現実と物語

 主人公が、現実の世界で、ある物語の本を読んでいるとき、物語の空想の世界に入り込んで現実のような世界で様々な活躍をする、というような、ファンタジックな小説や映画はたくさんありますね。僕もどちらかと言えば好きなほうですが、この1ヶ月の間にも、世の中色んなことがありまして、その目まぐるしさと激しさは、物語の世界のようにも思えてきます。

 まずは、新潟の中越地震。毎日のように震度5以上の地震が突然やってくる、という環境は、本当に「災害の中が日常」みたいな、想像を超える世界のようですが、まさに現実。この地震も、またもや、これまであまり対策をしてこなかったところに発生したようで、新幹線の脱線事故もあまり被害者が出なかったことからラッキーな事故として済まされそうですが、もし地震発生の時刻があと何秒早かったら、とか、あと何分遅かったら、とか色んな仮定を考えると、大事故への警告と捉えるのがまっとうなはずです。日本という国は本来そういう危険とともに暮らしている国のはずで、そのために財政の仕組みや行政の仕組みを将来にわたって考えておくのが、本当の国益になるはず。パニック小説の中だけで終わらせてはいけません。未来の現実なんだと言うスタンスでいないと。

 あと、アメリカ大統領選挙ですね。意外とあっさりケリがついて、ケリー候補が負けを認めてしまいました。大方の予想に反して、宗教的な道徳などがイラクなどの国際問題よりも投票行動に影響したということらしいですね。その道のマニアの予想通り、現職が勝ちましたが、戦時下の大統領(戦争終了を宣言して安全な国になったと言ってるんじゃなかったっけ?)を強調し、良いタイミングでビンラディンのビデオが流れ、同性愛の結婚などの道徳的な所に対立点が逸れて宗教的保守層が掘り起こされて、結局華氏911も効果が出なかった。ますます保守的原理主義が力の行使をさせるだろう、と言う予想も出ています。変な選挙の仕組みや投票機械のせいで、またもやケリー候補に不利な結果になったと言う総括も出ていますが、4年前と同じく民主主義の基本がまだ十分じゃないのではないか、という疑いをもちます。そして、そのような国が、自分たちの民主主義なるものをよその国にも拡大するという口実で、戦争を継続する。まったく人間って性懲りもなく、、、とまるでどこかよその世界の人のような感想を抱いてしまいます。そして、予想通り、ファルージャへの総攻撃。その時の一場面が放映されていましたが、攻撃中の米軍兵士の生の会話も放映されていて「アドレナリンがバンバン出るぜ。おもしれ〜!」と言っていることにその本質が良く出ていました。テロ首謀者がいないことをわかっていても、それを口実に攻撃する。ただ破壊し混乱を拡大するのが狙い、としか思えない。

 さて、話変わって、テレビでは、NHKで日曜夜8時からの「新選組!」が佳境に入ってきました。三谷氏の脚本のこの物語は、実に面白く、毎回楽しんでいるのですが、見るたびに実はイラクの歴史とダブって見えてしょうがないのです。実は「新選組」モノは、以前はあまり好きではありませんでした。時代劇は好きなほうでしたが、それでも幕末の新選組は好きではなかった。なぜかと考えると、その後の時代を作った「官軍」とそれ以降の明治政府のほうからの歴史観がボクにも浸透していたから、官軍になる「薩長」に対するテロ集団としてのイメージが新選組には強かったからではないか、と考えています。しかし、この三谷「新選組!」は、舞台を見ている観客を意識したようなギャグをちりばめ、歴史のディテールにこだわり、人々の心の機微に焦点を当てていて、いままでの官製のイメージを一変してくれました。そして、それとイラクでの現在の戦争状態を重ねてしまいます。

つまり徳川300年のいわば徳川家独裁体制をそのまま今の世の中にもってきちゃったら、どんな物語ができるのか、と考えてしまうんです。外国勢力からは当然こんな非民主的で遅れた国(徳川体制)は、もっとグローバルスタンダードに合わせないといかん(裏の意図はどうであれ)、とか考えて、体制をひっくり返させようとする、というようなストーリーを推し進めると、徳川家にとっては安定してゆっくりと時を刻んだ300年からすると、こんな平和な生活に干渉するとはなんと迷惑な話! と思うでしょうな。このような物語が現実化したのが、実は中東の国イラクの状況なのではないかと。当然、徳川家とイラクの最近までの体制とは、全然違いますが、状況として対応するところが多々ありそうに思うのです(イラクには勝海舟のような人はいないようですが)。現実が、大国の勝手に作った物語(シナリオ)を取り込んでいるような感じ

日本の幕末は官軍が「錦の御旗」で勝って官軍の物語を現実化しましたが、イラクでは混乱が増幅されて、「錦の御旗」になりそうなイスラム聖職者たちも「官軍・外国軍」から分裂しそうな雰囲気ですので、いったいどうなるんでしょうね?昔の植民地主義のころは、外国軍が支配して植民地政策をやったわけですが、現在は経済的にも政治的にもそれはできないし、やるつもりもないらしい。何しろ世論が真っ二つに割れている米国ですからね。損な行動には出ないはず。しかし、保守的宗教的原理主義が後押ししてしまうと、理性が働かない事態にもなる危険性もありますから、今後どんな物語が現実化していくか、とっても危惧してます。そして、これは他国の物語ではなくて、自国の物語にもなるわけですから。

ちょっと妄想してしまいましたが、中枢にいるような人がある種の妄想を現実化しようとしている国家もあるかもしれないと思うと、やっぱり気がかり。

各国、各民族、時間の流れって、その時代時代で全然違うように思いますね。各国それぞれが、時間スケールの違う物語を作ってきているわけ。現在でも民主制の国家もあれば、王制の国家もあり、他にも様々な形態の国家がある。歴史と民族が違うのだから、モザイクのように各国違ってきて当然でしょう。昔から自分の国家体制を他国に強制的に取らせようとしてうまくいったためしがない。民族浄化の戦争などの忌まわしい過去がいっぱい教えてくれているはずなんですがねぇ。

 日々、こんなどろどろした状況と面と向かって、快適な朝も、どろどろした新聞記事を読んでしまうと、魅力が半減します。

    朝芝の 露きらめきて 伊吹山

  こんな清清しい初冬の朝を、心から楽しめるようになるのはいつごろか。

 

(2004.11.23)