罰のあり方


 罪と罰。罪を犯せばそれ相応の罰がある、のは世の習い。
ドイツWCが終わり、4年前の日韓大会のときとは違った印象を残しました。4年前は、フランス、イタリア、アルゼンチン、ポルトガルなど、強豪が次々と 散っていった大会で、審判のあり方が色々言われた大会でした。特に、フランスのジダンの調子の悪さには大変がっかりしていました。
 今回は、一応強豪国が残り、決勝の、最後の最後で起こったジダンの頭突き事件とイタリアの優勝で幕が下りました。蹴球というスポーツゲームでのルール違 反(=罪)に罰を与えるのは、審判です。今回の審判は4年前よりはだいぶ良くなった感じで、あれーっ、と思うところも時々ありましたが、全体的には好印象 を与えました。ジダン、特に今回が現役最後の試合となる決勝でのジダンには、僕も期するところ大で、準決勝までのその素晴らしいパフォーマンスには、ただ 感動、でした。彼以外でも、ベテランたちの活躍と、これまたわくわくさせてくれる若手の活躍の両方が、今回の大会を盛り上げてくれたのでは、と思っていま す。その意味で、個人的には寝不足の体調不良を補って余りある感動と教訓を、得た気分でした。
 その中での、大変残念なことに、ジダンの退場劇。。。彼は確かに、ゲーム中の暴力行為というルール違反を犯し、レッドカード、即退場という罰を受けた。 サッカーのゲームでは少なからずある風景で、それだけでは、あっ、またかいな、という感じで終わってもいい場面ではありますが、あにはからんや、相手はあ のジダン。それも引退試合での。ジダンのファンと しては、どんなことがあってもあんたを守ってやる、と思ったことでしょうし、僕も思いましたよ。
 世界のメディアもインターネットのコミュニケーションサイトも騒ぎ立て、何を言われたのか、をめぐって憶測が飛び交い、最 終的には(日本では)21日に報道された、FIFAでの裁定でひとまず終止符が打たれたのでした。両成敗でしたが、MBP賞の剥奪は無し。
 たぶん、この問題は、結構尾を引く問題じゃないかな、と思います。4年前のWCでは、審判が買収されているのでは、というような憶測がありましたが、今 回は別のところで、イタリアのサッカー界での買収をめぐるスキャンダルが発覚し、一流チームが二部落ちなどの制裁を受けたのは、このドイツWCのすぐあと でした。これから4年後、南アでの大会では、今回以上に「差別問題」がクローズアップされるのは間違いないでしょう。特に、巨額の金が動く、サッカーとい う世界では、様々な国々の人々が活躍している世界だけあって、この問題にはますます敏感にならざるを得ないでしょう。
 ゲームの中での、相手を挑発するような言葉は、サッカーというゲームの中では良く飛び交うものだ(だから挑発されるほうがいかん)、という観方がありま す。一般的にはそうでしょうね。しかし、言葉にはやはり、節度というものだあるべきだと思います。節度を越えれば、言葉は手で殴る以上の暴力的なことにな り、心に深い傷を負わせることもあります。何を言っても良いわけはありません。戦術としての言葉による挑発があったにしても、それが別の暴力を生み出し、 挑発されたほうが罰を受ける、というのは、衆人環視のもとでやる蹴球の品位を貶めるだけのことで、その場合は挑発したものも罰を負わねばならない、という のは、結局今回のFIFAの裁定にある考えでしょう。僕もそう思っていましたから、納得します。
 それにしても、ジダンは何を言われたのか?まだ世界中の人は気になっていると思いますが、それは結局は当面どこにも明らかにはされないでしょう。こう なったら、ピッチの周りに数十の高感度マイクを埋め込み、客席にもきわめて指向性の高い高感度マイクをフィールドに向かって10箇所ほど設置しておき、そ れらをすべて記録し、映像と一緒に保管し、様々な問題が起こったらそれを証拠として裁定に使う、というようになったらいいんじゃないの、とも思いました。 そしたら、誰がどんなことを言っていたのか、人種差別的な言葉は無かったのか、などを客観的に判断することができます。あの時、中田はxxに何と言ってい たのか、なども判ってくるし、面白いのでは、とも思いましたが、しかし、とも思います。ここまで、監視されている下でのゲームになると、サッカーとしての 人間味のあるゲームがある意味、面白くなくなる(プレイヤーとしてもファンとしても)可能性もあります。
まだまだ成り行きを見守って行きたいと思います。



 罰といえば、スポーツではないですが、研究資金をめぐって大学でも話題になりました。IUPACの副会長という要職にあった人で、金属錯体を使った遅延 蛍光によるバイオイメージングの研究は僕も注目していた方でした。当然、資金もかなり潤沢であった、政府の審議機関の委員も兼ねていた方が、このように公 金を不正流用していた(「勤務実態のない学生らのアルバイト代として大学に振り込ませた約1472万円を、自分の銀行口座に還流、うち900万円は投資信 託で運用していた」公金横領?詐欺罪?)らしい。まだ最終的な裁定が下ったわけではないので、どのような罰が下るのかはわかりませんが、このような大学で の研究活動という「衆人環視」ではないところで公金がどう使われているか、を正確に見通すというのは、サッカーゲームなどよりはるかに困難なことでしょ う。ただ、客観的な金の流れは明確にはなるでしょうから、それがなぜ、どのような意図でなされたのか、というのが明確にされなければなりませんが、まだ本 人の口から明らかにはされていないようです。
 これらのことも、サッカーと同様、アメリカなどでは過去にはよくあったこと、で済ませてはいけないことですが、巨額のお金が大学の研究をめぐって動く(サッ カーほどではないにしても)時代にはなっても、厳しいルールや制度がこの日本にはあまりない、というのも可笑しな話です。ただ、こういう お金にまつわる問題が起こってくるのは、個人の資質だけの問題ではなく、そのような行為を行いやすくする(株や投資ファンドなどを推奨する流れ)社会状況 やチェック制度の不備、外部資金稼ぎに精を出せ、知的財産を重視せよ、という学問世界とは異質な環境が推奨される状況が背景にある、という点も無視すべき では無いと思います。(ただ、上のような研究資金も地位もあるような人が個人資産の増殖に走るというのは、やはりちょっと異質ではありますが。)



 大金が動くサッカーという世界、同じく大金が動くようになった科学研究の世界、といっても、それは小さな世界でのこと。その小さな世界だけで生きようと すると、どうしても世間的には非常識な世界となってしまいますが、その周りには、細い糸であっても繋がっているファンなどたくさんの一般の人々がいること を、常に意識しないといけないでしょう。それらの人々がいるからこそ、自分がその世界で生きていかれるんだ、という意識。「ファンこそ、わが命」、といっ たという選手がいましたが、大学での研究世界でも、そういう意識が大事じゃないか、と思う今日この頃、、、暑い中ご自愛の程お祈りいたします。
 あと1ヶ月ほどで学会大会がありますの で、皆さんのためにしっかりと準備していきたいと思います。

(2006.07.23)