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『トリストラム、シヤンデー』

夏目漱石




 今は昔し十八世紀の中頃英国に「ローレンス、スターン」といふ坊主住めり、最も坊主らしからざる人物にて、最も坊主らしからぬ小説を著はし、小説の御蔭にて、百五十年後の今日に至るまで、文壇の一隅に余命を保ち、文学史の出る毎に一頁又は半頁の労力を著者に与へたるは、作家「スターン」の為に祝すべく、僧「スターン」の為に悲しむべきの運命なり、
 さはれ「スターン」を「セルバンテス」に比して、世界の二大諧謔家なりと云へるは「カーライル」なり、二年の歳月を挙げて其書を座右に欠かざりしものは「レッシング」なり、渠(かれ)の機智と洞察とは無尽蔵なりといへるは「ギヨーテ」なり、生母の窮を顧みずして驢馬の死屍に泣きし「バイロン」謗(そし)れるが如く、滑稽にして諧謔ならざるは「サッカレー」の難ぜしが如く、「バートン」「ラベレイ」剽窃する事世の批評家の認識するが如きにせよ、兎に角四十六歳の頽齢(たいれい)を以て始めて文壇に旗幟(きし)を翻して、在来の小説に一生面を開き麾(さしまね)いで風靡する所は、英にては「マッケンヂー」「マン、オフ、フーリング」となり、独乙(ドイツ)にては「ヒッペル」「レーベンスロイフヘ」となり、今に至つて「センチメンタル」派の名を歴史上に留めたるは、仮令(たとい)百世の大家ならざるも一代の豪傑なるべし、
 僧侶として彼は其説教を公にせり、前後十六篇、今収めて其集中にあり、去れどもは単に其言行相(あい)背馳して有難からぬ人物なる事を後世に伝ふるの媒(なかだち)となるの外、出版の当時聊(いささ)か著者の懐中を暖めたるに過ぎねば、固(もと)より彼を伝ふる所以(ゆえん)にあらず、怪癖放縦(かいへきほうしょう)にして病的神経質なる「スターン」を後世に伝ふべきものは、怪癖放縦にして病的神経質なる「トリストラム、シャンデー」にあり、「シャンデー」程人を馬鹿にしたる小説なく、「シャンデー」程道化たるはなく、「シャンデー」程人を泣かしめ人を笑はしめんとするはなし、
 書は始め九巻に分ちて天下に公にせられ、題して「トリストラム、シャンデー」伝及び其意見といへり、去れば何人にても此九巻の主人公は「シャンデー」といふ男にて、巻中細大の事、皆此主人公に関係ありと思ふべし、所が実際は反対にて、主人「シャンデー」は一人称にて、「余が」とか「吾は」とか云ふにも係はらず、中々降誕出現の場合に至らざるのみならず、漸く出産したかと思へば、話緒(わしょ)は突然九十度の角度を以て転捩する事一番、何時垂直線が地平線に合するやら、読者は只鼻の穴に縄を通されて、意地悪き牧童に引き摺らるゝ犢(こうし)の如く、野ともいはず山ともいはず追ひ立てらるゝ苦しさに、偖(さて)は「シャンデー」を以て此書の主人公と予期したるは、此方の無念にて著者の過(あやま)りにてはなかりき、と思ひ返すに至るべし、主人公なきの小説は、固より面白き道理なし、但「サッカレー」「バニチーフェアー」許(ばか)りは、著者自らの云へる如く、此種の小説に属すべきものなれど、去りとて「シャンデー」の如く乱暴なるものにあらず、可憐なる「アミリヤ」、執拗なる「シャープ」、順良敦朴(とんぼく)なる「ドビン」より傲岸不屈の老「オスバーン」に至るまで、甲乙顕晦(けんかい)の差別こそなけれ、均しく走馬燈裏の人物にして、皆一点の紅火を認めて、此中心を廻転するに過ぎざれば、仮令(たとい)主人公なきにせよ、一巻の結構あり、錯綜変化して終始貫通せる脈絡あり、「シャンデー」は如何、単に主人公なきのみならず、又結構なし、無始無終なり、尾か頭か心元なき事海鼠(なまこ)の如し、彼自ら公言すらく、われ何の為に之(これ)を書するか、須(すべか)らく之を吾等に問へ、われ筆を使ふにあらず、筆われを使ふなりと、瑣談小話筆に任せて描出し来れども、層々相依り、前後相属するの外、一毫の伏線なく照応なし、篇中二三主眼の人物に至つては、固より指摘しがたからず、「シャンデー」の父黄巻堆裏(こうかんたいり)に起臥して、また其他を知らず、叔父「トビー」「リー、ハント」所謂(いわゆる)親切なる乳汁の精分もて作り出されたる「トビー」)は園中に堡寨(ほうさい)を築いて敵なきの防戦に余念なく、其他には不注意不経済なる僧「ヨリック」あり、一瞥(いちべつ)老士官を悩殺せる孀婦(そうふ)「ウワドマン」あり、皆是巻中主要の人物なれども、彼等は皆自家随意の空気中に生息して、些(いささか)の統一なき事、恰(あたか)も越人と秦人が隣り合せに世帯を持ちたるが如く、風(ふう)する馬牛も相及ばざるの勢なり、嘗て聞く往事西洋にて道化を職業として、大名豪族の御伽(おとぎ)に出るものは、色々の小片を継ぎ合せたる衣裳を着けたるが例なりとか、「シャンデー」は此道化者の服装にして、道化者自身は「スターン」なるべし、
 此道化者は此異様の書き振りを以て、電光石火の如く吾人面目を燎爛(りょうらん)しながら頗る得意となつて弁じて曰く、吾が数(しばし)ば話頭を転じて、言説多岐に渉るは、諸君の知る如く少しも不都合なき事なり、大英国の作家にて横道に入る事余の如く頻(しき)りなるはなく、外れた儘にて深入する事余の如く遠きはなし、されども家内の大事務大事件は、留守中にても渋滞なく裁断処理し得る様用意万端調はざるなしと、又曰く、余の話頭は転じ易し、されども亦進み易しと、吾人は其転じ易過ぎるに驚くのみ、進み易きに至つては焉(いずく)んぞ之を知らん、
 此累々たる雑談の中にて、尤も著明なるは「ヨリック」の最期「スラウケンベルギウス」の話、悽楚(せいそ)なる「ル、フェヴル」の逸事、噴飯すべき栗の行衛(ゆくえ)、等にて個々別々のものとして読む時は、頗る興味多けれど、前を望み後を顧みてある聯絡を発見せんとすれば、呆然として自失するの外なし、而も是作者最も得意の筆法にして、現に第八巻のある篇の如きは冒頭に大呼して曰く、天下に書物を書き始むるの方法は沢山あるべけれども、吾が考にてはわれ程巧者のものはなしと思ふ、啻(ただ)に巧者なのみならず、又頗る宗教的なりと思ふ、何故と問て見給へ、第一句目は兎に角自力にて書き下せど、第二句目よりは只管(ひたすら)神を念じて筆の之(ゆ)くに任じて其他を顧(かえりみ)ざればなりと、第一巻廿三篇に曰く、われ出鱈目に此篇を書かんと思う念頻(しきり)なり因(よっ)て書き流す事下の如しと、下に出で来る事柄は大抵予想すべきのみ、かゝる著者なれば厳格なる態度と真面目なる調子とは、到底望むべからざるは勿論の事にて、現に「スターン」自身を代表せる篇中の人物と目せられたる「ヨリック」を写し出すには、左の言語を用ゐたり、  
 「ヨリック」時としては其乱調子なる様子を以て、厳粛を罵つて不埒の癖物(くせもの)と呼び、厳粛とは心の欠点を陰蔽する奇怪なる身体の態度なりてふ、昔し仏の才人某が下したる定義を崇拝し、願くは金字を以て此義を繍(ぬ)はん抔(など)不注意にも人に洩す事あり、
 既に真面目を厭ふ以上は、泣かざる可らず、笑はざる可らず、中庸を避けて常に両端を叩かざる可らず、
 「スターン」が書中には笑ふ可き事実(じつ)に多し、其尤も単簡なるものは、出来得べからざる事を平気な顔色にて叙述するにあり、例へば「ヨリック」の作れる説教を読めと命ぜられたる軍曹「トリム」が、如何なる身繕(みづくろい)して彼等の前に立ちしか、「スターン」事もなげに記して曰く、彼は体の上部を少しく前方に屈して立てり、此時彼の姿勢は地平面上に八十五度半゜の角度を画けりと、敢て問ふ半とは何処より割り出したる計算なるか、
 次には無用の文字を遠慮なく臚列(ろれつ)して憚らぬ事なり、例へばA、B、C、D、E、F、G、H、I、J、K、L、M、N、O、P、Q等の諸卿(しょけい)馬に騎して整列するを見るときは抔(など)いふが如く、何故AよりQ十六字を妄(みだ)りに書き立てたるかは、奇を好む著者の外何人も推測し得ざるべし、
 次に笑ふといはんよりは、寧ろ驚くといふ方適当なるべきは、常識の欠乏せる事なり、「トリストラム、シャンデー」を開きて先づ一巻より、二巻に至り順次に読了して九巻に至れば、其内に二枚の白紙あるを認め得べし、此二枚は巻末巻首の余白に非ずして、鼇頭(ごうとう)に第○○篇と記せるを見れば、明かに白紙を以て一篇と心得べしと云ふの意なるべし、心を以て tabula rasa に比したる哲学者あるを聞きぬ、未だ白紙を以て一篇となせる小説家を聞かず、之れ有るは「スターン」に始まる、而して「スターン」に終らん、
 白紙は猶(なお)可なり興に乗じて巫山戯(ふざけ)るときは、図を引き線を画して、言辞の足らざるを説明する事さへ辞せず、「人間にして自由なる以上」はと「トリム」大呼して杖を揮ふ其状左の如し、

 「一巻より五巻に至るまで吾説話の方法は頗る不規則にして頗る曲折せり第六巻に至らば遂に直線たるを得べし今其経過の有様を曲線にて示せば左の如くなるべし」と、図あり之を掲ぐ、

