文系と理系と

 この頃、教養改革とか言って文系授業と理系授業のバランスなどを考えることがあるのですが、梅雨時の雨の日にそういうの考えていると、鬱陶しさが増大します。そんな中、現在ベストセラー入りしている本で「ダヴィンチ・コード」上下2冊を一挙に読んでしまいました。

 私はこのような「歴史推理もの」は大好きなので、インターネットにあった書評につられて近くの本屋で買ってしまいましたが、私には、いやもう、こたえられないくらい楽しめましたね。ただ、文学作品としてはどうなのか、翻訳本ですからいまいちな感じがしましたが、ルーブル情報がふんだんに出てきますし、ちりばめられた様々な薀蓄情報には昼寝も忘れるほど引き付けられました。

 この本の著者のダン・ブラウン氏は、文系作家か理系作家かと言われたら、やっぱり経歴から言って文系なのでしょうが、その父親は数学者、母親は宗教音楽家、妻は美術史家という関係だそうですから、かなり数学者からの影響が感じられ、暗号学や情報学の影響があって、「理系作家」と言ってもいいのではないかと感じています。

 理系推理作家というと、私には典型は森博嗣氏ですが、ブラウン氏もその線上に置いてもいいくらいな感じがします。まあ、このような作品では、理系か文系かという区別自体がナンセンスなのですがね。むしろ、「情報系」として括った方がしっくりきます。

 それで、この「ダヴィンチコード」、謎解きストーリーは大変面白く、よくできていると思います。ただ、その中にある薀蓄の中で気になった点があります。それは、いわゆる「黄金比1.618」に関することで、ラングトン教授(主人公の一人)が解説するところにありました。黄金比が様々な美術品や巻貝模様とか植物の葉の付き方といった自然現象にも現れるという話は、私自身もう30年以上も昔高校の時に(曖昧ですが「大学への数学」という雑誌で知ったのではなかったかな?)知って大変興味を持った話でした。ここでも、そのような事に触れて話を挿入していました。その中で、人の身体にある黄金比のことで、人間が立ったとき、頭のてっぺんから床までの長さ(身長)とへそから床までの長さの比が、黄金比1.618になっている、ということが言われていました。

 このへそが黄金比のポイントになっているということは、調べてみると他にも指摘されていることが多いようで、特に美術品でミロのビーナスなどでそうなっている、と言われています。確かに、手元にあったルーブル美術館の資料を開いて、定規で計測してみるとビーナス像や他のキリスト像、人体彫刻などでは、へそは黄金比のポイントになっているようです。

 ところが、自分の体で測ってみると(他の方も測ってみられたらいいですが)、私の場合へそと鳩尾(みぞおち)との間のところ、鍼灸でいうところの「中かん」というつぼが、黄金比のポイントなのです。それで、「ダヴィンチコード」でも触れられていた「ウィトルウィウス的人体図」(レオナルド・ダヴィンチ)をもう一度見てみました。これは、ダヴィンチが人体を精確に書き表した図とされています。そうすると、へその辺りに3つの黒い点が書いてあるではありませんか。恐らく下のところは「へそ」でしょうし、上のところは「みぞおち」らしい感じです。真ん中の点が「中かん」というつぼの点のようです。そして、身長を1.618で割った長さが床からどの点に対応するかを計ってみたら、なんと、「中かん」のつぼでした。誤差の範囲ではありませんし、明らかにこの人体図ではへそは黄金比のポイントではありません。

 昔の西洋人のモデルでは、へそがやっぱり黄金比のポイントなのでしょうか?恐らく想像ですが、昔の美術品では、黄金比を使って描くことが普通だったとすると、へその位置を黄金比のポイントになるように作っていたのではないか、と思われます。見た目、へその位置は分かりますが、つぼである「中かん」の位置は分かりませんから、芸術品には必要な操作だったのかもしれません。

 ただ、「肩から指先までの長さと肘から指先のまでの長さの比」「腰から床までの長さとひざから床までの長さの比」「手の指の関節間の比」などが黄金比になっている、というのは、自分でも確認できまして、たぶん本当でしょう。

 このような身体や植物の葉の付き方などの生物の形態の形成には、黄金比を生み出すフィボナッチ数列が関与している、とも言われていますが、これは元々フィボナッチ数列が、フィボナッチさんによって「1つがいの兎は、産まれて2ヶ月目から毎月1つがいの兎を産む。1つがいの兎は1年の間に何つがいの兎になるか?」を解く過程で生まれたことを考えると、当然「成長と分化」という細胞増殖の基本過程を踏まえていることが理解できます。ですから、細胞でできている我々の体の節目節目が、黄金比になっているものが多い、というのはかなり理解しやすいことなのです。もちろん、具体的なもの(例えば指の関節の長さの比など)でそのような比になるというのを厳密に証明するのは、現在の生命科学の知識でも大変困難でしょうが、直感的には分かり易い。

このような黄金比は、芸術にも数学にも使われていたのですから、このテーマでの話は文系の話でしょうか、理系の話でしょうか?当然ですが、このような議論をすること自体どうでもよい、ナンセンスなものですし、いわゆる「理系」でも「文系」の学生でもどちらにも大変興味深いことなはずです。このような話こそ、理系の学生にも文系の学生にも専門課程への導入としては、広がりがあり、重要な「教養教育的」話ではないかな、と思いました。


2004.06.13)