文化への理解
現代歴史の中で最近ほど、よその文化・文明を理解し、寛容でいることが難しい時代は、ないのかもしれない。何も他国のことだけではない。依怙地な指導者
の下では、他人
の心を理解しようとすることが馬鹿らしくなると思えるのかもしれない。特に、敵と味方を区分することが好きな指導者の下では。
この雑感で、このような生真面目なボヤキを出すのは望むところではないのだが、ある指導者が、他国の文化に口を出し、貶めるようなことを平気で口外する
のを知って、とっても恥ずかしい気持ちになって、一言いいたくなった。私が言うまでもなく、そのような他国文化への攻撃は、当然反撃があるわけだが、こん
なサイトが立ち上がっていた。
http://www.classes-de-francais.com/ishihara/jp/index.html
たくさんの優れた数学者を輩出している国民と自尊心の強い国民文化への攻撃だから、当然の反撃だろうと思う。
この、他国の文化への理解、というのは、その場合は「数の言い表し方」
という文化についてなのだが、それは単に「90という数を、4x20+10という風に言い表す」という、ある国民にとっては「面倒な」と思える表現法を、
「数の勘定が出来ない」と貶めるのは、文化を理解しようとしない依怙地な思想から来ていると思わざるを得ない。単なる政治的な「いいがかり」かもしれない
が。。。
それでちょっと他国の言語の数体系に興味を持った。次のようなサイトがあるので、便利なのだが、調べて見ると大変面白い。
http://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/numberj.html
件の国の数体系は、昔その言語の勉強を始めた当初は私自身、確かに「なんて面倒な」言い方なのだろう、と思った。言語としては、それはとっても論理的な
言語なのに、なぜ数の言い方ではこんな面倒な言い方をとっているのだろうと。
上の、言語の数体系のサイトで、他の国の数の読み方を見てみると、本当にたくさんの言い方があるなぁ、と感心する。なかでも古い言語体系では、20進法
を使っていることが多いことに気付く。面白いのは、アイヌ語である。
これも、数の数え方は20進法らしい。アイヌ語では、80のことを4x20と表現するそうだ。スコットランド語でも20進法であるし、アステカ文明のアステカ語でも20進法であるそうだ。上記のフランス語では、20進法と10進法が混じっているので、歴史的なものなのだろ
う。もっと面白いのは、
グワンダラ語ニンビア方言は12進法なのだそうだし、デンマーク語で
は分数を20進法の中に組み入れている。例えばデンマーク語では、90を4.5x20と表現する。なんと面白いことだろうか!
0を作ったインド・ヒンディー語ではどうかというと、まるで100
進法で、1〜100まですべて暗記する必要があるようだ。さすが、数学の大天才・ラ
マヌジャンを生み出した国である。「数を数えるのが面倒な国だから、数を勘定できない言語だ」などと言ったら、インドに対して大変失礼であ
ろうし、天に唾するようなものである。数の「とらえ方」は、読み方とは関係ない。数は、数なのである。
だからまさに、数の数え方・読み方は、国民・民族にとっての文化なのである。
なぜ昔、20進法が取り入れられているかというと、便宜的に手と足の指の数合計20をもとにした、ということが普通考えやすい。タコが数を作った
ら、たぶん8進法(2本足で歩くらしいから2進法かも?)なんだろうな(2nでかなりデジタル!)。ムカデは20進法か。ただ、ヒ
トの場合、20進法は、足の指を使うので、もし靴を履いてしまったら足の指は使えないぞ。そしたら、手の指しか使えないので、10進法が便利、ということ
になるかナ…(冗)。
もちろん、数の概念が頭に入ってしまえば、いちいち指を使うことはし
なくなる。だから、10進法で数えても、20進法が混じっても、100進法を使っても、数を扱う上では何でもいいのである。
他の文化を理解するときは、自国の文化だけをよりどころにしては駄目なのであって、より普遍的な次元で考えないと理解できなくなる。そういう意味で、国際
交流においては高い教養が必要なのであろう。
(2005.07.18)