今はもう秋

 梅雨から夏を飛び越して秋に突入か?ヨーロッパでは、猛暑が続いているようですが、日本は梅雨明けも聞かずに立秋を過ぎた東北地方もあるようで、昨年の猛暑とはうってかわっての冷夏で、これからの日本経済への影響が心配です。

 田舎から送ってきた桃も、何か少し渋みがあって、お日様にあんまり会ってないんだろうなぁ、と想像しています。これだけ異常さのぶれが大きいと、平均気温とか平年並みという言葉が白々しく聞こえます。車で遊びに出かけるには良い気候ですが、「気象経済学」的にはまずいんでしょうね。

でもこういうゆらぎは、あって当然で、それが自然というもの。人間社会はそういうゆらぎにもちゃんと対応できるように、制度を整えてきたのが近代以降というものなのでしょう。まあ、まずいところもあれば、良いところもある。一定の環境にするために、エアコンなど機器に頼った生活に近代人の体は慣れてしまったわけで、ゆらぎが大きいと「異常気象」だって思うけど、実はそのようなゆらぎのある(ゆらぎの幅も揺らぐ)のが自然、というわけで、年がら年中「ほぼ同じ温度」というほうが不自然。人間の単純な予測から外れるのが自然の気象であり、複雑系なのだから。

 それでもお盆休みはいつも通りとっています。エアコンをあまり使わなくてもいいので、電気代の心配も昨年よりはしなくていいようです。東京大停電の心配も無くなったのかな?お盆のときの民族大移動も、日が照らないほうが楽だったでしょうね。これは良い面ですね。

 今回の休みには、今まで行っていなかった岐阜の探索をしてきました。いつも素通りしていた郡上八幡。街中の駐車場に止めて、まず訪れたのは、宗祇水。何のことは無い、生活で使っている湧き水ですが、やはりここは水と一緒に暮らしている町だけのことはあります。たくさん観光客が訪れていました。私は岐阜市内の水をいつも水道から飲んでいるわけですが、この郡上八幡の水と比べても遜色ないおいしい水であることが確認できました。この日は、例の郡上の徹夜踊りの3日前ということで、まだ人通りは多くなく、散策するにはちょうど良い感じでした。

 郡上八幡を流れる吉田川に、橋から飛び込む行事が有名でしたが、先日不幸にも高校生だったかが飛び込んで亡くなってしまうという事故があり、しばらくは橋からの飛び込みは禁止になっていました。上から眺めると結構激しく渦巻いている川に飛び込むのは、こりゃあかなり勇気の要ることだなぁ、と実際見て感じました。

 昼には、郡上八幡で最初の鰻屋として有名な吉田屋美濃錦に入って、鰻丼を頂きました。有名な俳優さんも京都から来るらしい。確かに身はしまって美味しい。皮もぱりっとしていて、剛な感じです。たれは甘ったるくはなく、しっかりしたフルボディといった感じ。加納の二文字屋が「柔の鰻」とすると、郡上の吉田屋は「剛の鰻」という感じかな。どちらも特徴があって、私には納得のいく鰻でした。学生を食べに連れて行った大学の近くの、「なまずや」の鰻のたれは、ちょっと塩辛く濃すぎたけど、身は厚くボリューKamagataki,3の滝ムはあった(私向きではないが)。ちょっとした鰻評論家な気分。(あ、そういえば、大分にいたころ、佐賀関の吉田会館によく関さば、関アジを食べに行ったっけ)

 意図したわけではないのですが、吉田がよく出てきました。さらに郡上八幡から帰るときに156号線沿いに、美並村に吉田小学校という学校があって、そのそばの道を山の方に入っていくと、釜ヶ滝という滝がありました。私の持っている岐阜県の地図には載っていないところですが、流しそうめんもあり、すぐたどり着ける3の滝は雰囲気といい眺めといい、なかなかのものでした。隠れた名所というべきか。さらに山の上にある2の滝、1の滝には、家内の軽装備では行けそうになかったので今回は諦めました。あまり人がいないのもうれしい所で、知る人ぞ知る、といった場所で、めっけもんという感じです。でも、あとでインターネットで調べると、ちゃんと紹介してあるサイトも多いことがわかりました。

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 別の日に、ガイドブックにしたがって、大垣は揖斐川近くの小簾紅園(おずこうえん;呂久の渡し場跡)に行ってみました。誰もいない小さな、池のある小奇麗な公園でした。ここには、例の幕末の悲運の女性、皇女和宮が江戸へ向かう途中のこの渡し場で、次の句を読んだとして、立派な句碑が建てられていました。

落 ち て 行 く  身 を 知 り な が ら  紅 葉 ば の
     人 な つ か し く  こ が れ こ そ す れ

 公武合体による政略結婚(降嫁させられた和宮の話は、ここ中仙道が通る岐阜にはたくさん残っているようです。公武合体と聞くと、今で言う「産官学連携」などを連想してしまうのですが、もちろん意味も時代も違うのですが、官から産(あるいは学)へ「天下る」という言い方が今も通用するのは、考え方の根底には似たものが流れているかな、と思えてきます。しかし、悲運といわれながらも、和宮は将軍慶喜による大政奉還に尽力し徳川家の家名存続を実現し江戸を戦争の被害から救ったとも、謂われていますので、歴史の激動期を逞しく生きられた素晴らしい方だったようです。

 今回は、過ぎ行く夏、という感慨の沸かない8月ですが、空は確実に秋に進んでいることを表わしています。今頃は、郡上八幡の徹夜踊りが始まるころかな。そろそろ私も後半戦に備えて準備しないと。。。

2003.8.13