 「ウォルター、シャンデー」の奇想に至つては、真に読者をして微笑せしむべく、絶倒せしむべく、満案の哺(ほ)を噴せしむべし、「ウォルター」は人の姓氏を以て吾人の品性行為に大関係あるものとせり、其説に曰く「ジヤック」と「ヂック」と「トム」とは可もなし不可もなし、中性なり、「アンドリユ」に至つては代数に於る「マイナス」的性質を有す、0よりも不善なり、「ウイリアム」は中々善き名なり、「ナムプス」は云ふに足らず、「ニツク」は悪魔なり、然れどもあらゆる名字中にて最も嫌ふべく賤しむべきは、「トリストラム」なりと、時としては非常の権幕にて、相手を詰問すらく、古来「トリストラム」なる人にて、大事を成したるものあるか、有るまじ、「トリストラム」! 出来る筈がないと、「ウォルター」又古書を愛読す、其妻懐胎して蓐中(じょくちゅう)に臥する時、頻りに虫喰みたる産学書を参考熟読して以て其蘊奥(うんおう)を究め得たりとなす、其説に曰く、胎内の小児を倒(さかさ)まにして足より先に引き出す時は、前脳後脳の為に圧迫せらる事なくして、後脳の方前脳に窘搾(きんさく)せらるゝに過ぎざれば、危険の虞(おそれ)なくして頗る安全なりと、是より種々研究の末、子を生むに最も大丈夫なる方法は、母の腹部を立ち割るに在りと断定し、数週間色々屈托して考へたる後、或日の午後遂に妻君に腹部切開の法を物語りけるに、無論賛成と思いし産婦は見る/\顔色を変じて死灰の如くなりければ、残念ながら切角の手術も施こすに由なくして已みぬ
 「トビー」の真率にして無智なるに反して、「ウォルター」の独りして学者めかしたる、亦読者をして屡(しばしば)失笑せしむるに足るものあり、「ウォルター」の子外国に死して、其報家に達するや、「ウォルター」其弟「トビー」を顧みて、左も勿体らしく説き出して曰く、「是(これ)免る可らざるの数なり「マグナ、カータ」の第一条なり、変ず可らざる議会の法なり、若(も)し我子にして死なざれば、其時こそ驚きもすれ、死したりとて驚く事やはある、帝王も公子も死なねばならぬが浮世なり、死は天に対して借銭を払ふに過ぎず、租税を納むるに異ならず、永久に我等を伝ふ可き筈の墓碣(ぼけつ)さへ、紀念碑さへ、此租税を払ひつゝあり、此借銭を返しつゝあるではなきか、富の力に因り、技術の力に因りて成れる、世界の最大紀念碑三角塔(ピラミッド)さへ、頭が剥げて地平線上に転がるではなきか、国も郡も都も町も皆悉(ことごと)く進化するではないか」進化といふ語を聞きて叔父「トビー」は煙管(きせる)を下に置きて、「ウォルター」を呼び留めぬ「ウォルター」は直ちに正誤したり、「いや変化の意味ぢや変化といふ積りぢや」、「進化では通じません様で、少しも分らんと思ひます」「然し此大切な処で、横合から口を入れる抔は猶々分らんではないか、後生だから、頼むから、此肝心の処丈(だけ)遣らして呉れ」叔父は再び煙管を啣(ふく)みぬ、「「トロイ」は何処にあるか、「シーブス」「デロス」乃至(ないし)は「バビロン」「ニネヴエ」、太陽の照す処で最も美しかりし国は皆亡びて、残るは空しき名のみではないか、其名前さへ様々に綴り損ねて、遂に忘れられるであらう、聞けや「トビー」、世界其物も遂には破壊する事あらん、われ亜細亜(アジア)より帰る時、「レヂナ」より海に航して「メガラ」へ渡る時、(いつ左様な事が有つたかと、「トビー」は窃かに不審なり、)眦(まなじり)を決して周囲の地を見たるに、「レヂナ」は後に在り、「メガラ」は前にあり、「ピレウス」「コリンス」は左右にあり、繁栄無双と称せられたる通邑(つうゆう)大都は、落寞として往時の光景を存せず、嗚呼嗚呼(ああああ)かゝる壮厳のものすら、土中に埋没して眼前に横(よこた)はるを、一人の子に先立れたりとて、何条(なんじょう)我心を乱すべき、汝も男ならずや、男なりと独り己れに語りたる事さへありき」質直なる「トビー」は、此感慨は全く「ウォルター」自身の感慨にて、昔し「サルピシアス」「タリー」を慰むる為に書ける手紙を暗誦して居る事とは、夢にも知らねば、やがて煙管の先にて、「ウォルター」の手を突つきながら問へり、「全体それは何時頃の話で、千七百何年頃で」「千七百何年でもない」「そんな事が有るものですか」「ヱヽ分らぬ奴だ紀元前四十年の事だ」
 「ウォルター」は所謂「ベーコン」学者にして愚物(Learned Ignorance)なるもの、「トビー」即ち「グレー」の所謂無智にして幸福ならば、賢ならんと欲するは愚なり(Where ignorance is bliss, / 'Tis folly to be wise)と云へるに庶幾(ちか)からんか、
 去れども此順良なる無邪気なる「トビー」すら、一度「スターン」の筆に上れば、一癖持たねば済まぬ事と見えて、此人日夕(にっせき)身を築城学の研究に委ねて、中々其道の達人とぞ聞えし、「マルタス」は更なり、「ガリレオ」より「トリセリアス」に至るまで、一として通暁せざるはなく、精密なる弾道は抛物線(ほうぶつせん)にあらざれば双曲線なる事、截錐(せっすい)の第三比例数の弾道距離に対する比例は、投射角を倍したる角度の正弦と全線との比例の如しといふ事抔(など)、皆彼が研鑽究明し得たるの結果なりとぞ、偖(さて)も此男の科学的思想は、「ウォルター」の哲学的観念と相反映して、何(いず)れ劣らぬ学者なるこそ頼もしけれ、「ウォルター」の時間を論ずる条に曰く、時は無限の中にあり、無限を解せんには時を解せざる可らず、時を解せんには沈思黙坐して満足なる結果を得る迄、吾人が時間に対して如何なる観念を有するか、と究明せざる可らずと、此弟にして此兄あり双絶(そうぜつ)といふべし、
 「スターン」の諧謔は往々野卑に流れて上品ならざる事あり、夫(そ)の「フューテトリアス」と栗の話しの如きは其好例なりとす、「或る学者の一群何事かありて一堂に会食しける折、如何なる機会にや、卓上に盛りたる焼栗の一個、忽然ころ/\と転げて、真倒(まっさかさ)まに「フューテトリアス」の洋袴(ヅボン)の穴に躍り込みぬ、此穴は「ジョンソン」の英字典を何返捜しても見出し得べからざる穴にて、上等社会に在つては、一般の習慣として、「ジェーナス」の神扉の如く、少なくとも平時は開放厳禁の場所なりき、然る処最初の二十秒程は、此落栗微温を先生の局部に与へて、彼が愉快なる注意を此所に引くに止まりしが、漸々熱度増進して、数秒の後には既に普通一般の楽しき心地を通過し、果は非常なる勢を以て、猛烈なる熱気と変化しければ、先生の愉快は俄然として劇性の苦痛となり了ぬ、此時「フューテトリアス」の精神は、彼れの思想、彼れの観念、彼れの注意力、判断力、想像力、沈考力、決行力、推理力と共に、一度に体の上部を去つて、局部の急に赴きければ、彼の脳中は、空しき事我が財嚢に異ならず」、此滑稽は野卑なれども無邪気にして頗る面白し、仮令(たとい)学校の教科書としては不適当なるも、膝栗毛七変人抔よりは反(かえ)つて読みよき心地す、蓋(けだ)し「スターン」集中に在つて諧謔の佳なるものか、英語を解するの読者之を取つて、下に掲ぐる駄洒落と比較せば、優劣自ら判然たらん、「愛といふ情をいろは順で並べたらば斯(こう)も有(あろ)うか」、
Agitating,
Bewitching,
Confounded,
Devilish affairs of life; --the most
Extravagant,
Futilitous,
Galligaskinish,
Handy-dandyish,
Irancundulous,
(there is no K to it) and
Lyrical of all human passions: at the same time the most
Misgiving,
Ninnyhammering,
Obstipating,
Pragmatical,
Stridulous,
Ridiculous
是を見て面白しと感ずる人もあるべし、我は唯其労を謝して已(や)みなん、
 以上は「スターン」の諧謔的側面なり、善く笑ふものは善く泣く、「スターン」豈(あに)涙なからんや、「トリストラム、シャンデー」を読んで第一に驚くは、涙と云ふ字の夥多(かた)なるにあり、「尊むべき悦喜の涙は、叔父「トビー」の両眼に溢れぬ」といひ「涙は彼の両頬を伝りぬ」といひ、「涕涙滂沱(ぼうだ)たり」といひ、「涙潸々(さんさん)として拭ふに暇(いとま)あらず」といひ、閲して数葉を終らざるに、義理にも泣かねばならぬ心地となるべし、而して其最も泣かざる可らざる所は、九巻の中二三ケ所程あるべく、夫の「トビー」の旧友「ル、フェヴル」の死を写せる一段の如きは、種々の文学書に引用せられ、頗る有名なるものなり、されども余が最も感じたるは、「ヨリック」法印遷化(せんげ)の段なり、此僧病んで将(まさ)に死なんとする時、其友人に「ユージニアス」なる者ありて、訣別の為めとて訪ひ来る、様々慰問の挨拶などありたる後、病僧は左の手にて、漸くにわが被れる頭巾を脱ぎ、願くは愚僧の頭に御目を留められよと云ふ、何事の候ぞ、別段変りたる様子も無きにと答ふるに、否とよ、愚僧の頭は※(くぼ)みて候、最早物の役に立つべしとも存じ候はず、卑怯なる……等は、暗(やみ)に乗じて手痛くも愚僧を打ち据へ、御覧の通り此頭を曲げ候、斯くなる上は仮令(たとい)天より大僧正の冠が、霰の如く繁く降るとも、到底某(それがし)の頭に合ふものは一つも有之間敷(これあるまじく)と存候と、嘆息の言さへ今は聞き取れぬ位なり、あはれ無邪気なる「ヨリック」よ、汝が茶番的なる末期の述懐は、吾が汝に対する愛憐の情をして、一瞬の間に無量ならしめぬ、吾汝が言を聞て微笑せり、されどもわが微笑せるは、汝の為に万斛(ばんこく)の涙を笑後に濺(そそ)がんが為なり、「ヨリック」は今頭を傷けらるゝの憂なく、静かに其墓中に長眠するならん、「ユージニアス」が彼の為に建てたる粗末なる白大理石の碑面には、嗚呼(ああ)憐む可き「ヨリック」」の数字を刻せるのみと云ふ、
 「スターン」「ヨリック」の死を叙する時異様の筆法を用ゐて曰く、「天命は忽(たちま)ちにして復(また)去りぬ靄(モヤ)は来りぬ、脈は鼓動しぬ、止まりぬ、又始まりぬ、激しぬ、再び止まりぬ、動きぬ、後は? 書くまじ」、かゝる筆法は、時々「ヂッキンス」に於て之を見る、好悪は読者に一任するの外なし、(文体の事は茲(ここ)には論ぜざる積りなれど序(ついで)なれば一言す)
 「スターン」の神経質なるは、前に述べたる批評にて大概は言ひ尽したる積りなれど、一例を挙げて其局を結びより其文章に就て一言すべし、
 「トビー」一日、食卓に着き、晩餐の箸を下さんとせる時、何処より飛び来りてか、一匹の蠅は無遠慮にも、老士官の鼻頭に留りぬ、逐(お)へば去りぬ、去るかと思へば又来りぬ、紙の如き両翼を鳴して、ぶん/\鼻の端を飛び廻りて、煩はしき事云はん方なければ、流石(さすが)の「トビー」も面倒と思ひけん、大手を広げて此小動物を掌中に攫(かく)し去るよと見えしが、殺しもやらず徐(おもむ)ろに窓を開き、懇(ねんご)ろに因果を含めて放ち遣る、に曰く、須(すべか)らく去れ、吾れ敢て爾(なんじ)を殺さじ、爾が頭上の一髪だも傷けじ、去れや可憐の小魔、吾れ焉(いずく)んぞ爾を殺さん、蒼天黄土爾(なんじ)と我とを容れて余りありと、放たれたる蠅は感泣再生の恩を謝して去りしや否やを知らず、老いたりと雖(いえども)軍籍に列する身をもちながら、一匹の蠅を傷くるだに忍び得ざる「トビー」を描出したる「スターン」の心情こそ、冷然として其母の困苦を傍観したる心とも見えね、「ヂスレリー」が作家に二生ありと云へるは去る事ながら、蠅を愛して母に及ばざる此坊主の脳髄ほど、病的神経質なるはあらじ、
 「スターン」の文体に就ては、諸家の見る所必ずしも同じからず、「マッソン」は彼が豊腴(ほうゆ)なる想像を称して、其文体に説き及ぼして曰く、彼の文章は精確にして洗錬なるのみならず、嫺雅(かんが)優美楚々人を動かす、珠玉の光粲(さん)として人目を奪ふが如しと、「トレール」の意見は之と異にして、「スターン」は唯好んで奇を衒(てら)ひ怪を好むに過ぎず、文体といふ字義を如何に解釈するとも、彼は自家の文体を有する者にあらずといへり、此二人の批評は相反するが如くなれども、共に肯綮(こうけい)を得たるものにて、実際「スターン」の文章は錯雑なると同時に明快に、怪癖なると共に流麗なり、単に一句を以て一頁を填(う)めけるかと思へば、一行の中に数句を排列し、時としては強て人を動かさんと力(つと)め、時としては又余り無頓着に書き流す、今其長句法の一例を左に訳出すべし、意義若(も)し明瞭ならずんば是「スターン」の罪なり訳者の咎にあらずと思ひ玉へ、「察する所此女は四十七歳の時四人の小児を残して其夫(おっと)に先き立たれて不幸の境遇に陥りしものと見ゆれど固より賤しからぬ風采と沈着なる態度を具へたる上己(おの)が身の貧しき且(かつ)は其貧しきに伴ひて万(よろず)控へ勝なる故村内の者は誰とて憐みの心を起さゞるはなきが中にも旦那寺の妻君は殊の外の贔負にて幸い此界隈六七里の間には……口でこそ六七里其実(そのじつ)雨が降つて道の悪い時や殊には闇の夜で先が見えぬ時は十四五里にも相当するが其より近くには産婆と云ふものは一人も居らねば詰(つま)り此村には産婆は来らぬと申しても差支(さしつかえ)なき程の不便を檀家の者共は数年来感じつゝありし折柄なれば此女に産婆学の一端でも稽古させて村中に開業せしめなば当人は無論の事村の者も嘸(さぞ)都合善からんと考へぬ」又短句法の例は下の如し、「父は倚子を掻(か)い遣りぬ、立ちぬ、帽子を被りぬ、戸の方に進む事四歩なり、戸を開く、再び戸を閉づ蝶※(ちょうつがい)の毀れたるを顧みず、席に復せり云々一篇の文章も、時としては左まで長からぬ単句にて成る事あり、例下の如し、「吾父独語して曰く、恩給や兵士の事を彼是(かれこれ)云ふべき場合であるか」前もなく後もなし、只此一句則ち一篇を組織す、時としては妄(みだ)りに擬人法を用ゐて厭味多き事あり、例へば静粛無声を随へて幽斎の中に入り来り、徐(おもむ)ろに彼等の上衣を脱して「トビー」の頭を蔽ひ、無用心は優柔無頓着なる顔色にて、其に坐せり」と云ひ或は「日に焦(や)けたる労動の娘は群中より出でゝ余を迎へたり」と云ふが如し、斯様な書き方は、韻文にても妄りに使ふべからざる者にて、現に「カメル」
"Hope for a season bade the world farewell,
And Freedom shrieked as Kosciusko fell!"
と云へる句の如きは、大に評家の嘲笑を買へりとさへ聞く、人は兎(と)にあれ、余は是等の文字を以て甚だ厭味あるものと考ふるなり、
 「スターン」の叙事は多く簡潔にして冗漫ならず、去れども一度此法度を破るとき※々(びび)叙し来つて其繊細なる事、殆んど驚くべし、「トリストラム」出産の当時、婦人科専門の医師「スロップ」と云へるが、医療器械の助を藉(か)りて生児を胎内より引き出したる為め、彼の鼻は無残にも圧し潰されて、扁平なる事鍋焼の菓子に似たりと、聞くや否や、父「シャンデー」は悲哀の念に堪(たえ)ず、倉皇(そうこう)己れが居室に走り入りて、慟哭したる時、彼の態度は如何に綿密なる筆を以て写し出されたるかを見よ、「床上に臥したる吾父は、右手の掌を以て其額及び眼の大方を蔽ひながら、肱の弛(ゆる)むに任せて漸々其顔を低(た)れて鼻の端蒲団に達するに至りて已みぬ、左手は臥床の側らに力なくぶら下り、戸帳の陰より少しく見(あら)はれたる便器の上に倚り、左足を彎曲して体の上部に着け、右足の半分を寝台の上より垂れて角(カド)にて脛骨を傷けながら、毫も痛を感ぜざるものゝ如く、彫りつけたらんが如き悲みは彼が顔面より溢れ出ん許りなり、嘆息を洩す事一回、胸廓の昂進するもの数たび、然れども一言なし」
 「スターン」の剽窃を事とせるは諸家定論あり、こゝには説くべき必要もなく、又必要ありとも参考の書籍なければ略しぬ、只其笑ふ可く泣く可く奇妙なる「シャンデー」伝と、其文章に就て概評を試むる事斯(かく)の如し、
 「スターン」死して墓木(ぼぼく)已に拱(きょう)す百五十年の後日本人某なる者あり其著作を批評して物数奇(ものずき)にも之を読書社会に紹介したりと聞かば彼は泣べきか将(は)た笑ふ可きか(明治三十年二月九日稿)

