分析機器展2000(JAIMA)と講演会

     8月30日から幕張メッセで始まった分析機器展と、分析化学会東京シンポジュウム主催の無料の講演会に参加した。さすが、朝7時に岐阜の家を出ても、幕張に着いたのは10時半頃、それでも11時40分からのメーカー主催の説明会には間に合った。
 展示会では、関係のあるメーカーのところで、新製品を目で確かめ、印象と違う点や改良のことなどをさっそく話し合ったり、いろんなメーカーの各々に工夫したプレゼンテーションを見るのは、面白いし、参考になる。こんなメーカーがこんなものをつくっている、という意外な事実も発見できる。まあ、それなりに役にたった展示会であった。

 ここで本当に述べたいのは、午後からあった「特別講演会」のこと。
演題は二題で、午後2時から「地下鉄サリン事件の解明と分析手法の選択」というタイトルで、科学警察研究所所長の高取建彦氏が話されたのと、午後3時15分からは「21世紀の日本、科学技術立国と教育」というタイトルで前東大総長・前文部大臣科学技術庁長官の有馬朗人氏による講演であった。

 どちらも大変印象的なお話で、これを聴けただけでもめっけもの、という感じの感動的なお話ではあった。
高取氏の、サリン事件の被害者からサリンの代謝物を検出することがいかに困難であったか、それでも犯罪を立証するためにも少ない試料でどんなに工夫して検出していったか、という大変感動的なお話であった。私にはこういう毒物の知識はあまりないが、サリンが4人の人の名前の頭文字からとったものである、などという話は知らなかったし、その化学構造も知らなかった。アセチルコリンエステラーゼの酵素の活性部位にあるセリン残基にリン酸基で結合するのだ、とか、アルカリフォスファターゼでは48時間でやっと切れるのだ、とか言う話も、事件が悲惨であってもそれを超克して化学をやるものとしては知っておくべき事柄だな、という印象を深くした。分析手法は、酵素に結合したサリンを、トリプシンで酵素を切って反応しやすくしてはずし、TMS化して通常のGCMSにかける。いろいろ工夫をしてようやく検出に成功した時の気持ちは、推して知るべし。
 PAMという解毒剤も、agingしたサリン酵素複合体には効かない、とか、PAMは脳血液関門を通らないので、脳に入ったサリンには効き目がないとか、今さらながらその毒物のおそろしさを思い知った。
 この日本ですさまじいサリン中毒の人体実験が行われたことになるわけだが、外国の政府機関の危機管理センターはすごく注目して科学的データの情報を集めたとか、日本ではもっと有効な解毒剤の開発に積極的ではないとか、いう話を聞くと、日本政府の危機管理の遅さがまた浮かび上がった格好だ。話が終わってから、会場から質問があって、政府に期待できないとなると、自分で身を守るにはどうしたらいいか、というとんでもなく難しい質問が出たが、それがわかっているなら、苦労はしない。
 直感的に、「危ない!」って感じたら、確かめる前に、うそでもその場から一目散に逃げること、できるだけ速く、ということかな。だから、日頃から、脱兎のごとく逃げる訓練はしておいたほうが良いというのが、私の印象。だけど、年令がね、そうもいかないけど。

 それから、有馬氏の話も、話が大変お上手なだけに、内容もだが、話し方を勉強させていただいた。間の置き方、洒落の入れ方が絶妙だった。内容としては、最初、今の子供の学力が落ちている、といわれるが、本当か、ということで、科学者らしく色んな調査データを示して、小学生に関しては殆ど変わっていない、というデータを示された。それはそうだろうな、と思う。こんなに短期間に脳の構造が変わるわけ無いから。いくら、食べ物が変わったといっても。ただ、心配なのは、ということで、中学生の進路希望調査で、将来どんな仕事をしたいか、という質問で、かなり多くが「平凡な生活を」とか「家庭円満に過ごしたい」とかいう答えが多かったことに、有馬先生はいたく心を傷められた様子。なぜもっとアフリカの餓えた子供達を救う仕事がしたい、とか夢のあることを言わなくなったのか、と。でも、私はこれで子供を責めるのはしょうがないと思うな。だって、これは、親の気持ち、そのままだから、というか、社会の気分、というものでしょうか。
 しかし、これから、化学の場合でも、理科教育とか、考える、考えさせる教育を、是非とも大学人は考えてくれ、という訴えには特に心がこもっていたので、少し感動。理科離れ、というが、実際は、考えるのがいやになった、ように見える、という説には賛成だ。しかし、これも、原子力事故とか、医療事故とか、その他、いろんな科学技術の悪い面がどんどん出て来ている、昨今、(いや、もう四半世紀以上も前からの公害問題から引きずっている)こういう厭科学というような雰囲気が、否が応でも子供の(といっても中学から高校)心に反映しているのかも知れない。むしろ、やっぱりこれまでの科学技術政策の問題、といって片付ければ簡単だけど、私にもその「罪」の一端はあるのかも知れないなぁ。大学で研究してきて、しかしそれについては何もしてこなかった者として。

 そういうことで、どれも大変良い講演でした。4時半前に、会場を出て、岐阜に帰り着いたのは、8時10分頃でした。
(2000.8.31)