故きを温ねて

 古きを尋ねて、とは書かずに、故きを温ねて(新しきを知る)と書くのは、もちろん「論語」に由来するわけですが、「故き」が単に古いということだけでは なく、故人(死んだ人)と古人(昔の人)が違うように、「重要な」とか「訳のある」とかの意味があるように思われます。しかし、故人というのは使っている のは日本だけ、という話もあるようですので、あまり字源的なものを考えても無意味かもしれません。「故」という字は「古」に「文」を 繋げた文字ですから、白川静氏の解釈では「文」には「入れ墨」を意味するらしいですが、理由という意味もあるように(ゆえに、とも読む)、無碍にはできな いもの、という意味が入っているように、私には思えます。故郷、というのは「ふるさと」に対する当て字でしょうか?まさか死んでしまった郷、という意味で は使っていないはずで、これもやはり、大事で無碍にはできない里、の意味があるのではないかな、と思います。

 こんな字源の解釈をしたくて書き始めたのではないのですが、先日3回忌の法事のために故郷に帰って懐かしい人や物に出会ったりすると、「故きこと」に新 しさ を発見することもある、ということを思ってみたまでです。そこで、久しぶりに祖父が遺してくれた家系図と由来の小冊子を読みなおしてみました。江戸時代吉 宗公の時代からの記述があるのですが、明治大正になってからもわがご先祖たちは大変苦労したんだな、というのがわかります。養蚕業で苦労し、小作地主の関 係に苦労し、戦争で苦労し、本家や分家の家族の関係に苦労し、、、という、歴史の教科書には載っていないリアルな歴史を肌で感じることができます。このよ うに先祖のことを温ねてみると、特段新しいことを知ることはないのですが、その苦労の上に現在の自分があるのだ、というわが身のよって立つ由来に改めて気 付かされる、という新鮮さは感じます。

 我々のように大学で研究と教育をやっている者にとっては、研究はどこもだれもやっていない新しい ことをしていますが、教育は、基本的には「故きこと」をまとめて、伝えて理解してもらうような作業をするというのが、生業です。7月は、前学期の最終月で すか ら、試験問題を作る時も過去に出した問題を改良しながら「故き問題を温ねて新しき問題を作る」作業を集中して行う月でもありました。

 この前、故郷に帰った時、たまたま町を挙げての祭りの日でした。名前は「わらじ祭り」。昔はなかったような、集団で踊りまくるソーラン踊り集団のような グループが、たくさん出ておりました。こんな田舎にもこんなにたくさんの若者たちがいたのか、と思うくらい、若者たちで熱気のある祭りでした。昔の思い出 を呼び覚ますために、同じ祭に参加しても、もう現代仕様の祭りになっていますから、違う祭りになってしまっているかもしれません。「新しきを知る」のとは ちょっと違います。祭りというのは、古い、というか伝統的な部分はきちんと残していってほしいとは思います。大わらじを引き回す、という伝統はやっていた のかもしれませんが、目立ちませんでした。

 来週は、お盆休暇の週間ですが、この大学では13,14,15日を全学的に閉鎖するに匹敵するような一斉閉庁期間とするようですし、そのあとの16, 17日も工学部では半強制的に休暇にしないといけないようです。以前にも半強制的にお盆休暇をとらせられたことがありましたが、その時も、今回も、理由は 節電。節電は結構なことです。例えば、エレベータ4基は、365日交代で運用していつもは3基だけ動いているようにすれば、いい節電になるでしょうし、エ アコンも3時間使ったら0.5時間止めないと、次の3時間動作ができないようにすれば、いい節電になるでしょう。他にも電気を使う機械にいい仕掛けを作っ たら、結構いい節電は可能でしょうし、個人の努力にまかせるよりはるかに有効でしょう。しかし、節電といってまじめに対応したせいで熱中症になってはしょ うがな い。
 もともと日本で経済活動を今の状態を維持しながら、というより発展させながら、グリーンハウスガスを全体として削減する、というのは物理的に矛盾があり ます。新聞でもこれでは京都議定書を守れない、と書き立てていました。人間でいえば、炭酸ガスをより多く出せば過呼吸症候群を呈します。今、地球は過呼吸 症候群の一歩手前だとすれば、それを予防する場合はできるだけ ゆっくり呼気を出す呼吸法を身につける必要があるとされますので、結局地球に良い経済活動というのは、緩やかな経済活動にするしかあり得ないでしょう。これは、江戸時代のよう な昔の生活に戻れ、ということではなく、その意識を学んで(温故)みんなが納得する新しいことをする(知新)ことになるんだろうと思いますよ、難しいです けど。先日の参議院選挙でかなり政治の流動化が期待できそうな結果になりましたが、それでも過去の似たような歴史をみると、あまい期待を抱いてはいけない という教訓も見えてきます。歴史は一歩一歩なんだ、そしてあるところで急激な変化が民の意識とはあまり関係ないところで起こってしまうと民に良いことはあ まりない、というようなことを知ることが多いですね。

(2007.08.11)