初出:『江湖文学』(江湖文学社)第4号
   1897(明治30)年3月5日発行
底本:夏目金之助『漱石全集 第十三巻』岩波書店
   1995(平成7)年2月22日初版第1刷
電子テキスト入力・注釈作成:内田勝[岐阜大学地域科学部教員](masaru@gifu-u.ac.jp
テキスト公開:2002年12月4日


夏目漱石『トリストラム、シヤンデー』 注釈


夏目漱石
【なつめそうせき】
 初出時の署名は「夏目金之助」。日本の作家・英文学研究者(1867-1916)。代表作は『吾輩は猫である』(1905-06)『文学評論』(1909)など。
 「大体が、小説と言えば人一人の魂の成長だの社会的成長だのを綿々と追う硯友社イデオロギーの中でしか考えられなかったその頃に十八世紀一代の道化小説『紳士トリストラム・シャンディ氏の生涯と意見』(一七五九-六七)に着目し、短いながらこの巨大作の真諦を余さず捉えた『紹介』をしていたということに既に漱石に『大』の付く所以がある」(高山 1995: 1009)。
 なお、日本にスターンを本格的に紹介したのは漱石のこの評論が最初だが、これより25年前、福沢諭吉(1834-1901)がチェンバーズ兄弟(William and Robert Chambers)の教訓的童話集 The Moral Class-Book を翻訳した『童蒙をしへ草』(1872[明治5])の中で、『トリストラム・シャンディ』第2巻第12章に登場する「叔父トウビーと蠅」のエピソードが紹介されている(Ishii 1996: 12)。
 国立国会図書館近代デジタルライブラリーのサイトでは、このエピソードが紹介された箇所(『童蒙をしへ草』 巻の三 第十五章「怒の心を程能くし物事に堪忍し人の罪を免す事」のうち「『つび』と蠅との事」)のJPEG画像[1枚目][2枚目]を見ることができる。[本文に戻る]

「ローレンス、スターン」
【Laurence Sterne】
 イギリスの作家・英国国教会牧師(1713-68)。陸軍歩兵隊旗手の父が勤務していたアイルランドで生まれ、幼年期を過ごす。10歳のとき父の出身地であるイングランド北部ヨークシャーに移り住み、長じてケンブリッジ大学に学んだ後、ヨーク近郊の村の教区牧師となる。作家としての代表作は『トリストラム・シャンディ』(1759-67)および『センチメンタル・ジャーニー』(1768)。[本文に戻る]

坊主らしからぬ小説
【ぼうずらしからぬしょうせつ】
 スターンの小説『トリストラム・シャンディ』の文章は、全編を通じて卑猥な冗談に満ちている。[本文に戻る]

【その】[本文に戻る]

一隅
【いちぐう】
 かたすみ。[本文に戻る]

さはれ
【さわれ】
 それはともかく。[本文に戻る]

「セルバンテス」
【Miguel de Cervantes Saavedra】
 スペインの作家(1547-1616)。代表作は『ドン・キホーテ』(前編1605、後編1615)。既成のさまざまな文学ジャンルをパロディ化して取り込み、物語の中の人物が自らが読まれていることを意識しているメタフィクション的な構造を持つ『ドン・キホーテ』は、『トリストラム・シャンディ』に多大な影響を与えている。[本文に戻る]

「カーライル」
【Thomas Carlyle】
 イギリスの思想家・歴史家(1795-1881)。代表作は『衣裳哲学』(1833-34)『英雄および英雄崇拝』(1841)など。ドイツの作家ジャン・パウル(Jean Paul, 1763-1825)を論じた文章で、セルバンテスを最も純粋な諧謔家とし、ジャン・パウル及びスターンもセルバンテスに匹敵するとした。[本文に戻る]

「レッシング」
【Gotthold Ephraim Lessing】
 ドイツの批評家、劇作家(1729-81)。代表作は評論『ラオコーン』(1766)、劇詩『賢者ナータン』(1779)など。[本文に戻る]

「ギヨーテ」
【Johann Wolfgang von Goethe】
 ゲーテ。ドイツの作家(1749-1832)。代表作は『若きウェルテルの悩み』(1774)『親和力』(1809)『ファウスト』(第一部1808、第二部1832)など。[本文に戻る]

生母の窮を顧みず
【せいぼのきゅうをかえりみず】
 ローレンス・スターンが借金に苦しむ母アグネス(Agnes Sterne)を助けなかったため、母はヨークの債務者監獄に入れられてしまった、というスキャンダラスな逸話は、スターンの死後、次第に尾鰭が付いて広まってゆく。しかし実際には、スターンの叔父が彼を陥れるために仕組んだ事件だったらしい。
 ローレンス・スターンの叔父で、英国国教会のエリート聖職者だったジェイクス[あるいはジャックス]・スターン(Jaques Sterne, 1696?-1759)は、ヨーク大聖堂で要職にあり、ローレンスが教区牧師となる(聖職禄を獲得する)のにも一役買っていた。狂信的なホイッグ党支持者であったジェイクスに従ってしばらくは政治運動に手を染めていたローレンスは、ホイッグ党のウォルポール(Robert Walpole, 1676-1745)が政権を離れた1742年ごろには叔父と袂を分かつ。やがてジェイクスは教会内の覇権をめぐる党派抗争が元でローレンスと対立し、彼を敵視するようになっていた。
 おそらく1751年に、息子にさらなる金銭的援助を求めてヨークにやってきたアグネス・スターンは、ローレンスの名誉を汚そうとするジェイクスの画策によって投獄されるはめになったというのが真相のようである。ローレンスは母と決して良好な関係にはなかったが、常識的な金銭援助は行っていた。母の投獄事件に関して身の潔白を示すために、ローレンスは1751年4月5日、ジェイクス本人に宛てた長い弁明の手紙を書いている(Lewis Perry Curtis, ed., Letters of Laurence Sterne [Oxford: Clarendon, 1935] 32-44)。
 スターンに関する伝記的事実については、伊藤誓「スターン略伝」(伊藤 1995: 289-329)を参照。[本文「生母の窮を顧みず」に戻る][本文「噴飯すべき栗の行衛(ゆくえ)」に戻る][本文「『フューテトリアス』と栗の話し」に戻る]

驢馬の死屍に泣きし
【ろばのししになきし】
 スターンの作品『センチメンタル・ジャーニー』(1768)に、作者の代弁者である主人公ヨリックが、驢馬の死骸の前で涙を流す飼い主の老人に出会って感動する場面がある。
 漱石は『文学論』(1907)第二編第四章でこの挿話に触れて、こう書いている。
 「……かの Sentimental Journey 中に Sterne が死せる驢馬の飼主の悲みを描きし節あり。彼は実際に於て其母に対し甚だ不実なりしとの伝説を真とせば、其平生に果して如此(かくのごとき)柔き感情を抱き得たりしや否や頗る疑し、此一節は恐くは芝居的なりしならん、芝居なればこそ彼は一躍して禽獣に迄同情を寄せうるの君子となり済まし得たるならん。……。是等は凡て皆贅者の悲哀にして真に断腸の思あるものにあらず。其恐悦の体は夏痩の頬を撫でゝ得意がると大差なきものとす。敢て虚と云はず確に事実なるべし、たゞ其事実を解剖するとき快楽的分子著しく混入し居るを云ふのみ」(夏目金之助『漱石全集 第十四巻』[岩波書店、1995年]pp.215-7)。[本文に戻る]

「バイロン」
【George Gordon Byron】
 イギリスの詩人(1788-1824)。代表作は『チャイルド・ハロルドの遍歴』(1812-18)『マンフレッド』(1817)『ドン・ジュアン』(1819-24)など。日記の中で「生母の窮を顧みずして驢馬の死屍に泣きし」スターンを非難し、「俺もあのスターンの犬野郎と同じだ」と自嘲している。[本文に戻る]

「サッカレー」
【William Makepeace Thackeray】
 イギリスの作家(1811-63)。代表作は『虚栄の市』(1847-48)『ヘンリー・エズモンド』(1852)など。
 『十八世紀イギリスの諧謔家たち』(The English Humourists of the Eighteenth Century, 1853)で、スターンの才能を認めながらも、その人柄の偽善性とその作品の低俗さを酷評し、偉大な道化師(jester)ではあっても偉大な諧謔家(humourist)ではないとしている。[本文に戻る]

「バートン」
【Robert Burton】
 イギリスの文人・神学者(1577-1640)。代表作『憂鬱の解剖』(1621)は、「憂鬱」に関するありとあらゆる知識を、古今の万巻の書を渉猟して種々の話題に脱線しながら、百科全書的かつ衒学的に紹介する奇書。その話題は「憂鬱」による各種の症状やその原因の分類から、恋愛や宗教に及び、ついには治癒方法(「孤独と怠惰を避けよ」)に至る。[本文に戻る]

「ラベレイ」
【François Rabelais】
 ラブレー。フランスの物語作家・医師(1483-1553)。代表作は、巨人王ガルガンチュアとその息子を主人公とする連作『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』(1532-64)。その卑猥な冗談に満ちた饒舌で多彩な文体は、『トリストラム・シャンディ』に大きな影響を及ぼしている。
 ソ連の文芸学者バフチン(Mikhail Mikhailovich Bakhtin, 1895-1975)は、ラブレーの作品に満ちあふれる、カーニバル的な価値転倒の中で精神的で抽象的な「高い」ものを肉体的で物質的な「低い」次元に格下げし、「飲み食い」「排泄」「性生活」といった肉体的イメージを陽気に享受する傾向は、民衆の笑いの文化を継承したものだと述べ、そうした美的概念をグロテスク・リアリズムと呼んでいる。
 バフチンは『トリストラム・シャンディ』についてこう書いている。
 「プレ・ロマンティズムとロマン主義初期にグロテスクの復活が見られるが、そこで根本的な意味変化がおこる。グロテスクは主観的、個人的世界感覚の表現形式となり、過去数世紀の民衆的・カーニバル的世界感覚からは遠いものとなる(後者の要素のいくらかは残存しているが)。新しい主観的グロテスクの最初の重要な現われは、スターンの『トリストラム・シャンディ』である。(これはラブレー的・セルバンテス的世界感覚の新時代の主観的言語への独特な移し換えである。)……ロマン派のグロテスクに本質的な影響を与えたのはスターンであって、彼はかなりの意味合いでこのジャンルの創始者とみなすこともできよう」(ミハイール・バフチーン著、川端香男里訳『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』[せりか書房、1985年]p.38)。
 バフチンによれば、スターンの影響下に生まれたロマン派のグロテスクは、中世・ルネッサンスの肉体的なグロテスクとは違って「室内的」であり、「いわば孤独の中で自らの孤立性を鋭く意識し体験するカーニバル」だという(p.39)。
 なおバフチンは同書で、ラブレーの作品で大きな役割を演じている、わざとでたらめな言葉をつなぎ合わせた文章が、民衆的な言葉遊びである「でたらめ話」《coq-à-l'âne》(文字通りの意味は「雄鶏から驢馬へ」)というジャンルに属することを指摘している(pp.370-3)。《coq-à-l'âne》は英語では "cock-and-bull" (雄鶏と雄牛、でたらめ話)と呼ばれるが、この雄牛と雄鶏は(雄鶏 "cock" には男根の意味もあるのだが)、『トリストラム・シャンディ』全巻を締めくくる最後のオチ(第9巻第33章)で活躍することになる。『トリストラム・シャンディ』は自らを「最高のでたらめ話」と宣言して終わるのだ。[本文に戻る]

