2008年もあと数日で暮れるこの時期に振り返って見ますと、大学はじわじわとした変化が見えるだけでしたが、社会はまさに激変でした。これまでは、割とゆったりした変動が見えていたのが、ここ1年でその変動の振幅と周期が大幅拡大・短周期になっています。昨年は学生の就職では引く手数多で、大学院進学が減少するほどでした。それが今回は、内定取り消しだとか、派遣切りだとか、トヨタ赤字化とか、この景気が良かった東海・中部地区でも大きな「Tsunami」を被っています。
この激しい変化は、実は、今までの政治経済社会の体制という構造があまり「変化してきておらず」、 それによりシステム内の調節がうまくいかなくなって変動の大きなブレを抑えきれなくなっている、と見ることもできるのではないか、と思っています。21世 紀型への適応ができていないのでしょう。この東海・中部地区の産業構造も変化がなく、自動車産業頼みで、このような大きなTsunamiが起こってくると、この地区の実体経済が大きな被害を受けるようになる。
だから、求められているのは、「21世紀型システム」へ適応できる、政治・金融経済・社会・産業、あらゆる領域での連携した変化、なのだと思います。その変化が、人々のシステムへの「信用」を生み出す必要があります。ただ、その「21世 紀型システム」とは何なのか、どうあるべきなのか、だれも明確に描くことはできていません。そのあるはずのシステム、あるべきシステム、の描画が、今の政 治や経済の専門家から出てくることを期待できるのか、についても未知です。しかし、人々はその変化を望んでいるのは、アメリカ合衆国でのオバマ大統領が掲 げるCHANGEに多くのアメリカ人が賛意を示したことにも表れています。もちろんオバマ氏の掲げる「CHANGE」が、その21世紀型システムへの「変化」を必ずしも意味しているとは思っていませんが、それへの憧れ感、期待感が、人々を動かしたのだと思います。
12月のはじめに大きな学会が神戸で開かれ、最後の日だけ参加しましたが、そこの展示場である書籍を買いました。それは、クレイグ・ベンター氏の書いた「ヒトゲノムを解読した男 クレイグ・ベンター自伝」(化学同人)ですが、10年 ほど前のヒトゲノムプロジェクトの熱気の中でかのベンター氏が如何に考え、如何に世界と戦ったのかを、知りたかったからです。彼については、大学の授業の 中でもときどきその業績に触れるのですが、彼がどのようにしてあのバイオ産業の先端で奮闘したのか、というのは想像するしかありませんでした。ほかの本で も、例えば「ゲノム敗北」(岸 宣仁・著)などでも、その戦いぶりは良くわかるのですが、本人の口から、時の指導者であるJ.ワトソンとの確執などについて聞ける、というのは大変興味深いものです。
彼のバイオ研究、ゲノム研究の原点が、ベトナム戦争にあった、というのは、この本ではじめて知りました。また、遺伝子特許に対する態度も、本人の意図は一般に言われているものとはだいぶ違う、というのも、知りました。
それはさておき、10年 ほど前に完了したヒトゲノムの解明は、バイオ分野の研究や産業にとって、大きな「変化」ではありました。そのプロジェクトを世界的に率いた人たちや、ベン ター氏自身も、ヒトゲノムの解明はその後のバイオ産業に大きな駆動力を与えるに違いない、と考え、我々一般的なバイオ分野の人間も大いに期待したものでし た。あれから、ほぼ10年。科学的な視点では、確かにその後も新しい事実がどんどん解明されてきて、技術的な面では大いに発展したと思いますが、一方、産業という視点で見ると、当初期待されたほどには、現在はバイオ産業が盛り上がっているという状況にはありません。一時期は、ITバブルなどと並んで、バイオバブルなどという言葉も聞かれるくらいでした。むしろ、RNA大陸、巨大なncRNA分野の存在、といった、新しい未知の領域が目の前に大きく開けていることが分かった、という基礎生物学的知見を得たことが、大きな収穫の一つでした。
現在、このゲノムプロジェクトに近いテーマが「iPS細胞」プロジェクトでしょう。日本でも、国策的に予算が投入されています。開発者の山中教授の言では、現在の日本のおかれている状況は1勝10敗だ、ということで、当初から予算注入と研究体制整備が行われているにも関わらず、際立った成果が見えないようです。国策といっても、研究推進の体制が成熟していないこの日本では、形だけに終わってしまう危険性が高いと思います。日本にもこのiPS細胞研究の分野でのベンター氏のような、ワイルドな研究者の出現が望まれます。(無理でしょうが・・・)結局は便乗したボスたちによる予算の再分配に終わらないように祈るのみです。
ベンター氏と山中伸弥さんに共通していると感じるのは、人々の病気を治したい、人々の役に立ちたい、という強い動機があって、これまでの研究を牽引してき た、ということです。少なくとも、ベンター氏のその自伝からは強く感じますし、ベトナム戦争に従軍したという経験がその動機の背景にあったようです。
その動機というのは、つまりは研究の原点に返る、ということであって、その原点がその研究者にとって如何に強く、深いものであるか、というのが重要です。なぜその研究をするのか、という原点。いまの社会、政治・経済・産業体制も、なぜそれらが在らねばならないのか、という原点(存在理由)に立ち返ってシステムを見直すということが、結局は「21世紀型システム」を作り上げるための出発点なのではないか、と思います。
(2008.12.29)