9月初めに富山市であった学会参加したときに泊ったホテルが、各室インターネット用の情報コンセントを持っていたなどという、今では特に取り上げる必要もないような話題から「雑記」を書き始めようかと思っていたやさき、11日のアメリカでのあのテロ事件が起きてしまいました。それからは、政治経済社会がそれ以後に向けて動き出し情報の洪水が押し寄せ、冷静な判断が麻痺しそうです。
この感覚、「似ている!あの○○の時の感じに!」という NHKの朝ドラで時々出しているシーンさながらに、10年ほど前の湾岸戦争開始時期の状況に似ている!と感じずにはおれませんでした。デジャヴュってやつです。どうも今回のテロの 火種はあの10年前に出てきたようで、連綿と続いているようです。あの時は、私はパリに滞在していましたから、この前の「雑記」に書いたように、戦争の恐怖の感覚は肌で感じることができました。空から毒ガスが撒かれる、とかいう噂も信じてしまいがちなほど、ぴりぴりしていた感じです。そして、今回、とうとうここまでやるか、というような状況になってしまいました。犠牲者の方々に黙祷…。まったく酷い状況です。不況も輪をかけて悪くしているように見えますが、しかし、ニュースの端はしに、さすがアメリカ市民だな、という力強さも感じます。テロは建物に火をつけましたが、アメリカの 人々の心にも火をつけたようで、市民はより強くなって立ち上がってくるでしょう。それに黒幕が大富豪の出で、その取り巻きはテロ事件の前に株の先物取引かなにかで大儲けした、などというニュースを聞くと、益々その心の火に油を注ぐようです。
過去の出来事を思い出してみると、1990〜91年の「 湾岸危機」が10年前、そのまた10年ほど前の1979〜1980年にはソ連のアフガン侵攻があったのですねぇ。その頃は、私はアメリカに留学していまして、日本での雰囲気は感じることはできませんでした。そして、その今から20年程前のときに、今のテロの火種のさらに小さな火種が作られていたわけで、10年ごとの歴史の皮肉というべきでしょうか。そして、考えてみれば、この20年間それに関しては 歴史は良いほうには展開していない。さらに遡って考えると、その10年程前の1969〜70年はベトナム戦争末期でしたね。(私たちの大学入試のころで東大入試が中止になった時期でもありますが)ということは、この30年間、大国はほぼ10年ごとに大きな戦争に関わってきたわけですよね。それも中東やアジアという地域、多(異)民族多(異)宗教の地域で。そして、それらの戦争で解決できたものよりも、火種というか恨というか、解決されずに残ってしまったものの方が多いのではないでしょうか。
ただ、それまでの「戦争」はアメリカ国外で行われていたものですが、9月11日以降はアメリカ自身に火の粉がかかって国内が舞台になった、という点は違いますし、これは大きいような気がします。これまでの30年間とは違う事態が進行する気がします。国家対国家の戦争から、「 ネットワーク対ネットワーク」の戦争へ、なんだろうか?もしそうだとすると、それが可能になるのもインターネットとグローバリゼーションのせい、ということになりまして、また歴史の皮肉が見え隠れしています。
身の回りでも、ブロードバンドマンションやインターネットホテルだとか、 100Mbpsを月 2000円台で、というような宣伝文句が盛んに見かけるようになりました。 CATVや xDSL、無線や FTTHなどがどんどん利用されてきて、日本のネットワークインフラは整ってきつつあります(ただコンテンツ面では、相応しい、興味ある有用なものは、まだ少ない。 だから私はまだ、フレッツISDN 、、、と言い訳してみる^^; )。しかし、ここでも「中央と地方」の格差は、昔ほどではないにしても、まだ厳然とあります(問題なのはこれが制度的に固定化されることです )。一方、このような格差はグローバル化しており、富める者は益々富み、貧しいものは益々貧しくなる。不幸にも、この貧しさは、ある地域では、宗教の一部と結びついて「恨」となって澱のように蓄積してしまっていて、ある種の「教育」によって心の中に固定化されているように見えます。人間の業は深い。
話は飛んで身の回りのことになりますが、30年前も、大学はどうなっちゃうんだろう、と思ったものですが、現在まさに「大学はどうなっていくのか」が正念場にさしかかっています。考えるべきことが多いときには、それに輪をかけて考えさせる複雑な要因が増える、ようです。(これはマーフィーの法則にはなかったかな?)世界恐慌などということが起こったら、どうなるのか、まで考え出したらきりがありませんけど、なるようにしかなりません。( 「…ならぬはひとのなさぬなりけり」上杉鷹山)
( 2001.09.24)