剽窃
【ひょうせつ】
 他人の作品や論文を盗んで、自分のものとして発表すること。
 『トリストラム・シャンディ』に含まれる過去の文学作品からの引用は、すでに発表中から「剽窃」だとされ非難を浴びた。そのため語り手トリストラムは、第5巻第1章で今後は剽窃などしないことを誓い、さまざまな古典からの引用を使って剽窃を非難するが、その文章自体がバートンの『憂鬱の解剖』からの「剽窃」になっているという、手の込んだいたずらをしている。
 『トリストラム・シャンディ』や漱石の『吾輩は猫である』が、古今の雑多な書物からの膨大な引用によって百科全書的かつ衒学的に知識を披瀝する〈アナトミー〉という文学ジャンルに属することを指摘した安藤文人はこう述べている。
 「……繰り返し強調しておく必要があるのは、スターンが『剽窃』したバートンの作品自体が、すでに過去の哲人達などからの〈引用〉によって成り立つ典型的な〈アナトミー〉であるという点だ。……実際『憂鬱の解剖』は、引用元を明示しているという点で『剽窃』とは呼べないにしても、全編がこのような〈引用〉に埋め尽くされている。スターンがバートンから盗んだものがあるとすれば、それは単なる文章の断片だけではない。〈引用〉によってテクストを織り上げるような〈アナトミー〉の編集的記述方法をもスターンは盗んでいる訳である」(安藤 1998)。

[参考]アナトミー(メニッポス風の諷刺)
【anatomy (Menippean satire)】
 「アナトミー」(文字通りの意味は「解剖」)とは、カナダの批評家フライ(Northrop Frye, 1912-91)がその著書『批評の解剖』(1957)の中で、通例「メニッポス風の諷刺」と呼ばれる文学ジャンルを表わすために、より扱いやすい便利な語として提唱した用語。フライは散文の文学作品を「小説」「ロマンス」「告白」「アナトミー」の四つのジャンルに分類したが、このうち「アナトミー」とは、諷刺の対象となるテーマに関する雑多な情報を、百科全書的かつ衒学的に網羅した文章を指す。「解剖」という名称は、このジャンルの代表的作品であるバートンの『憂鬱の解剖』(1621)に基づくもの。その他このジャンルに属する作品を書いた文学者には、ペトロニウス、ルキアノス、アプレイウス、エラスムス、ラブレー、スウィフト、ヴォルテールなどがいる。フライによれば英語で書かれた最大の「アナトミー」はスウィフトの『ガリヴァー旅行記』(1726)であり、また『トリストラム・シャンディ』は「小説」と「アナトミー」の両ジャンルを結合して最大の成功を収めた作品である。[本文「『バートン』『ラベレイ』を剽窃する事」に戻る][本文「「是(これ)免る可らざるの数なり」に戻る]

兎に角
【とにかく】[本文に戻る]

頽齢
【たいれい】
 老齢。[本文に戻る]

旗幟を翻して
【きしをひるがえして】
 はっきりと存在を主張して。[本文に戻る]

一生面を開き
【いちせいめんをひらき】
 新たな分野を開拓して。[本文に戻る]

麾いで風靡する
【さしまねいでふうびする】
 手招きしてなびかせ従わせる。[本文に戻る]

「マッケンヂー」
【Henry Mackenzie】
 マッケンジー。スコットランドの作家(1745-1831)。[本文に戻る]

「マン、オフ、フーリング」
The Man of Feeling
 『感性の人』。マッケンジーの代表作(1771)。感受性豊かで純真無垢な若い田舎紳士ハーレー(Harley)がロンドンに出て、そこで出会うさまざまな人々の身の上話に共感し、その結果、善人を装う都会の人間に金を巻き上げられたり、運命に翻弄された娼婦や狂女に憐れみの涙と施しを与えたりする、といった多数の挿話が、脈絡なく並べられた作品。[本文に戻る]

「ヒッペル」
【Theodor Gottlieb von Hippel】
 ドイツの作家(1741-96)。哲学者カントの友人。スターンの感化を受け、ジャン・パウル(Jean Paul, 1763-1825)に影響を与えたとされる。代表作は『結婚論』(1774)『女性論』(1792)など。[本文に戻る]

「レーベンスロイフヘ」
Lebensläufe nach aufsteigender Linie
 『出世街道』。ヒッペルの小説家としての代表作(1778-81)。雑多な話題に脱線しながら自らの半生を語り、スターンの影響が色濃く見られる。[本文に戻る]

「センチメンタル」派
【sentimentalists】
 直線的に順序立てられた論理的思考よりも、曲線的に動き回る自由な感性を重視する傾向を持つ作家たち。センチメンタリズムの文学や「感受性の小説」(the novel of sensibility)は、18世紀前半のイギリス文学を支配した新古典主義が持っている主知主義的な傾向への反動として世紀半ばに現れ、のちのロマン主義の先駆けとなった。
 センチメント(sentiment)とはこの場合「世の中のさまざまな事物に共感できる洗練された感受性」を意味するが、センチメンタリズムの流行の結果、いたずらに憐れみを誘い情緒をかき立てる効果を多用し、不幸な境遇に陥った美徳の人を憐れむ自分の豊かな感受性に耽溺するといったタイプの、極度の感傷趣味に走る文章も多く現れた。そのため「センチメンタリズム」(感傷主義)という言葉はしばしば軽蔑的な意味で用いられる。
 感受性豊かな人物の行状を描いた狭義のセンチメンタリズムの代表的作品は、スターンの『センチメンタル・ジャーニー』(1768)およびマッケンジーの『感性の人』(1771)だが、他者への共感と洗練された感受性を重視するセンチメンタリズム的な要素は、イギリスのトマス・グレイの詩、リチャードソンやゴールドスミスの小説、および世紀末に流行したゴシック小説にとどまらず、ルソーやゲーテをはじめ18世紀後半のヨーロッパの作家に広く見られる。[本文「『センチメンタル』派」に戻る][本文「われ出鱈目に此篇を書かんと思う念頻なり」に戻る]

【また】[本文に戻る]

其説教
【そのせっきょう】
 『ヨリック氏説教集』(The Sermons of Mr. Yorick)(1760-66)。スターンが『トリストラム・シャンディ』の登場人物である教区牧師ヨリックの名で発表した説教集(全4巻)。「前後十六篇」とあるのは、1760年に同時出版された第1巻・第2巻(序文および合わせて15編の説教を収録)への言及と思われる。
 なお、作家になる前のスターンがヨーク大聖堂で行い、その直後に小冊子として出版した説教「良心の濫用」(The Abuses of Conscience, 1750)は、ヨリックが書いた説教という設定で『トリストラム・シャンディ』第2巻第17章にまるごと挿入されている。[本文に戻る]

【これ】[本文に戻る]

怪癖放縦
【かいへきほうしょう】
 変わり者で気まぐれな。[本文に戻る]

【この】[本文に戻る]

「トリストラム、シャンデー」伝及び其意見
The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gent.
 『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』。スターンの代表作(1759-67)。全9巻。第1巻・第2巻は1759年の末にヨーク、翌60年にロンドンで出版され、田舎牧師スターンを一躍ベストセラー作家に変えた。
 1718年11月5日に生まれた語り手トリストラムが、1759年の時点で自分の生涯を振り返って語り始めるという設定だが、連想のおもむくままに語られる彼の自伝の中では時間が交錯し、脱線に次ぐ脱線がとめどなく繰り広げられ、古典古代から同時代に及ぶさまざまな文献から引用された逸話が散りばめられる中、彼の父と叔父との滑稽な失敗談を中心とした物語が語られてゆく。
 度を過ぎたおふざけと卑猥なほのめかしが災いして19世紀の読者には敬遠されたが、20世紀に再評価され、「〈意識の流れ〉の手法による実験小説の先駆け」「メタフィクションの先駆け」「引用の織物としてのポストモダン小説の先駆け」「ハイパーテキストの先駆け」といった評価を受ける。
 朱牟田夏雄による名訳が岩波文庫から出ており、長く品切重版未定であったが、「復刊ドットコム」での復刊運動などの成果が実り、2006年7月に重版再開される。[本文に戻る]

細大
【さいだい】
 細かいことと大きいこと。[本文に戻る]

固より
【もとより】[本文に戻る]
 

「サッカレー」
【William Makepeace Thackeray】
 イギリスの作家(1811-63)。代表作は『虚栄の市』(1847-48)『ヘンリー・エズモンド』(1852)など。
 『十八世紀イギリスの諧謔家たち』(The English Humourists of the Eighteenth Century, 1853)で、スターンの才能を認めながらも、その人柄の偽善性とその作品の低俗さを酷評し、偉大な道化師(jester)ではあっても偉大な諧謔家(humourist)ではないとしている。[本文に戻る]

「バニチーフェアー」
Vanity Fair
 『虚栄の市』(1847-48)。イギリスの作家サッカレーの代表作。ナポレオン戦争を背景に上流社会の虚栄に満ちた群像を描き、「主人公のいない小説」(A Novel Without a Hero)という副題をもつ。[本文に戻る]

「アミリヤ」
【Amelia Sedley】
 アミリア・セドリー。『虚栄の市』の主要な登場人物の一人。富裕な商人の娘で、素直でしとやかな美人。[本文に戻る]

「シャープ」
【Rebecca Sharp】
 レベッカ・シャープ。愛称はベッキー(Becky)。『虚栄の市』の主要な登場人物の一人。アミリアの学友。貧乏画家の娘で、利口で抜け目がなく勝ち気な性格。上流社会に憧れ、金持ちの男と結婚するために手段を選ばず行動する。結婚後はパリやロンドンの社交界を華やかに泳ぎまわる。[本文に戻る]

「ドビン」
【William Dobbin】
 ドビン大尉。『虚栄の市』の登場人物。アミリアの夫となる陸軍将校ジョージ・オズボーン(George Osborne)の友人。アミリアに思いを寄せている。ジョージが戦死した後、未亡人となったアミリアに求婚する。[本文に戻る]

老「オスバーン」
【Mr. Osborne】
 オズボーン氏。『虚栄の市』の登場人物。アミリアの夫となるジョージ・オズボーンの父。頑固で強欲。アミリアの父が投機の失敗で破産したため、息子との結婚に反対する。[本文に戻る]

顕晦
【けんかい】
 姿を現わすことと姿をくらますこと。目立ち具合。[本文に戻る]

結構
【けっこう】
 組み立て。構成。[本文に戻る]

如何
【いかん】
 どうだろうか。[本文に戻る]

