走り回った師走

 この12月は、前半は暖かい日が多かったようですが、半ばからぐっと寒くなったようです。
 その半ばの14日から19日まで6日間の、実に久しぶりの海外出張にでかけました。常夏のハワイと、真冬のニューヨークコネチカット州へ。衣服のChangeにだいぶ頭を悩ませましたが、結果としてはさほど心配することでもなかったのですが。。。

 昔使っていたスーツケースは、かなり傷んだのでだいぶ前に廃棄していましたので、今回はレンタル(ダスキン)しました。これは良かったと思います。ハワイは3度目の訪問ですが、そこで、5年に一度のPacifiChem2010(環太平洋国際化学会議)の中のシンポジウムの一つ、「Non- and Minimally-Invasive Diagnostics of Biological Systems using Vibrational Spectroscopy (#276)」の分科会で発表を依頼されたため、普段はあまり化学系の学会には参加しないのですが、内容や方向性が自分のテーマと一致していたので、お引き受けして参加することになったものです。この国際会議自体の目的の一つに、「Health」への寄与が謳われていたので、医学的診断法あるいは治療法に対する化学分野からの寄与が期待されていることの反映かと思います。
  しかし、とても巨大な国際会議で、13000人ぐらいが登録して、237のシンポジウムが開かれ、大きなコンベンションセンターだけでは足りず、市内の主 要なホテルであるシェラトン、ヒルトン、ロイヤルハワイアンの各ホテルも会場になって行われますので、招待でなければ行きたくない(消耗感が大きいので) のですが、行きました。でも、2週間ほど前に孫と遊んで若干腰を痛めて、学会期間でも痛みは残っていたので、あまり歩きまわらずに、省エネで、一つの分科 会だけに参加しました。この#276のテーマは、たぶんマイナーな分 野だと思うのですが、常時30人以上が参加して、内容も極めて先端的で面白いものでした。先端的なラマン分光や赤外イメージング技術が中心で、これからの医療診断への 応用を期待させるものばかりでした(私のはもっともクラシックなFTIRの話ではあっても、もっとも実用に近いものと思っています)。一人30分の発表 時間なのですが、開始時間は遅れるわ、発表時間は延びるわ、午後のセッションも昼飯に時間がかかってなかなか始まらないわ、で(ハワイ時間?)、私の口演発表 予定は午後3時半から4時までだったのですが、心配になりました。実際は午後のセッションは15分ぐらいの遅れで始まったのですが、司会が日本の佐藤先生 (関西学院大;はじめ現地のスタッフの方かと勘違いして失礼しました)だったので、終了して欲しい時間の近くになると演者 のそばに立つことにされたので、演者は急いで終わるよう無言の圧力を感じることになったようです。私の発表に回ったときは、5分遅れで始まるほど時間は回 復したので、無駄なしゃべりが多くならないように、ペーパーを見ながら最短の言葉で話して23分ぐらいで話を終えることができました。 Discussionが2つほどあって、ぴったり4時には終えました。スライドだけ見て話をすると、いらない話がどうしても入ってしまうので発表時間が長 めになってしまうくせがありますのPacifichem2010 Sheratonで、かなり慎重になりました。翌日あった英国の研究者の発表でも、我々の、顔の皮膚を測定する方法を引用してくれて、一定の評価を頂いたものと感じました。
 自分の発表のあった初日の夕方には、シェラトンホテルでレセプションと基調講演会が行われました。参加してみましたが、5000人ぐらいでしょうか、大きな会場がいっぱいになっていました。ハワイアンダンス(→)など、民族的な踊りと歌が入って面白いものでした。ハワイアンのメロディーを聴くといつも思うのですが、日本の島唄を思い出します。日本は、環太平洋の島の一つ、ということを感じてしまう歌でした。(絵を参照)
 基調講演は、カナダのDr. P. Corkum による、レーザー技術を使って電子の軌道を見る、という大変エキサイティングなものでした。やっぱり Seeing is believing しないとだめ?頭では十分イメージできているはずなのですが、実際やっぱりそうなのか、というのを映像として示さないといけないのかな。化学というのは、 どうもそういう性癖があるようです。このレセプションの時も、岐阜大のかたにはお会いすることはできませんでした。たぶん広すぎてわからなかったのでしょ う。岐阜大学からは全体で12名の登録があったようです。
