風薫るはずの5月も哀しみの色
東日本大震災から2か月半経ちましたが、まだまだ明るい光が見えてきません。
東
北の各大学も遅れていた授業なども開始され、ほぼ日常的な生活を取り戻している人も多くなっているようですが、10万人以上の被災者の生活はまだまだ復旧す
らできていませんし、津波や地震による被害を受けた土地もまだまだ瓦礫が覆い修復も進んでおらず哀しみの色で覆われています。福島原発の事故以来避難を余
儀なくされている人たちも多く、原発の廃炉に向けた工程の第一歩すら踏み出せずにいる状況で(東電から隠されていた情報がまだ少しずつ出てきている段階だ
し放射能汚染水の処理すら目途が立ったとは言えない状況)、まだまだ先が読めません。福島だけでなく、日本中、世界中が哀しみの色に染まっているようにみえます。
そんな中、5月8日に96歳になったばかりの父が逝去し、告別式に参加するために11日に福島に戻りました。3月の初め、大震災の5日前に寝起きのできていた父を見
舞って、そして大震災がおこり、寝たきりになっていた父や福島の家族を遠くから心配する日々が続き、5月連休の時にも戻りましたが、その時はもう意識が
戻ってこない状況でした。そして5月8日に、眠るように死去。生前の本人の希望もあり、遺体は大学病院に献体されましたので、家族の元に遺骨が戻ってく
るのは1年以上経ってかららしいので、今後も普通の法事ではなくなります。ついぞ父からは現在の福島の被災状況についての意見を聞くことができませんでし
たが、震災で亡くなった2万人を超す人々の霊と一緒になって、この空から東北の、福島の人々の心配をしてくれていることでしょう。
生き残っている私たちはいつまでも嘆いている時間はありません。次の世代に繋がる良いものを、創造し、残すべく知恵を絞らなくてはなりません。
次世代のエネルギー技術の研究を、今ほど力を入れて進めなければならない時期はないでしょう。これは、生命科学をやっているものでも、物質科学を研究して
いるものでも、環境科学を本業としている研究者でも、研究を生業としているものは皆、多かれ少なかれ知恵を出していく必要があると思います。
生
命科学とエネルギー技術、あんまり関係ないんじゃないの、と考える人も多いかもしれませんが、生命がこの地球上に誕生して38億年、生命体ほど上手にエネ
ルギーを使ってきたものはいません。人間が火を使いエネルギーを生み出せるようになって100万年、文明を作り出してからせいぜい数千年しかたっていない
のですから、生命体から学べるエネルギー技術というのはたくさんあるはずなのです。また、人間は生きているだけでたくさんのエネルギーを消費しています
(が、現在では消費するよりも、脂肪としてため込む人が多くなっていますが)。
例えば、4人の男性がジョギングで1Km
走った場合どれだけ二酸化炭素を排出するかというと、約100gなのですが、これは4人乗せてハイブリッド車が1Km走るときの二酸化炭素排出量95gよ
りも多いのです。(日経サイエンス7月号)それだけ新しい技術の車は環境に「やさしくなった」とも言えるのかもしれませんが、同誌に今後の新エネルギー技
術のことを考えている特集(米国エネルギー省が助成しているモノ)が載っています。そこに書かれてあるのは、7つの技術。1.核融合で起動する原子炉、2.ソーラーガソリン、3.量子太陽電池、4.ヒートエンジン、5.衝撃波エンジン、6.磁気で冷やすエアコン、7.クリーンな石炭。
このうちどれくらいがモノになるかは、まったくわかりませんが、この分野(環境エネルギー分野)の研究者には、ヒトの身体自体をエネルギー発生源として利用しようという発想はないようです。
それら提案されている技術の中にはやはり新しい原子炉技術がありますが、原子力技術自体まだ100年ぐらいしか経っていない幼い技術なので、人類が火力を
使いだしてから100万年以上経っているのですから火力技術に比ぶべくもありません。原子力はまだ人類が完全に制御できる技術ではありません。そんな幼
い技術で、まだまだ安全な技術とはいえないことが明白なった原発に、日本のような地震国の供給エネルギーの4割も5割も任せようという方針自体がおかしい。そ
れも地震や外的要因で制御不能に陥る可能性があり、その危険性をいろんなところで指摘されても(国会ですら)、無視して、「絶対安全」として宣伝して巨額
の金を使ってきた電力企業や政府やその「専門の科学者」たちは、なんとかならんのか。
原発事故は、生体細胞の病気に例えれば、炎症を起こし壊死
して周りの細胞も傷害してしまっている状況と似ているかもしれません。壊死がひどくなれば臓器ごと取ってしまう外科手術が必要になることもあるでしょう。
周りへの影響が大きすぎる。一方、生体細胞には「事故」を起こした場合自殺してその細胞だけが死んで除去されるという、非常にスマートな仕組みもありま
す。この場合は、周りにあまり被害を及ぼさない。
原発は、事故が起こった場合必然的に核分裂によって生じた危険な(人間にとって)放射性物質を
大量に巻き散らかすことになるのですが、それを制御することが現在の人類の最高の技術をもってしてもなかなか難しい、ということがFukushima原発
事故を見ればよくわかります。
もしかすると、人類はこの先数千年も生き延びることはできないのかも知れません。しかし、それ以上生き延びること
ができる場合があるとすれば、それは今以上の非常に強力で安全なエネルギー技術を手に入れた時かもしれません。生命の進化の中で、単細胞だけの世界ではと
ても危険な廃棄物であった酸素を、ミトコンドリアを手に入れた新しい細胞は利用し、そのことによって新しいエネルギー技術を手に入れた生命は大きく進化で
きるようになりました。原子力を手に入れた人類のよう、と例えることができるかもしれませんが、大きく違うところがあります。強力だが危険な活性酸素を生
み出すこともあるミトコンドリアを手に入れた一つ一つの細胞は、それをうまく制御する機構を手に入れて、もしミトコンドリアが事故ると、その細胞は一つ一
つ周りに迷惑を掛けずに死んで、自然と除去される仕組みを多細胞生物は備えることができるようになりました。ところが、原子力の場合、出てくるたくさんの
放射性物質を処理し無くす安全な技術はありません(貯めて地中に深く埋めるしか、ない)。
もし、そのような強力であっても危険なものをうまく制御できるエネルギー技術を人類が手に入れることができた時、それが人類と地球の新時代の幕開けになるのかもしれません。不可能かもしれませんが・・・。
(2011.05.30)