海鼠の如し
【なまこのごとし】
 漱石は「『吾輩は猫である』上篇自序」(1905)で、「此書[『吾輩は猫である』]は趣向もなく、構造もなく、尾頭の心元なき海鼠の様な文章である」と書いている。
 「海鼠」というイメージを、ハイパーテキストとの関連で捉えてみるのも面白い。
 「ハイパーテクストは、次の四点を疑問視する。(1)固定された順序(2)はっきりとした始まりと終わり(3)物語の『あるはっきりとした大きさ』(4)そうした概念すべてに関わる、統一性あるいは全体性という概念」(ジョージ・P・ランドウ著、若島正ほか訳『ハイパーテクスト――活字とコンピュータが出会うとき』[ジャストシステム、1996年]p.173)。
 ランドウのこの指摘を思い合わせると、漱石の「単に主人公なきのみならず、又結構なし、無始無終なり、尾か頭か心元なき事海鼠(なまこ)の如し」という言葉は非常に興味深い。ちなみに「ハイパーテキスト」(hypertext)という単語を作ったテッド・ネルソン(Ted Nelson)は、1974年の著書 Computer Lib / Dream Machines の中で、『トリストラム・シャンディ』のハイパーテキスト性を指摘している。
 なお、『トリストラム・シャンディ』の語り手トリストラム自身は、「私のこの著作のゴチャゴチャした象徴」として、第3巻第36章の後に、極彩色の墨流し模様のページを1枚(2ページ)挿入している。初版ではこのページだけは印刷ではなく、一枚一枚手作業で染められたため、読者一人一人が別の模様を手にしたことになる。紙の上下左右の余白部分をいったん折ることによって敢えてページの余白を残し、表裏の墨流し模様を別々に染めて、上部の余白にはスタンプでページ番号が押されている。直線的に進行する冊子本の言葉とは対極にある無秩序なゴチャゴチャした模様が、あくまで整然と冊子本の論理に従いつつページ番号まで振って挿入されているところなどは、いかにも『トリストラム・シャンディ』という書物の象徴にふさわしい。
[墨流し模様のページの画像][本文に戻る]

われ筆を使ふにあらず
【われふでをつかうにあらず】
 第6巻第6章。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

瑣談小話
【さだんしょうわ】
 こまごまとした短い話。[本文に戻る]

一毫
【いちごう】
 ほんの少し。[本文に戻る]

「シャンデー」の父
【Walter Shandy】 ウォルター・シャンディ。もともとトルコ相手の貿易商だったが、今は引退してヨークシャーの村にある屋敷に住んでいる。饒舌な理論家で、「一族が繁栄するためには、家長の鼻が大きくなければならない」とか「人間の洗礼名はその人物の性格や行動を決定する」といった奇妙な仮説を次々に立ててはその研究に没頭する。[本文に戻る]
 

黄巻堆裏に
【こうかんたいりに】
 書籍を積み上げた中に。[本文に戻る]

叔父「トビー」
【Toby Shandy】
 トウビー・シャンディ大尉。温厚な性格をした退役軍人。ファルツ継承戦争(1688-97)に参加してフランドルで戦うが、ナミュール包囲戦(1695)で股ぐらに傷を受けて退役した。築城術マニアのトウビーは、シャンディ家の屋敷と同じ村にある自分の家のボーリング用芝生に、巨大なミニチュアの城郭都市を作り上げ、そこで部下のトリム伍長(Corporal Trim)とともに、スペイン継承戦争(1701-14)の進行に合わせて日々大真面目で戦争ごっこに興じている。[本文に戻る]

「リー、ハント」
【James Henry Leigh Hunt】
 イギリスの詩人・エッセイスト(1784-1859)。代表作は長編詩『リミニ物語』(1816)など。『ウィットとユーモア』(Essay on Wit and Humour, 1846)の中で、トウビー・シャンディを「人の優しさというミルクの精髄」と評している。[本文に戻る]

堡寨
【ほうさい】
 とりで。[本文に戻る]

敵なきの防戦に余念なく
【てきなしのぼうせんによねんなく】
 トウビー・シャンディ大尉と部下のトリム伍長が屋敷のボーリング用芝生にミニチュアの城郭都市を作ることになった経緯は第2巻第1章〜第5章で語られ、二人の呑気な戦争ごっこの模様は、第6巻第21章〜第28章に詳しく描かれている。
[朱牟田夏雄の訳文]
 イギリスの作家 H・G・ウェルズ(Herbert George Wells, 1866-1946)は、おもちゃの兵隊やミニチュアの大砲を使って室内で遊ぶウォーゲームの指南書『リトル・ウォーズ』(Little Wars, 1913)の中で、トウビー・シャンディの戦争ごっこに触れてこう書いている。
 「すでにアン女王の時代に『リトル・ウォーズ』を戦っていた豪傑がいました。いわば庭の中のナポレオンです。彼のゲームについては、不正確な観察に基づく不十分な記述ではありますが、ローレンス・スターンによる記録が残っています。トウビー叔父さんとトリム伍長が、豊かさと美しさを誇る現代のゲームをすらしのぐ規模と緻密さで『リトル・ウォーズ』を楽しんでいたのは明らかです。しかしせっかく幕が開いても、われわれ読者はじらされるばかり。現在、そのシャンディ風なゲームのルールが地上のどこかに記録として残っている可能性はほとんどありません。おそらくそのルールが紙に書き記されることは一度もなかったのでしょう……」(Project Gutenberg 版の英文電子テキストより、訳は私[内田])。[本文に戻る]

「ヨリック」
【Yorick】
 シャンディ家の屋敷がある村の教区牧師。作者スターン自身がモデルとされる。シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)の『ハムレット』に、墓掘りが土中から拾い上げる髑髏として登場する宮廷道化師ヨリックの末裔。第1巻で死ぬにもかかわらず、全巻を通じて活躍する。スターンのもう一つの代表作『センチメンタル・ジャーニー』の語り手でもある。[本文に戻る]

孀婦(そうふ)「ウワドマン」
【Mrs. Wadman】
 ウォドマンの後家(「孀婦」は「未亡人」のこと)。トウビー・シャンディの屋敷の隣に住んでいて、トウビーを誘惑し結婚しようとする。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

自家随意の空気
【じかずいいのくうき】
 各個人がのめり込んでいるが他者からは理解しがたい趣味や興味の対象は、スターンの原文では「道楽馬」(hobby-horse)と呼ばれている。人はそれぞれ自らの道楽馬にまたがり人生の道を行くのである。『トリストラム・シャンディ』の登場人物たちの多くは、そのようにひたすら自分の道楽を追い求め、どこか「オタク」的な行動パターンを示す。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

越人と秦人
【えつひととしんひと】
 中国の春秋時代の列国のうち、越の国と秦の国とは遠く隔たっていた。互いに何の関心もない人々のたとえ。[本文に戻る]

風する馬牛も相及ばざる
【ふうするばぎゅうもあいおよばざる】
 さかりのついた馬や牛は交尾の相手をどこまでも追い回すものだが、そんな馬や牛ですら相手にたどり着けないほど遠く隔たっている。[本文に戻る]

吾人
【ごじん】
 われわれ。[本文に戻る]

面目を燎爛しながら
【めんもくをりょうらんしながら】
 目の前でめまぐるしく動き回りながら、の意か?[本文に戻る]

頗る
【すこぶる】[本文に戻る]
 

吾が数ば話頭を転じて
【わがしばしばわとうをてんじて】
 第1巻第22章。「話頭」は「話題」のこと。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

余の話頭は転じ易し
【よのわとうはてんじやすし】
 第1巻第22章。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

尤も
【もっとも】[本文に戻る]
 

「ヨリック」の最期
【よりっくのさいご】
 第1巻第12章。糞真面目を装う偽善者を嘲笑せずにはいられないヨリックは、その歯に衣着せぬ物言いのせいで教会内に多数の敵を作ってしまい、昇進を目前に控えたとき、敵たちの陰湿な攻撃によって望みを絶たれ、さらに闇に乗じて打ち据えられ、失意のうちに死ぬ。ヨリックの反骨精神とその末路は、どこか漱石の『坊つちやん』を思わせる。
[朱牟田夏雄の訳文][本文「『ヨリック』の最期」に戻る][本文「『ヨリック』法印遷化(せんげ)の段」に戻る]

「スラウケンベルギウス」
【Hafen Slawkenbergius】
 『トリストラム・シャンディ』に登場する架空の文人。鼻に関するありとあらゆる知識をまとめた百科全書的な大著をラテン語で書いた。その第2巻は鼻にまつわる物語を集めたもので、その中の第10編第9話が『トリストラム・シャンディ』第4巻の冒頭に挿入されている。物語の中では、とてつもなく大きな鼻を持つ男がストラスブールの町に現われ、その鼻の真贋をめぐる大騒動が巻き起こる。
[朱牟田夏雄の訳文]
 漱石の『吾輩は猫である』の「四」では、登場人物の一人の迷亭がこう語っている。「その後鼻についてまた研究をしたが、この頃トリストラム・シャンデーの中に鼻論(はなろん)があるのを発見した。金田の鼻などもスターンに見せたら善い材料になったろうに残念な事だ」。[本文「『スラウケンベルギウス』の話」に戻る][本文「父は倚子を掻い遣りぬ」に戻る]

悽楚
【せいそ】
 痛ましいさま。[本文に戻る]

「ル、フェヴル」
【Le Fever】
 ル・フィーヴァー中尉。連隊に合流する旅の途中、シャンディ家の屋敷がある村の宿屋で病に倒れたル・フィーヴァーは、叔父トウビーとトリム伍長に見守られ、幼い息子ビリー(Billy)を残して死んでいく。ル・フィーヴァーの物語が語られるのは第6巻第6章〜第10章。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

栗の行衛
【くりのゆくえ】
 第4巻第27章。識者たちが一堂に会した晩餐の席で、トリストラムの名前を変更できるかどうかが議論されていたとき、聖職者でありながら『蓄妾論』の著者でもあるフュータトーリアス(Phutatorius, 「交接者」を意味する)のズボン穴に、焼けた栗が飛び込んで大騒ぎになる話。
[朱牟田夏雄の訳文]
 なお、このすぐ後の場面では、フュータトーリアスがズボン穴から取り出して投げつけた栗をたまたまヨリックが拾ったのを見て、フュータトーリアスも周囲の人々も、ヨリックこそが焼けた栗をズボン穴に放り込んだ張本人だと思い込む。ちなみにフュータトーリアスは、ローレンス・スターンを敵視していた叔父のジェイクス・スターンを諷刺したものとされている。[本文に戻る]

而も
【しかも】[本文に戻る]
 

天下に書物を書き始むるの方法は
【てんかにしょもつをかきはじむるのほうほうは】
 第8巻第2章。朱牟田夏雄訳ではこうなっている。
 「既知の世界のあらゆる地域を通じて現今用いられている、一巻の書物を書きはじめる際の数多くの方法の中で、私は私自身のやり方こそ最上なのだと確信しています――同時に最も宗教的なやり方であることも、疑いをいれません――私はまず最初の一文を書きます――そしてそれにつづく第二の文章は、全能の神におまかせするのです」(下巻、p.114)。
 漱石の『草枕』の「十一」で、散歩をする主人公がこう語っている。
 「トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召(おぼしめし)に叶(かの)うた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力(じりき)で綴(つづ)る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀を汲(く)んだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけが一層の無責任である。スターンは自分の責任を免(のが)れると同時にこれを在天の神に嫁(か)した。引き受けてくれる神を持たぬ余はついにこれを泥溝(どぶ)の中に棄(す)てた」[本文に戻る]

われ出鱈目に此篇を書かんと思う念頻なり
【われでたらめにこのへんをかかんとおもうねんしきりなり】
 第1巻第23章。
[朱牟田夏雄の訳文]
 ここで漱石はスターンの「出鱈目」な書き方に触れているが、『草枕』の「九」では、主人公の画家が小説本のある意味で「出鱈目」な読み方を紹介している。
 「画工(えかき)だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。……。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤(おみくじ)を引くように、ぱっと開(あ)けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」
 「出鱈目」あるいは気まぐれな書き方・読み方はスターンをはじめとする「センチメンタル」派の特徴だが、漱石がそれを「センチメンタル」とは一見正反対に思える「非人情」と呼んでいるのは興味深い。漱石は『文学論』の中で、スターンのセンチメンタルな文章が、真の人情に根差したものではなく「芝居的」であることを指摘している。
 ちなみに比較文学者のブローディによれば、『草枕』の物語の語り方は、18世紀後半のヨーロッパの「センチメンタルな旅人」たちのそれを思わせるという(Brodey 1998: 207)。「センチメンタルな旅人」とは、スターンの『センチメンタル・ジャーニー』の語り手ヨリックが自らを定義した言葉である。[本文に戻る]

左の言語
【ひだりのげんご】
 以下は第1巻第11章の後半の引用だが、スターンの原文と比べるとかなり縮めてある。なお引用にある「仏の才人某」とは、17世紀フランスの文人ラ・ロシュフコー(François, duc de La Rochefoucauld, 1613-80)である。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

てふ
【ちょう】
 〜という。[本文に戻る]

既に
【すでに】
 ことごとく。[本文に戻る]

可らず
【べからず】[本文に戻る]
 