  翌日には、午前のセッションに一部参加し、10時頃には引き上げ、次のフライトの準備に入りました。次は、真夏から真冬に向かいますので、どのような衣類 を機内に持ち込むかが、悩みでした。真冬用のフード付きコートも用意していたのですが、ちょっと大きすぎて手荷物で持っていくのは面倒という結論になっ て、ヒートテック下着でしのごうという戦略になって割と身軽にして、次のロス経由NY行き(所要時間11時間)に備えました。ロスからNYへ向かう飛行機 は、割と小さく狭く、休暇に入った大学生と思われる若者が多く乗り込んでいまして(長いことおしゃべり声が聞こえてくるし)、5時間半ぐらいのフライトで はあまり眠れませんでした。
 なお、ホノルルからロスへ行く飛行機にのるとき、例の「身体スキャン」 を経験しました。テラヘルツ光(ミリ波)をあてて衣服の下までみられているんでしょうね。会議でも参加したセッションでテラヘルツ光を用いた分光法の発表が ありました。数秒でスキャンは終わり、係官の前にしばらく立っていると、係官の無線に何か連絡が入ったらしく、再度大きな手で体を触って触診。胸ポケット に入れていた手帳の中身まで見られて、一応放免。あとで気づいたのですが、この時腰痛のため腰に大きな湿布を2枚貼っていたのでした。もしかしたら、これがテラヘル ツ光で見えてしまって、変なモノを腰に付けていると思われたのかもしれないな、と感じました。ということで、帰りNYから乗るときは湿布を外してのりまし たので、特に再度触診を受けることはありませんでした。
 早朝7時半頃NYにつくと、雪はあまりありませんでしたが、外は氷点下。訪問先の Danbury市にある企業A2Technologiesが手配してくれたタクシーの運転手が、Baggage Claimの出口で待っていてくれまして、荷物を手に入れてすぐ外に出て、Danburyに向かいました。1時間半のドライブ。高速道路を走ると大変懐か しい気持ちになりました。30年前ニューヨーク州に住んでいた頃、よくこのようなPkwyを走ったな、という感慨。ラッシュアワー時だったのですが、この タクシーのドライバー(黒人レスラーのような大柄な強面の感じ)の運転がすごいというか、スリル満点というか、スイスイという感じで抜いていくので、あま り遅れた感じはしませんでした。
 Danburyはコネチカット州の典型的な田舎の都市ですが、行きA2 John先のA2 Technologiesのあるコマース通り(Commerce Drive)には、このA2だけでなく、振動分光法を含め検出測定分野では優れた新興企業の一つであるSmiths Detection (このSmithsは、前述の身体スキャン装置も作っていてアジアの空港などに納入しているそうです)など、いわゆるハイテク企業が集まっているところがあります。このA2とSmithsは、建物もお隣同士です。A2に着いたのが10時少し過ぎ、すぐ技術責任者のJohnさん(→)が 出迎えてくれてくれました。このJohnさんは、我々の分野でよく使われているダイヤモンドATRプローブの生みの親で、これを元手に今まで3つぐらい会 社を興しているベンチャー企業の鑑のような人です。このA2テクノロジーも数年前に作ったベンチャー企業で、社員30人ぐらいの小さな企業ですが、小型で 手持ちでFTIR測定出来る装置を開発しています。ちゃんと小さいながら組み立て工場を、割と広いスペースを使って持っています。この分野では、世界の トップを走っていると言っていいでしょう。この訪問も、彼と今後のFTIRを用いた診断装置開発での共同研究の打ち合わせを行うためだったのですが、4時 間ぐらいの話し合いの結果、今後の協力関係を築く上で良い見通しを立てることができました。
 お昼も、A2が社員のために用意したハムがいっぱい挟んである大きなサンドウィッチを一つもらって(コーラとサンドウィッチというのが典型的なランチ)、Johnさんは2つ食べていましたが、一緒に食べながらも話し続けました。
  一応3時頃にはJFKの近くのホテルに行きたいと伝えてあったので、2時頃には話し合いも終了し、またタクシーの運転手が迎えに来てくれましたので、 Johnさんとも固い握手をして今後の協力関係に期待を寄せながら、分かれました。帰りのタクシーも、1時間半のドライブでホテルに着きましたが、急に眠 気が襲ってきてドライブ中は(かなり体が揺れたのは覚えていますが)どこをどう通ったのかほとんど覚えていませんでした。

