団塊のうた


 つま恋(掛川市)で31年ぶりに「吉田拓郎・かぐや姫」のジョ イントコンサートが開かれた。
NHKBSハイビジョンで前半だけを聴いた。31年前の1975年の時は、5万人以上集まったという伝説的フォークコンサートだった。今回も、かなり団塊 の世代の支持を得て、3万5千人が集まった。そして、再開を喜び、歌を、楽しんだ。おじさんたち、おばさんたちは、いろんな顔をして、丸くなって、まだ、 元気だった。

 ま、言ってみればそれだけのことなんですけどね。でも、団塊の世代の末席にいて、いつも割りを食って生きてきたと言われる「昭和25〜26年生まれ」の 僕らの世代にとっても、フォークソング、というのは、何か特別に響く んです。一種の記憶装置なんですね。その歌を聴く と、当時の光景が、いろんな顔が、蘇って来る、そんな きっかけを作ってくれる装置。歌っていうのは、そういう機能をもっているんですよね。だから、今でもBSなんかで「フォークソング大全」などという番組が あると、大体聴いてるね、夫婦揃って。。。

 拓郎が出てきてつま恋で伝説的野外コンサートをしていたころは、僕はもう大学院生で、そんなに熱狂的になる年ではなくなっていたけど、「結婚しようよ」 とか「襟裳岬」(拓郎が歌うと森進一のとは雰囲気が全然違うが)を聴いてすごく才能あるやつだなぁ、とは思っていました。僕らは68年に大学生になったの で(この時だけ東大1年生はいなかった)、69年のウッドストック(アメリカ・ニューヨーク州の)での数十万人の元祖伝説的野外コンサートも知っていた し、小等らがやっていたフォークジャンボリーも知っていました。大学の授業の教室で、時間外にフォーク好きが集まってギターの練習や歌を歌っていた時代 も経験していました。フォークソングは、いつの間にか体に染み付いて、「記憶装置」として身体の中に残っていきました。当然、かぐや姫の「神田川」や 「22 才の別れ」なども、こうせつや正やんが歌うのを聴くと当時を思い出し、タオルと石鹸洗面器をもって銭湯に通っていたことを思い出したり、高校から 大 学の「5年の月日が永すぎた春に同感し一 人でじんとしてくるんですよね。
 そういう「記憶装置」ですから、元気な拓郎やかぐや姫が、顔にしわが増えても頭が薄くなっても、歌うとなれば一番人口の多い世代ですから、たくさん集ま るわけです。このころの活躍した歌手は、元気な人が多いですよね。矢沢も頑張っているし。ちあきなおみの、「喝采」なども僕にとっては重要な記憶装置なん ですが、出てこなくなりましたね。
 拓郎が、先日のつま恋で、最初のときに言っていましたが、当時は出て歌うのが怖かった、攻めてくるんじゃないか、って。当時は、歌手と観客がけんかとい うか、議論を始めるなんていうのが(フォークのコンサートでは)ありえましたから、気持ちはわかりますね。歌うほうも、聴くほうも、熱いものを持って、真 剣だったんでしょうね。こういうコンサートだけじゃない。色んなところで色んな集会があり、議論があーでもない、こーでもないと、盛り上がっていました。 そういう時代でした。



 今の学生諸君は、そういう、30年経っても思い出すことのできる「記憶装置」はもっているのだろうか?一人部屋でやっていたテレビゲームやPS2や、テ レビ漫画などだとしたら、淋しいじゃないか。同じ世代の様々な顔がうかんでこないんじゃないか、それだったら。。。

(2006.09.24)