軍曹「トリム」
【Corporal Trim】
 トリム伍長。トウビー・シャンディ大尉の従卒で、トウビーの退役後も身の回りの世話をしている。トリムがヨリックの説教を読む場面は第2巻15章〜第17章。
 語り手トリストラムは、説教を読み始めたトリム伍長のポーズを異様に詳しく描写している。トリム伍長は身体をわずかに前傾させて立ち、その角度は演説や説教を行ううえで「真に説得力を持った投射角」である八十五度半であった。トリムの左脚のひざは、「美の線の限度は越えない程度」に軽く曲げられていたという。
 「美の線」とは、スターンと同時代を生きたイギリスの画家ホガース(William Hogarth, 1697-1764)の著書『美の分析』(1753)に登場する、Sの字を縦に引き伸ばしたような曲線(∫)である。『トリストラム・シャンディ』第1巻のロンドン初版(1760)には、トリムが説教を朗読するこの場面をホガース自身が描いた口絵が添えられた。そこではトリムの左脚が見事な「美の線」のカーブを描いている。
[口絵の画像][本文に戻る]

A、B、C、
【A、B、C、】
 第1巻第8章。ただしスターンの原文には「J」がない。JはもともとIの異形であり、Jを子音字、Iを母音字とする区別が一般に確立したのは17世紀半ばである。[本文に戻る]

二枚の白紙
【にまいのはくし】
 第9巻第18章および第19章。叔父トウビーはトリム伍長を連れてウォドマン夫人の家に求婚に行くが、家に入ったとたんに、これら二つの白紙だけの章が現われる。それらの章で何が起っていたかは第25章の後で明かされる。[本文に戻る]

鼇頭
【ごうとう】
 書物の本文の上の欄。[本文に戻る]

tabula rasa
【タブラ・ラサ】
 「やすりをかけられた板」「何も書かれていない白紙」の意味のラテン語。人の心をタブラ・ラサにたとえる考え方は古くからあったが、「心を以て tabula rasa に比したる哲学者」として漱石が念頭においていたのは、おそらくイギリスの哲学者ジョン・ロック(John Locke, 1632-1704)であろう。
 ロックは『人間悟性論』(An Essay Concerning Human Understanding, 1690)の第2巻第1章第2節で、人の心がどのように観念を得ていくかを考えるために、初期状態の心を何の文字も書かれていない、何の観念をも持たない白紙と仮定することから始めている。
 『トリストラム・シャンディ』ではしばしばロックが言及されており、ロックが『人間悟性論』で唱えた観念連合説は、『トリストラム・シャンディ』の構成(の欠如)に多大な影響を及ぼしている。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

而して
【しこうして】
 そして。[本文に戻る]

「トリム」大呼して杖を揮ふ
【とりむだいこしてつえをふるう】
 第9巻第4章。叔父トウビーはウォドマン夫人に求婚するため彼女の屋敷に赴くが、その戸口でトリム伍長と語り合っているとき、トリムが独身生活の気楽さを杖の動きであまりに見事に表現したため、トウビーは求婚をためらってしまう。
 この電子テキストではスターンの原著からの画像を用いたが、底本ではおそらく漱石自身が描いたと思われる画像が挿入されている。(国立国会図書館近代デジタルライブラリーに置かれた1918年版『漱石全集』の曲線画像を参照。)スターンの画像にない「9」の文字が書き加えられているのはおそらく、第9巻から引用したという意味だろう。
 高山宏はトリムについてこう書いている。
 『トリストラム・シャンディ』の主人公たちは肉体を忘れた左脳知性の戯画である。まさしく『猫』の先生さながらいろいろな典籍を駆使して小理屈をこねくり回すのだが、胃弱とそれ故のよだれに悩むこの先生そっくり、たまたま開かなくなったドアの掛け金ひとつ自分ではどうにもできない。肉体は哀しい!
 小説中、トリムという伍長が出てくる。知性に煩わされることのない肉体派人間である。『猫』で言えばまさしく主人公の猫に当る、文字通り肉体の低い視点から世界を眺める男だ。彼が、自由というものはこんなものと言って杖で空裡に曲線を描き出す。漱石は感にうたれたようにこの曲線をそのまま「トリストラム、シャンデー」中に引用している。(高山 1995: 1013)
[本文に戻る]

曲線
【きょくせん】
 第6巻第40章。
[朱牟田夏雄の訳文]
 この電子テキストではスターンの原著からの画像を加工して用いたが、底本ではおそらく漱石自身が描いたと思われる画像が挿入されている。漱石の画像には、スターンの画像にない「1) 2) 3) 4) 5)」の数字が書き込まれている。(国立国会図書館近代デジタルライブラリーに置かれた1918年版『漱石全集』の曲線画像を参照。)
 「人に肉体あるように言語にも肉体がある。言葉で言えば駄洒落、物語で言えば脱線を生むのがこれである。そういう物語の非(反)直線的な進行をスターンはこれまた作中に一種の蛇状曲線として図示したが、漱石はこちらも嬉しそうに全て書写引用している。余程気に入っていたらしいのだ」(高山 1995: 1013)。
 比較文学者のブローディもまた、『トリストラム・シャンディ』が、頭の中にごちゃごちゃと散らばった観念を一本の筋道によって整理してしまう、言語の「直線性」(linearity)を乗り越えようとした試みであることを指摘している。
 「イギリス小説における最初の偉大な『蛇状曲線派』の一人であり、漱石が日本に『輸入』したスターンは、その作品の中で、まさにコンディヤックが述べたような意味での、[頭の中に同時に存在するさまざまな観念を筋の通った論述にまとめ上げる]言語の『直線性』を克服しようともがいている。とめどなく脱線したり、時間の流れを分断したり、凝った字面や視覚的な仕掛けを使ったり、ダッシュ、ハイフン、省略符号をおびただしく使ったり、ロックの観念連合説を援用したりすることで、スターンは小説というものに慣習的に備わっている直線性を突き崩しているのだ」(Brodey 1998: 201-2、訳および[ ]内の補足は私[内田])。
 ブローディは、トリストラムの物語の進行を示す蛇状曲線を、18世紀のロココ美術や「英国式」風景庭園などに見られる蛇状曲線の流行に関連づけて捉えている。くねくねと複雑に曲がる散歩道を歩くことでさまざまに景観が変化し、非-直線性(non-linearity)もしくは脱線的連想性(sequentiality)に満ちた風景庭園は、その人工性にもかかわらず、直線的な散歩道が走る秩序立った庭園に比べてより「自然」で「本物らしい」と考えられていた。またブローディは、イギリス人が蛇状曲線のような「不定形の美」を享受し始めるきっかけになったのが、中国や日本の庭園であったことを指摘している。
 なお、18世紀後半のヨーロッパにおける蛇状曲線の流行、およびその『トリストラム・シャンディ』との関連については、高山宏の『庭の綺想学』(ありな書房、1995年)『ふたつの世紀末』(青土社、1986年)『表象の芸術工学』(工作舎、2002年)などを参照。[本文に戻る]

満案の哺を噴せしむ
【まんあんのほをふんせしむ】
 おかしさのあまり、食べていたものを机いっぱいに噴き出してしまう。[本文に戻る]

姓氏
【せいし】
 ウォルターは、人が洗礼のときに与えられる名がその人の性格や行動を左右すると信じている(第1巻第19章)。[本文に戻る]

「ジヤック」と「ヂック」と「トム」
【Jack, Dick and Tom】[本文に戻る]
 

「アンドリユ」
【Andrew】
 アンドルー。英語の "merry-andrew"(陽気なアンドルー)という語には「道化者」の意味がある。[本文に戻る]

「ウイリアム」
【William】
 イギリス国王の名の一つ。トウビー・シャンディ大尉がフランドルで戦っていた当時の国王はウィリアム3世(在位1689-1702)である。[本文に戻る]

「ナムプス」
【Numps】
 ナンプス。ハンフリー(Humphrey)の愛称の一つだが、18世紀には「愚か者」の意味もあった。[本文に戻る]

「ニツク」
【Nick】
 英語の "Old Nick" には「悪魔」の意味がある。[本文に戻る]

然れども
【しかれども】[本文に戻る]
 

「トリストラム」
【Tristram】
 ラテン語の tristis(悲しい、つらい)を語源とする名。アーサー王伝説に登場する円卓の騎士の一人トリストラム(またはトリスタン[Tristan])が誕生したとき、その母は難産がもとで死ぬが、生まれた子にトリストラム(悲しい生まれの子)と名付けるよう言い残していた。やがて大人になったトリストラム(トリスタン)は伯父マルク王の妃イゾルデとの激しい恋の末に非業の死を遂げる。
 ウォルター・シャンディは生まれた息子を「トリスメジスタス」(Trismegistus, 「三重に偉大な」の意味)と名付けようとするが、洗礼の際に手違いがあって、音のよく似た「トリストラム」という名が付いてしまう。
 ちなみに「トリスメジスタス」とは、学問や技芸をつかさどる神、ヘルメス・トリスメギストス(三重に偉大なヘルメス)にちなむ名である。ギリシア神話のヘルメスとエジプト古来のトートとがエジプトのヘレニズム的環境の中で習合し生まれた神で、この神の教えと信じられた「ヘルメス思想」は秘教として受け継がれ、古代からルネサンスに至るヨーロッパおよびイスラム圏で、占星術および錬金術の哲学として研究された。
 ウォルター・シャンディは第2巻第19章で、珍妙な理論によって帝王切開の利点を主張しつつ、ヘルメス・トリスメギストスもまた帝王切開によって生まれたと言っている。[本文「トリストラム」に戻る][本文「吾父独語して曰く」に戻る]

其妻懐胎して
【そのつまかいたいして】
 第2巻第19章。[本文に戻る]

蘊奥
【うんおう】
 奥義。極意。[本文に戻る]

前脳
【ぜんのう】
 ここでは大脳を指す。「後脳」は小脳。[本文に戻る]

窘搾
【きんさく】
 締め付けること。[本文に戻る]

死灰
【しかい】
 火の気のなくなった灰。生気を失ったもののたとえ。[本文に戻る]

施こすに由なくして已みぬ
【ほどこすによしなくしてやみぬ】
 施しようがないので中止になった。[本文に戻る]

真率
【しんそつ】
 正直で飾り気のないこと。[本文に戻る]

「ウォルター」の子
【Bobby Shandy】
 ボビー・シャンディ。トリストラムの兄。ロンドンのウェストミンスター校に寄宿している。トリストラムが語る物語にはほとんど登場しない。
 ボビーの死はすでに第4巻第31章で予告されるが、第5巻第2章では、父のウォルターがボビーのヨーロッパ大陸旅行(グランド・ツアー)の計画を練っている最中に、ボビーがロンドンで死んだことを告げる手紙が届く。漱石が引用しているのはその直後の場面である。
 「トリストラムの兄『ボビー』の……死は、ウォルターの縦横無尽のペダンティックな議論の向こうに追いやられて消失してしまう具合いであるが、この『死』の主題はじつは『トリストラム・シャンディ』全体に深い基調音として響いているものである。『出産』と『命名』と『死』の主題は、『トリストラム・シャンディ』のヒューマーの世界を支える三位一体[トリニティ]というべきであって、金之助の記述もこのあたりで質量ともに充実して熱がこもっている」(坂本 2000: 321)。[本文に戻る]

左も
【さも】[本文に戻る]
 

是免る可らざるの数なり
【これまぬかるべからざるのすうなり】
 「数」は「運命」。以下の長い引用は第5巻第3章より。
[朱牟田夏雄の訳文]
 ウォルターの演説は、大部分がバートンの『憂鬱の解剖』の、主として第2部第3章第5節からの引用ないしは「剽窃」である。ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』の中の、巨人ガルガンチュアが妻の死を嘆くくだり(『第二之書』第3章)が影響している可能性もある。
 なお、「知性派」のウォルターが奇妙な演説によってトウビーを混乱させるこの場面は、「肉体派」のトリム伍長が使用人たちの前でボビーの死を悼んだ演説を行い、一同を感動の渦に巻き込む場面(第5巻第6章〜第10章)と対照されている。[本文に戻る]

「マグナ、カータ」
【Magna Carta】
 マグナ・カルタ(大憲章)。1215年、イギリスのジョン王が彼の失政を批判する貴族らに強いられて承認した勅許状。王と貴族との間の封建的主従関係の原則を規定したもの。[本文に戻る]

墓碣
【ぼけつ】
 墓石。
 書物もまた「永久に我等を伝ふ可き筈の墓碣」であろう。特に、作者スターンが語り手トリストラムの姿を借りて、自らの生きた精神の動きをまるごと保存しようとした『トリストラム・シャンディ』のような本には、そうした側面がある。そして『トリストラム・シャンディ』のような書物もまた、いずれは誰にも読まれなくなり、新しい版が出なくなることによって、「天に対して借銭を払ふ」ことになるのだろうか?[本文に戻る]

