社会でも起こっているのではないか、と思います。10年前から起こった「過度な選択と集中」による大学の風景の変貌。
 今のこの周りでの大学院改革で言われている「たくさんある学科を一つにまとめる」案、「複数の研究科を一つにまとめる」案もその流れの中にあります。粘菌 だって栄養欠乏状態になると一つの塊になるのですから、全体のお金の状態が悪くなると生き残るためにはどこかに集中せざるを得ない、生きもののやむを得ない選 択でしょう。大学だって法人という謂わば「生きもの」です。でも、そんなに酷いのか?その認識自体を問うべきです。
 定年が近くなると、やはりその後の事を考えます。退職金も減らされるし、年金も減らされるという定年後。あまりお金がかからない楽しい生き方、をしていくべ きでしょうが、それは何か。やりたいことはいっぱいあるが、若い人たちを応援する、支援することが大事なのかもしれません。嫌がられない程度に。。。
 そんなことを考えながら、2015年を過ごしていきたいですね。

 このホームページも別のところに移す準備もすすめています。「大 学の想い出」としてこのメモのまとめとか、研究の解説とか、やらなくなった授業の講義ノートとか、をまとめて置くことにしました。
 
雲上の岐阜城   雲上の岐阜城(2014.12.29) 科学界への見通しは晴れない。
(2014.12.30)