 JFK空港近 くのホテルにチェックインして、任務完了でほっとして、ゆっくりと日本のメールサーバにアクセスしてメールを読んだり送信したりしました。ハワイのホテル や会議場会場では、Wifi環境があまりよくなく、自由に無線LANが使えなかったのですが、さすがJFKの近くのホテルでは、Wifi環境は自由に使え たのでパソコンから日本語メールを送信することもできました。今回のアメリカ出張でかなり役に立ったのは、3GもWifiも使えるスマートフォンでした (Experia)。ローミングサービスの手続き(AT&Tで; どんなにパケット使っても一定額以上にならない海外パケホーダイサービスもあり;1日1480円上限)もしていたので、ハワ イやロスやNYに着くと、自動で現地時間に切り替わり表示してくれますし、すぐにドコモメールも使えるし(家族とのやり取りはこれでしょっちゅうやれまし た)、現地の電話にフォンコールすることも出来ました。かなりスマートフォンのマップ(地図)機能も使いました(あとで確認したら、トータル140万パケットを使っていたようです)。ハンドヘルドで手軽に使えるプログラムの集合体だからこそ、これほど便利に 使えるのでしょう。空港には、韓国企業のサムスンが携帯電話のための充電スタンドを用意してくれていましたので、電池切れを心配する必要もありませんでし た。(昔だったらSONYなどがやっていたのでしょうけど)そういう意味では、今回は情報に困ることのない旅行でした。

 今回の出張では、当初の 予定していた日本から出る飛行機を事情により変更する事態もあり、ちょっと出だしで躓いた感じはしたのですが、いろんな情報ネットワークの発達のお陰もあって、それ以降はさほど 問題もなく、快適な旅行ができました。19日日曜日の夜9時半頃に中部国際空港に着いたのですが、そのあと岐阜に帰るとき、名鉄電車が変電所の事故のため 停電が続いて2時間以上も電車が動いていない状況に遭遇しました。ついてないなぁ、と思ったものの、45分ほど待ったら電車が動き出し、最初の岐阜行きの 特急に乗ることができたので、不幸中の幸い、危機の中の幸運があっ て、夜遅く11時半頃に家にたどり着けました。翌日、月曜日の朝一番の教養の授業があったので、普通に6時頃起床で大学に行って授業をすることもできたよ うに、真夏真冬を交互に経験しても、体調もさほど悪くなく、不思議と痛かった腰も、NYでは痛みも取れて、普通の体調で日本に戻ることができました。もう 還暦も近いが、まだ体力知力ともいけそうだという感触を得た旅行でした。

 これから、年末と正月の準備が待っていますが、これから本当の疲れがでてくるのでしょうか?

(追記)
御 用納めで、ようやく岐阜にも寒波が来そうです。アメリカ東海岸は今や暴風雪ブリザードで、いろんな空港が封鎖されている、たくさんエアラインが欠航してい る、という報道がなされています。NYやCT州に行った16日、17日には、地元の人達は近いうちにブリザードが来ると言っていましたので、このことを 言っていたのかなと思います。行くときは実はこの風雪が一番気がかりだったのですが(30年前Albanyに住んでいた頃は雪にはひどい目にあっていまし たから)、10日違いでラッキーでした。飛行機が飛ばずに空港にとどまっている人も多いと思いますが、自分がそれに遭遇したらと思うと、人ごとではありま せん。
(12.28)

(2010.12.24)