進化といふ語
【しんかというご】
 スターンの原文は "evolutions" である。チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin, 1809-82)はまだ生まれていないので、ウォルターは進化論的な意味でこの言葉を使ったのではなく、単なる言い間違いである。ちなみに『オックスフォード英語辞典』(OED)が、生物以外の事物の「内在する要因による成長」という意味で "evolution" を使った最初の例として挙げているのは、1807年の例文である。いずれにせよウォルターの言わんとしたのは「古いものが滅んで新しいものに取って代わられる」ということであって、 "evolutions" では通じない。
 『トリストラム・シャンディ』の時代には "evolution" の基本的な意味は「展開すること、繰り広げること」であったはずで、また軍事用語としては「隊列を展開する形または展開する動作」の意味があった。おそらくそこに反応したトウビーに聞きとがめられたウォルターは、あわてて "revolutions"(変革)と言い直している。[本文に戻る]

然し
【しかし】[本文に戻る]
 

横合から口を入れる抔は
【よこあいからくちをいれるなどは】
 この場面でのウォルター・シャンディは幸か不幸かすぐ元の話題に戻っているが、『トリストラム・シャンディ』の世界では、登場人物が何か話を始めようとすると、たいていは聞き手の誰かが「横合いから口を入れる」ことになり、そのままどこまでも話が逸れて肝心の話題がどこかに行ってしまうことが多い。
 そのもっとも典型的な例は、第8巻第19章に登場する「ボヘミア王とその七つの城の話」である。トリム伍長はトウビー・シャンディに「ボヘミア王とその七つの城の話」を聞かせようとするのだが、話し始めるとすぐにトウビーが「横合いから口を入れる」ために本題になかなか入れず、何度か話し始めては脱線しているうちに、いつしか話題はトリムの恋の話に移ってしまい、ボヘミア王の物語がいったいどんなものだったのかは永遠に謎のまま残る。
 なお、こうした「横合いから口を入れる」現象は登場人物どうしだけに見られるのではない。この本自体の語り手トリストラムに対して、読者たちが「横合いから口を入れる」場面すらしばしば現われる。たとえ作者自身が設定した架空の読者とはいえ、読者にまで発言の機会を与えてしまうこうした書き方は、「文章とは会話の別名に過ぎない」というトリストラム(というよりは作者スターン)の信念に基づくものだろう。第2巻第11章でトリストラムはこう語っている(朱牟田夏雄訳)。
 「文章とは、適切にこれをあやつれば(私の文章がその好例と私が思っていることはいうまでもありません)、会話の別名に過ぎません。作法を心得た者が品のある人たちと同席した場合なら、何もかも一人でしゃべろうとする者はないように、――儀礼と教養の正しい限界を理解する作者なら、ひとりで何もかも考えるような差出がましいことは致しません。読者の悟性に呈しうる最も真実な敬意とは、考えるべき問題を仲よく折半して、作者のみならず読者のほうにも、想像を働かす余地を残しておくということなのです」(上巻、pp.182-183)。[本文に戻る]

猶々
【なおなお】[本文に戻る]
 

「トロイ」
【Troy】
 トルコの小アジア(アナトリア半島)北西端にある先史時代の都市遺跡。ホメロスの叙事詩『イリアス』の舞台として有名。[本文に戻る]

「シーブス」
【Thebes】
 テーベ。ギリシア中部の都市遺跡。ソフォクレスの悲劇『オイディプス王』で知られるオイディプス伝説など数々の神話の舞台の地として有名。[本文に戻る]

「デロス」
【Delos】
 ギリシア南東部、エーゲ海のキクラデス諸島に含まれる小島。古代ギリシアにおけるエーゲ海の政治、宗教、商業の中心地。[本文に戻る]

「バビロン」
【Babylon】
 イラクのユーフラテス河畔にある都市遺跡。古代バビロニアおよび新バビロニアの首都として繁栄した。[本文に戻る]

「ニネヴエ」
【Nineveh】
 イラク北部にある都市遺跡。アッシリア帝国の都として栄えた。[本文に戻る]

「レヂナ」
【Ægina】
 アイギナ。アテネの南西、サロニカ湾内の島にあった古代都市国家。海運で栄えたが、アテネとの争いに敗れて衰微した。[本文に戻る]

「メガラ」
【Megara】
 ギリシア中東部、アテネとコリントの間にあった古代都市国家。商業都市として栄えた。[本文に戻る]

窃か
【ひそか】[本文に戻る]
 

「ピレウス」
【Pyræus】
 ピレウス(ピレエフス)。アテネの近くにある港町。[本文に戻る]

「コリンス」
【Corinth】
 コリント(コリンソス)。ギリシア南部の都市。古代ギリシア商業・芸術の中心地の一つ。[本文に戻る]

通邑大都
【つうゆうだいと】
 道路が四方に通じている大都会。[本文に戻る]

落寞
【らくばく】
 もの寂しいさま。[本文に戻る]

何条
【なんじょう】
 どうして。[本文に戻る]

汝も男ならずや
【なんじもおとこならずや】
 スターンの原文は "[R]emember thou art a man." であり、朱牟田夏雄訳では「忘るるなかれ、汝、ただ人の身に過ぎざるを」となっている。朱牟田は "man" を、はかない存在にすぎない人間として捉えているのに対し、漱石がこれを「男」と捉えているのは興味深い。[本文に戻る]

質直
【しっちょく】
 素直で真面目なこと。[本文に戻る]

「サルピシアス」
【Servius Sulpicius Rufus】
 セルウィウス・スルピキウス・ルーフス(?-前43)。古代ローマの政治家。哲学者キケロ(Marcus Tullius Cicero, 前106-43)の友人。キケロの娘の死に際して、ここで言及されている慰めの手紙を送った。[本文に戻る]

「タリー」
【Tully】
 古代ローマの哲学者・政治家であるキケロ(Marcus Tullius Cicero, 前106-43)のこと。代表作は『国家について』など。雄弁家としても知られ、その修辞論は中世・近世を通じての修辞学に大きな影響を与えた。
 ちなみにウォルター・シャンディは、『トリストラム・シャンディ』の最初の2巻では、キケロその他の弁論術を学んだことはない天性の雄弁家という設定なのだが、巻が進むに連れて、あらゆる学問に通じた生き字引的な人間として描かれるようになった。[本文に戻る]

所謂
【いわゆる】[本文に戻る]
 

「ベーコン」
【Francis Bacon】
 イギリスの哲学者(1561-1626)。科学的方法と経験論との先駆者。代表作は『学問の進歩』(1605)『ノウム・オルガヌム』(1620)など。[本文に戻る]

学者にして愚物
【がくしゃにしてぐぶつ】
 ウォルター・シャンディは膨大な知識を持ちながら、あまりに知性重視の頭でっかちな人間であるがゆえに、いつも生身の肉体の限界に直面して失敗するはめになる。
 「[漱石の『トリストラム・シャンディ』論の]一番肝心な点は、明治三十年という時点で人と言葉における肉体性とでも言うべき猥雑な部分に執した点である。これこそ『シャンディズム』また『パンタグリュエリズム』などとよばれ、『トリストラム・シャンディ』を含む肉体礼讃文学の真諦ともなっている性格なのだ。『猫』中ぼくが一番気に入りの文句は『行住坐臥、行屎送尿』というのだが、要するに人はいくら頭を使い左脳的に威張ってみても、『猫』の先生みたいに胃弱を患い、『タカジヤスターゼ』の世話にならねばならず、食えば必ず便所にも行かねばならない、そういう肉体的物質的な存在なのだ」(高山 1995: 1011)。
 なお、フランシス・ベーコンは『学問の進歩』のなかで学者が犯しうる過ちを指摘し、警告しているが、"learned ignorance" という表現は使っていない。"learned ignorance" という英語はむしろ、ドイツの神学者ニコラウス・クザーヌス(1401-64)の用語である「知ある無知」(docta ignorantia)の訳語として使われ、自らの無知を知ることによって学識を得た状態を指す。

[参考]行屎送尿
【こうしそうにょう】
 『吾輩は猫である』の「二」で、哲学者エピクテトスの本を読もうとして放り出し、芸者の容貌を批評する日記を書き始めた苦沙弥先生を眺めながら、猫がこう語っている。
 「人間の心理ほど解(げ)し難いものはない。この主人の今の心は怒(おこ)っているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道(いちどう)の慰安を求めつつあるのか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交(まじ)りたいのだか、くだらぬ事に肝癪(かんしゃく)を起しているのか、物外(ぶつがい)に超然(ちょうぜん)としているのだかさっぱり見当(けんとう)が付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、怒(おこ)るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等猫属(ねこぞく)に至ると行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、行屎送尿(こうしそうにょう)ことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒な手数(てかず)をして、己(おの)れの真面目(しんめんもく)を保存するには及ばぬと思う。日記をつけるひまがあるなら椽側に寝ているまでの事さ」。[本文に戻る]

「グレー」
【Thomas Gray】
 トマス・グレイ。スターンとほぼ同世代のイギリスの詩人(1716-71)。代表作は『墓畔の哀歌』(1751)。貧しい農夫たちの墓畔にたたずんで人生のはかなさを嘆じたこの詩は、明治時代の日本でいち早く迎えられ、『新体詩抄』(1882)にも矢田部良吉訳で「グレー氏墳上感懐の詩」として紹介された。
 漱石がここで引用しているのは『イートン校遠望の詩』("Ode on a Distant Prospect of Eton College," 1742)を締めくくる言葉。[本文に戻る]

築城学の研究
【ちくじょうがくのけんきゅう】
 第2巻第3章。
[朱牟田夏雄の訳文]
 スターンは、トウビー・シャンディが研究する築城学や弾道学についての知識を、チェンバーズ(Ephraim Chambers, 1680?-1740)が編纂した『百科事典』(Cyclopædia, 1728)の、「築城学(Fortification)」「投射物(Projectile)」「砲術(Gunnery)」といった項目から得ている。
 チェンバーズの『百科事典』をフランス語に翻訳して刊行する企画が発展して生まれたのが、ディドロとダランベールの『百科全書』(1751-72)である。なお、スターンと同い年のディドロ(Denis Diderot, 1713-84)は、スターンを「イギリスのラブレー」と呼んで讃え、『トリストラム・シャンディ』に影響を受けた奇書『運命論者ジャックとその主人』(1796出版, 1771-78ごろ執筆)を書いている。[本文に戻る]

「マルタス」
【François Malthus】
 マルテュス(?-1658)。フランスの砲術学者。[本文に戻る]

「ガリレオ」
【Galileo Galilei】
 ガリレイ。イタリアの物理学者・天文学者(1564-1642)。近代科学の創始者の一人。『新科学対話』(1638)で砲丸の運動について論じた。[本文に戻る]

「トリセリアス」
【Evangelista Torricelli】
 トリチェリ。イタリアの物理学者・数学者(1608-47)。投射体の運動についての研究がガリレイの目にとまり、晩年のガリレイの弟子となった。[本文に戻る]

截錐
【せっすい】
 円錐曲線。直円錐の切り口。[本文に戻る]

時間を論ずる条
【じかんをろんずるじょう】
 第3巻第18章。以下はウォルターの台詞。ウォルターの時間論に対して、語り手トリストラム(あるいは作者スターン)は「ロック参照のこと」という注を付けている。実際このあたりの文章は、ジョン・ロックの『人間悟性論』第2巻第14章第3節、第19節、および第9節に基づいている。
[朱牟田夏雄の訳文]
 ウォルターは、人間が自分の頭の中の観念の経過によって時間を測るのでなく、時計の作り出す時間に縛られている状況を批判して、「このイギリスの王国中に時計なんてものが一つもなかったらどんなによいことか」と言っているが、そもそも時計はトリストラムの最初の不幸の原因であった。第1巻第1章で、ウォルターがのちにトリストラムとなる精子をまさに胎内に注入しようとするとき、妻のエリザベス(Elizabeth)は突然「あなた時計をまくのをお忘れになったのじゃなくて?」と口走る。気が逸れたウォルターはその瞬間に射精、「精子の小人」を守るべき「動物精気」はちりぢりバラバラになってしまう。[本文に戻る]

双絶
【そうぜつ】
 二つともこの上なくすぐれていること。[本文に戻る]

「フューテトリアス」と栗の話し
【ふゅーてとりあすとくりのはなし】
 第4巻第27章。識者たちが一堂に会した晩餐の席で、トリストラムの名前を変更できるかどうかが議論されていたとき、聖職者でありながら『蓄妾論』の著者でもあるフュータトーリアス(Phutatorius, 「交接者」を意味する)のズボン穴に、焼けた栗が飛び込んで大騒ぎになる話。
[朱牟田夏雄の訳文]
 なお、このすぐ後の場面では、フュータトーリアスがズボン穴から取り出して投げつけた栗をたまたまヨリックが拾ったのを見て、フュータトーリアスも周囲の人々も、ヨリックこそが焼けた栗をズボン穴に放り込んだ張本人だと思い込む。ちなみにフュータトーリアスは、ローレンス・スターンを敵視していた叔父のジェイクス・スターンを諷刺したものとされている。[本文に戻る]

「ジョンソン」
【Samuel Johnson】
 スターンと同時代を生きたイギリスの作家(1709-84)。18世紀イギリス文壇最大の大御所的存在。その人となりはボズウェル(James Boswell, 1740-95)による伝記文学の傑作『サミュエル・ジョンソン伝』(1791)によって知られる。代表作は『英語辞典』(1755)、小説『ラセラス』(1759)、評伝『イギリス詩人伝』(1779-81)など。『英語辞典』は英語では最初の学問的辞書で、標準英語の確立に貢献した。[本文に戻る]

「ジェーナス」
【Janus】
 ヤヌス。古代ローマの神。門の守護神で、前後を向いた二つの頭を持つ。ローマの建国者ロムルスに女たちを奪われたサビニ族がローマを襲撃しようとしたとき、ヤヌスが熱湯の泉を噴出させて敵を敗走させたことから、戦争中はヤヌスの神殿の扉が開かれるようになったが、平和な時にはその神殿の扉は必ず閉められている定めだった。[本文に戻る]

なり了ぬ
【なりおわんぬ】
 なってしまった。[本文に戻る]

財嚢
【ざいのう】
 財布。[本文に戻る]

膝栗毛七変人抔
【ひざくりげ しちへんじん など】
 「膝栗毛」は十返舎一九(じっぺんしゃいっく、1765-1831)の滑稽本『東海道中膝栗毛』(1802-09)。「七変人」は梅亭金鵞(ばいていきんが、1821-93)の滑稽本『妙竹林話 七偏人』(1857-63)のこと。[本文に戻る]

蓋し
【けだし】
 まさしく。ほんとうに。[本文に戻る]

愛といふ情をいろは順で並べたらば
【あいというじょうをいろはじゅんでならべたらば】
 第8巻第13章。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

Agitating . . .

