歳歳年年人不同


 もう3月。いつもこの時期は、2−3月合併号となるように、嵐のような2月の慌ただしさと、色んな審査会などが終わった後の閑散とした静かな3月が接近 して やってきます。唐詩選の「年年歳歳花相 似 歳歳年年人不同」を想い起こさざるを得ません。全盛の紅顔の子たちを卒業させ見送っていく白頭翁といった感じです。そういえば、最近、だいぶ白髪 が増えた ような。。。

 毎年、大学というところでは、卒業という儀式が繰り返され、同じように見えてもそれなりに違っている若者たちが社会へ(一部は進学ですが)巣立っていき ます。そして来年上がってくる新しい若者たちを受け入れる準備を始めます。そのような流れの中で、大学の教育と研究という伝統が作られていきます。様々な情報が通過していくことで記憶が形成されていく脳の海馬にも似て、大学は そのような情報としての学生が入って出て行くことで、大学の記憶装置としての教育の伝統が作られていきます。人が入れ替わる組織であれば、皆、そうではあ るのですが、通過する情報の質の多様さ、即ち様々な目的を持った(持ってない?)もの、様々な性格のもの、体の強いものも弱いものも、実に多様な質の学生 が通過するのが、工学部の特徴といっても良いかもしれません。同じ大学であっても、医学部や薬学部など明確な目的を持ったものが多い学部の学生とは、「通過する情報」の質の面で工学 部とは違うでしょう。工学部は、その学生の質の多様さは、高校生を含めた若者一般の意識の多様さをかなり反映しているものと思われます。

 最近のニュースで、 高校生などの若者の意識調査が発表され、そこでは、「未来志向の米中韓に対し、日本の高校生は現在志向が顕著で、『勉強しても、良い将来が待っているとは 限らない』と冷めた意識を持っている」とまとめられていま した。これは、所謂「ゆとり教育」の結果 なのか、「希望格差社会」のせいで「希望という名 のあなたを 尋ねて♪」突き進んでいくことが出来なくなったせいなのか、良く判りませんが、今の社会の有り様を反映しているはずです。いい悪いの問題ではなく、確かに こういう学生が、最近とみ に多くなった気はしています。
 成績が悪くても単位を取れればいい、というのが本当に以前より増えているのか、と聞かれたら、確実な統計的証拠はありませんが、僕 の授業のいくつかのテストでの成績分布を見ると、以前より「二極分化」 が 明確になってきているようにみえます。恐らく、今後この傾向は強まっていくことでしょう。精神的にもやわな学生も増えてくるでしょう。
 数年前までは、そこそこできるものが2〜3割、できないものが2〜3割、中くらいのものが4〜6割、といった感じだったのですが、最近では、まあまあで きるものが3〜4割、結構できないものが4〜5割、中くらいは1〜2割、というような感じになっていました(昨年度から今年度に掛けて)。それでも、こう いう学生を対象にして授業評価のアンケートをとると、「自分では努力している」が「理解するのが難しい」のは「理解しやすい講義がなされていないから」と いう解釈が出来る回答が、多くなっている気がします。一応、自分では努力しているのだ、と言っているのです。高校までのような「ゆとり教育」とか「塾での 勉強の仕方」の延長で、大学での高度な専門分野の内容を理解してもらう、というのは1回90分で14回の講義では至難の業だと思いますね。
 これまである程度ついてこれた学生は、相当自分で良く考え、努力していたはずです。最近のは、それもやらずに(できずに)、あまり考えずに(考えられず に)、「理解できない」と諦めるのが速くなっているのではないか、という疑いを持っています。最近のテストの解答(数学系の授業の場合)を見ると、執念深 く考 えた跡というのが見えない答案が多くなった気がします。受験勉強の場合と同じで、ただ覚えていることを吐き出すだけの解答は結構良く出来るのが多いので、 やは り今までの知識を動員して未知のことを根気強く考えていく、というこ とがだんだん出来なくなっている気がしているのです。

 最近工学部での調査で、大学入試の成績と、大学在学中の成績(GPAで数値化したもの)を比較すると、全然相関が無い、ということが、繰り返し明らかに なっています。僕はこれは、工学部の性格上、当たり前じゃないかな、と思っていました。上に述べたような多様な質の学生が入ってきて、そのため統計上は 「分散」が大きくなるわけですから、恐らくきれいな相関が期待できるのは、入試の上位1〜2割ぐらいでしょう。あとは、入学後頑張ることをしなくなったも のが 増え、逆に発奮して頑張りだしたものもいるはずですから、入学後の成績が、上下入り乱れるのはしょうがない。
 それでも、全国的にはほぼ同等なレベルの学生がこの大学の工学部には入ってくるわけですから、下位のもののやる気を伸ばして成績を上げさせ、中位や上位 のもののやる気を維持させ伸ばしていけば、あまり差が無い形で(ますます入試成績との相関が無い形で)卒業させていくのが大学の役割ではないか、とも思わ れ ます。もし、入試の成績と、入学後の成績がきれいに相関するよう なら、底上げが出来ていない教育として指摘されるでしょう、逆説的ですが・・・。
 また、たとえ、motivationを上げるためということで、卒業優秀者表彰制度や各学年でのGPAの最高の学生を表彰する制度ができていますが、こ れも結局固定された成績上位者の中の意識は上がるだけで、不要とは言いませんが、二極分化を改善するのには少しも役に立たないでしょう。

 それでも、今後2006年問題以後の学生が多くなってくると、卒業研究や修士課程での研究にどう参加させ、どう伸ばしていくか、どう考える力を身につけ させていくか、 頭の痛い問題になってきます。最適解はないとしても、地道に4年間掛けて、中〜下位のものの学力の底上げと考える習慣をつけることが、この大学の工学部に は肝要、と思うわけです。

(2006.03.05)