先日、NHK総合夜7時半からの番組(“クロ現”)で「若年性健忘症」のことが取り上げられていました。若干の内容は以下のURLの記録があります。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2001/0107-2.html#tue
ここでは、20〜30代の健忘症が増えているという報告があり、そのメカニズムの説明として、大脳の前頭葉の領域である第46野の機能低下があるのではないか、ということが提案されていました。そして、その46野の機能低下は、「記憶の引き出し」力が低下するようになる、と言われており、それは電卓やワープロなど便利な機器に頼りすぎたり他人とのコミュニケーションが非常に少なかったりすると起こってくるのではないか、などということも言われていました。
確かに、そのような「健忘症」と診断が下された症例では大脳の一部の機能低下が起こっているのかもしれません。しかし、それがその一部の領域をあまり使わなかった、すなわち「頭を使わなかった」結果起こったものだ、と結論付けるにはまだ早すぎる気がします。脳の機能低下にかかわる要因は、用不用ということ以外でも、栄養や感染などの環境要因による細胞代謝上の機能低下も関わるでしょうし、遺伝的な要因も関わります。ですから、MRIなどでマクロな病変が見つからなかったとしても分子レベル細胞レベルで正常なのかどうかはさらに研究が必要でしょう。
それにしても、「頭をどう使うか」、という問題が若年性健忘の重大な要因のひとつと提起された意味はあるかもしれません。便利な機器をどう使うか、他人とどうコミュニケーションをとるか、などという問題は、一歩極端な方向に行けば、「ある気質要因を持った個人には」作用が強く現れて重大な問題を生じさせても不思議ではないからです。
これに関連して、若者の理科系離れの問題を思い起こします。
前にもこの雑感に書いたことがありますが、理科離れは結局のところ「考えるのがいやになった」結果であり、「状況の中から抽象的な情報を抽出できない子供が激増し、記憶を上手く引き出せない子供が激増しています」という指摘もあるようです。(高等教育フォーラムより、http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/forum/message/3287.html から)これから敷衍して考えると、「理系離れ」が極端な場合になると「若年性健忘症」として発現してしまう、ということになるのでしょうか?(言い過ぎ?)
「指示待ち学生」の増大、言われないと自分からは積極的にやらない大学生・院生の増大、などはいろんなところで指摘されており、日常化しているようです。小中高の時から「思考力の鍛錬」がおろそかにされた10数年間の結果だというのであれば、大学4年間程度の教育の改革によって修正が効くものか、疑問です。でも、少なくとも、「輪をかけて」だめにするようなことが無いようにはしないといけないでしょうね。
では、どのように、大学での教育で知識量を増やすだけでなく、少しでも「思考力を高める」ことができるようにする方法はあるのでしょうか?学生において、「思考力が低下している」あるいは「頭を十分使っていない」などということが確かに起こっている証拠があれば、その「思考力を高める」教育をどのようにすべきか、ということが、大学の教育の最も重要なテーマのひとつということになります。
ただその場合、いろいろ問題はあります。どのようにしたらその証拠を捉えられるか、どのように「思考力」を測ることができるか?まずこの証拠を定量的に捉えることが出発点となるでしょう。その上で、これまでの授業のやり方が妥当であったのかどうか、今後どうすべきなのか、について評価していくことが必要でしょう。たった数年で有効な方法(個人個人によって違うはず)を見つけるのは至難の業だと思いますが、やらない訳にはいかないでしょう。
医学部で普及しつつある「チュートリアル」教育で、答えをすぐには教えないで学生に十分考えさせるということが本当に可能であれば、工学部などでも採用を検討する必要があるのかもしれませんが、学生の規模などを考えると現実には相当な工夫が必要かもしれません。さらに本質的には、これは大学教育だけで解決するのは無理なはずですから、Back-To-The-Futureとして、中学・高校の教育との連携を取って対処しないといけないのかもしれませんね。それも単発的な連携ではなく持続的で「本気な」連携が必要なのだと思います。
結局、これがうまくいかないことには、大学工学部の本来の目的である「優れた技術者・研究者を育てる教育」は十分には達成されないのだと思います。
(2001.7.18)
メモトップに戻る