暗黙の了解
3月中旬ともなると、入試や卒業研究発表や修論発表などの教務関係の仕事が終わり、新4年生の教室配属も決まり、現4年生は卒業旅行にアルバイトにと散ってしまって学内は閑散として、宴の後のわびしさというか新しき時代への希望というか(そんな大げさではないが)、そんな気持ちが入り混じった複雑な季節となりました。ただ、まだ幾つかの書類書きの仕事が相変わらずあり、気持ちはまだ晴れやかにはなりません。気候も不安定だし、春の足音と共に、軍靴の足音も聴こえるし、、、。
近頃の世の中は、大昔のキューバ危機とか、昔のベトナム戦争の頃の意識の状況とか、湾岸戦争の頃の状況を思い出させて、デジャビュ的な光景が続いています。この数週間の状況を見て、なんか共通する言葉を捜すと、「暗黙の了解」というのがいいんじゃないのかな、という気がして、そんなタイトルをつけてみました。
暗黙の了解、、、別の言葉では、「紳士協定」「あ・うんの心」「不文律」「フェアな精神」など、色んな言い換えは可能でしょうが、まず、サッカーのナビスコ杯で先日あった大分・京都戦、ここで「暗黙の了解」としての「マナー」が破られる事態が起こり、賭け事にも影響したじゃないか、とマスコミが騒いだ事件が、まず発端ですね。前にも書いたと思いますが、サッカーというすごく人間的な、別の言い方では「ええかげんな」競技では、ルールでカバーできるのは一部で、結構マナーとしてやるべきことが多いですね。本当は、だから、審判に絶対的な権限をもたせて、ゲームを仕切らせる権限を与えているわけですが、この前はこれが無かった、というか、マナーに属する行為(ボールの蹴り出し、放り込み、相手に出す行為)にはええかげんにしてやらせたままにしておいた。ところが、それを破る選手が出てきて、皆慌てた。それはそれで、サッカーそのものであり、おもしろい、と私は思います。マナーには反したがルールには反していないし、その後の監督のフェアな行為があったので、別に上からのお咎めは無い、というのも、また面白い。で、こういうのに、真剣に賭け事をするから、真剣にいがみ合うことになるんで、本当の面白さがなくなりますよ。
世の中、このような不文律的なものが多いですね、特に日本には多い。でも別にこれが悪いわけじゃない。慣れてしまえば、いちいち文章化されてたルールよりも気分的にスムース。ただ、これが異文化から来た人には納得がいかないこともある、というのは当然でしょうね。だから、摩擦も起こる。セ・ラ・ヴィ、ですよ。
ただ、サッカーのような競い事、ゲームとは違って、いまの世の中を緊張状態に置いている国家間の「ゲーム」、戦争をやる、やめろ、という駆け引きにも、いろんな不文律が見え隠れしています。大昔には人々の間には戦争に対する「ルール」はあまり無かったわけですが、人類社会の進化の過程で不文律だった事柄を元に、色んなルールを作ってきましたよね。現在も国連という世界規模の組織がなんとかそのルールを見張っていますよね、一応は。ところが一方で、昔戦争を引き起こした「おかしな国」を武装解除しようとして、ホールドアップしている人の体の周りのポケットなどを詳しく調べている時に「怖い武器を持っていないことを証明できない」(だいたいね、「無い事を証明する」というのは難しいのですよ、、)ので撃ち殺しちゃえ、と横からピストルの引き金を引こうとしている人(ネオコン取り巻き)があって、それに対して「もうちょっと待てよ、そこで引き金引いたらルール違反だしフェアでもないぜ」って多くの人が言っている(パパブッシュまでが止めたほうが良いと言ってきている)、という表向きの構図が今、じゃないですか。しかし、裏の構図はもっと複雑で、歴史や金や怨念みたいなものが複雑に絡まりあってきていて、そんなに単純そうには見えませんが、この歴史の重要な一こまに立ち会っている我々としては、表向きの動きより裏の、
些細な動きの方が真実を反映しているような気がします。忍耐がなくなって、抑制の効かなくなっている状態は、1人の人間でも、国家でも、危ういのです。さて、あと1〜2週間、どんな動きなるのでしょうか?キューバ危機が回避されたような、「偉大な決断」はあるのでしょうか?◇
さて話は違いますが、2月から3月にかけて気になる研究者がお2人、亡くなられました。お1人は、京極好正先生で昔阪大の蛋白研に居られた先生です。2月の末に卒業研究の発表があったのですが、うちの学生がイントロで京極らの仕事を紹介して赤外分析の話をしたその日に、京極先生が亡くなられました。その偶然性に驚いたと同時に、そのオリジナリティの高い研究に、改めて思いを馳せました。もう1人は、松本元先生で、ユニークな脳型コンピュータ作りではずーっと注目していた先生でした。ヤリイカの神経の研究あたりから、私の大学院時代から知っていましたし、私の大学院時代の恩師である飯塚哲太郎先生の大学時代の同級生ということでたびたび話は聞かされておりましたから、その型にはまらない自由な発想法にはいつも面白く関心を持っていました。まだ60歳前半で、惜しい方を日本は失いました。哀悼。
さあ、しばらくやっていなかった部屋の掃除でもして、気分を変えようか。
(2003/03/15)