当たり前であったこと
世の中には、みんな当たり前のようにやっていたことが、ある日突然無くなってしまう、なんていうことが起こることがありますね。時々、というほどではない
にせよ、極めて稀ということでもないくらい。そういう時起こるのは、大きな喪失感と、異世界感。なんか、いつもと違うという違和感。
六月はじめに、NHK-FMラジオで日曜日の朝にやっていた「20世紀の名演奏」コーナーの進行役をされていた黒田恭一さんが亡くなりました。もう長いこと黒田さんの奥深い音楽に対する知識と愛情を、その時間に届けてもらっていて、最後には、「お気持ちさわやかに、・・・お過ごしください。」という言葉で締めくくられた至福の2時間(うたた寝の2時間なのですが・・・)を過ごし、さわやかな日曜日を過ごすという習慣が、消えてしまったときの喪失感。
このようないつもと違う世界が立ち現れてくる、というのは、この100年に一度という大不況のこの頃、世界の至る所で起こっているのでしょう。あの、世界の自動車企業、GMも破綻するくらいですから。
この大学の中でも、もう長いこと習慣になっていた15回の授業をやって2単位の講義とする、ということに、なんと「お上から」異議が唱えられてきている、
ということも、そんな当たり前だったことが変わってしまうことへの違和感の一つでしょうか。いつもは、15回目に定期テストをやっていたのが、テストは
「授業ではない」ので15回目も授業をしなさい、ということらしい。そしてテストをするなら16回目にしなさい、ということらしい。まあ、そもそも論は、
あとにするとして、僕たちにとっては15回が16回になったとしてもたいしたことではありませんが、他の学部、特に教育学部のように休み期間中もいろんな
仕事を目白押しでやっている人たちにとっては、結構おおごとらしい。また、非常勤講師にも、増し料金を払う必要が出てくるので財政圧迫の要因にもなると
か。1回ぐらい座学を増やしてどうなるものでもなし、何で今頃、という気もしますが、他の大学(特に新設学部)では、既に16回授業が多くなっているらし
い。とか聞かされると、人は普通、バスに乗り遅れるなとばかりに、大して批判もせずに流れていってしまいます。それが、最近の大学。面白くもなんともな
い。
では少し、そもそも論を。
そもそも、この大学の授業時間数と単位数は、大学設置基準で決まっています。つまり、大学で決める、とはなっていますが、例えば、講義の授業の時間数は、
15時間~30時間をもって1単位とする(実験実習などは30時間~45時間)、となっています。ある程度の幅を設けて、大学独自の判断の自由度をみとめ
ているわけです。
普通の授業の講義では、2単位が通常ですから、最低でも30時間の授業をすべきことが決められていることになります。実際に
は、1回1.5時間の授業を15回、つまり15週やるので、22.5時間が実際やっている時間数です。残りの7.5時間は何に使うかというと、授業外
(Out of class)の時間で、学生が予習や復習や、宿題レポートを作成するのに使う時間、ということになっています。(1.5時間は2時間とみなす、という解釈もあるにはあるのですが、設置基準にはかいてありません。)
もし、定期テストは授業の中に含めてはならず、という今回の話が道理だとすると、今までは授業は14週だけだったことになります。この場合は、21時間の
授業時間とういことです。すると残りは9時間で、これが授業外の時間となります。これではだめなのでしょうか?もし、例えば、その授業の中で2回の宿題レ
ポートを課し、2時間かけて学生はレポートを仕上げ、2回の小テストを課しそのために2時間復習に費やし、さらに毎週の授業の復習に15分かけ14回やっ
た場合3.5時間費やし、最後に定期テストに1.5時間復習に掛けたとすると、まさに9時間になるのです。これは、実際僕が普通の授業で、具体的にいつも
やっていることで、なんら無理な考えではありません。
要は、大学設置基準にもちゃんと書いてあるように、2単位であれば「30時間の学修を必要とする内容をもって構成」されるべきな
のが、授業というものなんですね、ということで、学生自身が学んで修得するのに最低必要な授業時間が30時間なのだから、テストという行為が「学んで修得
する」上で必要な行為とするなら、定期テストだって授業の中に組み入れるべきなんだと思いますよ。授業は、イントロ(あるはガイダンス)ではじまり、評価
して成績付けて終わり、です。テスト(のようなもの;ある場合はレポートなど)をしなかったら成績付けられませんからね、普通。
で、
15回目も講義せよ、となったら、僕はたぶん、14回目にテストをやり、15回目にテスト結果を返してテスト解説をして終わり、とするかもしれませんね。
今までは、15回目はテストをしてその結果は学生に返すことはあまりしません(返す時間がとれない)でしたから、最後の仕上げの勉強ができていませんでし
た。16回目にテストをやっても、この問題は解消しませんし。
◇
当たり前であったこと、の話から授業の単位の話に
なりましたが、突然異世界に入り込んでしまう、という話は、小説では普通に、当たり前にあります。話題の村上春樹氏の「1Q84」は、内容が分からないと
いう前評判というか、販売戦略なのか良く分からない点が功を奏して、もう百万部を超えたそうです(2冊ですから2百万部もすぐそこ)。もう一つの過去、あるいは異世界というか、パ
ラレルワールド的な世界は、つい先日読んだ東野圭吾氏の「P13」もそんな話で、僕としては1Q84 より面白いと思っています。
当た
り前であったことも、実は最初はそうではなかったわけで、長い時間掛けてそれに慣れてしまうと、それが無くなった時は凄く違和感を覚える、ということです
が、結局「元に戻る」ということなんですね。もう少しで60歳に手が届く歳になってくると、引退後どうしようか、などということもふと、意識に昇ることが
あります。それは、大きな「当たり前であったことが無くなること」、です。でも、それはやはり、元に戻るための、第1歩なんだと思いますね。還暦とはよく
言ったものです。
(2009.07.03)