 英文の意味は次のようなもの。

Agitating,
[ドキドキさせる、]
Bewitching,
[うっとりさせる、]
Confounded,
[いまいましい、]
Devilish
[呪われた、]
affairs of life;
[人生の営み。]
--the most
[最も]
Extravagant,
[むちゃくちゃで、]
Futilitous,
[くだらない、]
Galligaskinish,
[ゆるい半ズボンみたいな、]
Handy-dandyish,
[物をどっちの手に握っているか当てる遊びみたいな、]
Irancundulous,
[怒りっぽい、]
(there is no K to it) and
[(「K」は飛ばして、)]
Lyrical
[叙情的なもの、]
of all human passions:
[人間のあらゆる感情のなかで。]
at the same time
[それと同時に、]
the most
[最も]
Misgiving,
[はらはらさせ、]
Ninnyhammering,
[バカみたいで、]
Obstipating,
[便秘の元になり、]
Pragmatical,
[もったいぶり、]
Stridulous,
[耳障りで]
Ridiculous
[不合理なもの。][本文に戻る]

尊むべき悦喜の涙は
【たっとむべきえっきのなみだは】
 第6巻第5章。叔父トウビーはトリストラムの家庭教師として、哀れな最期を遂げたル・フィーヴァー中尉の息子を推薦し、不遇をかこっていた中尉の息子に活躍の場が与えられたことに感動して涙を流す。[本文に戻る]

涙は彼の両頬を伝りぬ
【なみだはかれのりょうほほをつたわりぬ】
 第2巻第17章。トリム伍長は著者不明の説教(実はヨリックの説教)をシャンディ兄弟の前で朗読することになるが、説教の著者が英国国教会とカトリック教会のどちらの人間であるかが話題にのぼったとき、トリムは彼の兄トムがカトリック国ポルトガルの異端審問所に監禁されていることを語り、涙をさめざめと流す。やがてその説教がカトリック教会を批判し、異端審問所での残酷な拷問の場面を描き出すに及んで、トリムは心痛のあまり先を読むことができなくなってしまう。[本文に戻る]

涕涙滂沱たり
【ているいぼうだたり】
 涙がとめどなく流れ出る。
 「涕涙滂沱」たる場面は『トリストラム・シャンディ』全編にわたって何度も出現し、とりわけ叔父トウビーとトリム伍長はしきりに涙を流している。
 ただし『トリストラム・シャンディ』の文章はめったに一方的な感傷趣味に流れず、話が湿っぽくなってくると、なぜか感動的な雰囲気に茶々を入れるような事件が出来して滑稽な展開を見せるのが常である。[本文に戻る]

潸々
【さんさん】
 涙をさめざめと流すさま。[本文に戻る]

閲して数葉を終らざるに
【えっしてすうようをおわらざるに】
 読み始めて数ページも進まないうちに。[本文に戻る]

夫の
【その】[本文に戻る]
 

「ル、フェヴル」
【Le Fever】
 ル・フィーヴァー中尉。連隊に合流する旅の途中、シャンディ家の屋敷がある村の宿屋で病に倒れたル・フィーヴァーは、叔父トウビーとトリム伍長に見守られ、幼い息子ビリー(Billy)を残して死んでいく。ル・フィーヴァーの物語が語られるのは第6巻第6章〜第10章。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

法印
【ほういん】
 僧侶。[本文に戻る]

遷化
【せんげ】
 位の高い僧侶が死ぬこと。ヨリックの最期については第1巻第12章で語られる。[本文に戻る]

「ユージニアス」
【Eugenius】
 ヨリックの友人、および大人になったトリストラムの友人。「良い生まれ」を意味するギリシア語が語源。スターン自身の友人であったジョン・ホール=スティーヴンソン(John Hall-Stevenson, 1718-85)という人物がモデルとされる。[本文に戻る]

冠が、霰の如く繁く降るとも
【かんむりが、あられのごとくしげくふるとも】
 漱石の訳では省略されているが、語り手トリストラムは、ヨリックのこの台詞がセルバンテスをもじっていることをほのめかしている。『ドン・キホーテ』前編第7章で、ドン・キホーテは、やがて自分が大きな王国を手に入れたあかつきには、その属領の国の一つをサンチョ・パンサに与えようと言うが、サンチョ・パンサはこう応じる。
「もし、お前様の言いなさった奇跡のひとつによって、おいらがどこかの王様になったとすりゃ、うちの女房のフアナ・グティエレスはさしずめ王妃で、せがれどもは王子様というわけですかい。」
「そのとおりじゃ。誰か疑いをさしはさむ者がいるかな?」と、ドン・キホーテがひきとった。
「おいらが疑いますだ」と、サンチョ・パンサが答えた。「どうしてかっていやあ、かりに神様が王冠を雨あられと地上に振りまいてくださったところで、マリ・グティエレスの頭にちゃんとのっかるようなのは、ひとつもねえと思うからですよ。まったくの話が、旦那様、あいつは王妃としては三文の価値もありゃしません。」
(セルバンテス作、牛島信明訳『ドン・キホーテ』前篇(一)[岩波文庫、2001年]p.140)
[本文に戻る]

存候
【ぞんじそうろう】[本文に戻る]
 

あはれ無邪気なる「ヨリック」よ
【あわれむじゃきなるよりっくよ】
 以下の感慨は『トリストラム・シャンディ』の文章を引用したものではなく、漱石自身の感慨である。漱石がヨリックという人物像をいかに愛していたかが伝わってくる。[本文に戻る]

万斛
【ばんこく】
 はかりきれないほど多い分量。[本文に戻る]

「嗚呼憐む可き「ヨリック」」
【あああわれむべきよりっく】
 スターンの原文は "Alas, poor YORICK!" である。『トリストラム・シャンディ』に登場するヨリックは、シェイクスピアの『ハムレット』に登場する宮廷道化師ヨリックの末裔という設定だが、『ハムレット』第5幕第1場では、墓掘りが土中から拾い上げた髑髏が道化師ヨリックのものであることを知ったハムレットが、この台詞「ああ、可哀想なヨリック!」を口にする。
 スターンの『トリストラム・シャンディ』ではこの台詞に続いて、ヨリックの死を悼むために真っ黒なページが1枚(2ページ)挿入されている。
 ただしここで死んだはずのヨリックは、その後も『トリストラム・シャンディ』全編にわたって活躍し、次作『センチメンタル・ジャーニー』に至っては主人公としてルイ15世治下のフランスを旅することになる。[本文に戻る]

天命は忽ちにして復去りぬ
【てんめいはたちまちにしてまたさりぬ】
 第6巻第10章。ただしこの文章は、ヨリックの最期ではなくル・フィーヴァー中尉の死を描いた場面である。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

「ヂッキンス」
【Charles Dickens】
 ディケンズ。イギリスの小説家(1812-70)。代表作は『デイヴィッド・コパフィールド』(1849-50)『クリスマス・キャロル』(1843)など。[本文に戻る]

【なお】[本文に戻る]
 

局を結び
【きょくをむすび】
 論を締めくくり。[本文に戻る]

【それ】[本文に戻る]
 

「トビー」一日、食卓に着き
【とびーいちじつしょくたくにつき】
 第2巻第12章。
[朱牟田夏雄の訳文]
 なお、この「叔父トウビーと蠅」のエピソードは、スターンの死後、「ル・フィーヴァーの物語」などとともに『トリストラム・シャンディ』から切り離されて『スターン美文集』(The Beauties of Sterne)といったアンソロジーに入れられ、さらに「種々の文学書に引用せられ」、『トリストラム・シャンディ』自体の猥雑さを嫌った19世紀の読者にも親しまれた。日本でも、漱石がこの文章でスターンを本格的に紹介する25年前に、このエピソードだけは福沢諭吉が翻訳した教訓的童話集に収録され、紹介されていた。[本文に戻る]

思ひけん
【おもいけん】
 思ったのだろう。[本文に戻る]

攫し去る
【かくしさる】
 つかみ取る。[本文に戻る]

辞 
【じ】
 言葉。以下はトウビーの台詞。[本文に戻る]

蒼天黄土
【そうてんこうど】
 青い空と黄色い土。大空と大地。[本文に戻る]

再生の恩を謝して
【さいせいのおんをしゃして】
 命を救い更生の機会を与えてくれたことに感謝して。[本文に戻る]

冷然として其母の困苦を傍観したる
【れいぜんとしてそのははのこんくをぼうかんしたる】
 ローレンス・スターンが借金に苦しむ母アグネス(Agnes Sterne)を助けなかったため、母はヨークの債務者監獄に入れられてしまった、というスキャンダラスな逸話は、スターンの死後、次第に尾鰭が付いて広まってゆく。しかし実際には、スターンの叔父が彼を陥れるために仕組んだ事件だったらしい。
 ローレンス・スターンの叔父で、英国国教会のエリート聖職者だったジェイクス[あるいはジャックス]・スターン(Jaques Sterne, 1696?-1759)は、ヨーク大聖堂で要職にあり、ローレンスが教区牧師となる(聖職禄を獲得する)のにも一役買っていた。狂信的なホイッグ党支持者であったジェイクスに従ってしばらくは政治運動に手を染めていたローレンスは、ホイッグ党のウォルポール(Robert Walpole, 1676-1745)が政権を離れた1742年ごろには叔父と袂を分かつ。やがてジェイクスは教会内の覇権をめぐる党派抗争が元でローレンスと対立し、彼を敵視するようになっていた。
 おそらく1751年に、息子にさらなる金銭的援助を求めてヨークにやってきたアグネス・スターンは、ローレンスの名誉を汚そうとするジェイクスの画策によって投獄されるはめになったというのが真相のようである。ローレンスは母と決して良好な関係にはなかったが、常識的な金銭援助は行っていた。母の投獄事件に関して身の潔白を示すために、ローレンスは1751年4月5日、ジェイクス本人に宛てた長い弁明の手紙を書いている(Lewis Perry Curtis, ed., Letters of Laurence Sterne [Oxford: Clarendon, 1935] 32-44)。
 スターンに関する伝記的事実については、伊藤誓「スターン略伝」(伊藤 1995: 289-329)を参照。[本文に戻る]

「ヂスレリー」
【Benjamin Disraeli】
 ディズレーリ。イギリスの政治家・小説家(1804-81)。イギリス首相 (1868, 1874-80)。小説家としての代表作は『コニングズビー』(1844)『シビル』(1845)など。
 なお、ベンジャミン・ディズレーリの父アイザック・ディズレーリ(Isaac D'Israeli, 1766-1848)も文筆家で、その著作『文学雑文集』(Miscellanies of Literature, 1840)では、作家としてのスターンのユーモアを高く評価するとともに、その実人生にまつわる不名誉な逸話を紹介しているという(Alan B. Howes, Yorick and the Critics: Sterne's Reputation in England, 1760-1868 [New Haven: Yale Univ. Press, 1958] 136)。漱石がここで言及しているのは、こちらのディズレーリである可能性も高い。[本文に戻る]

「マッソン」
【David Masson】
 イギリスの批評家(1822-1907)。ロンドン大学、のちにはエディンバラ大学で英文学の教授を務めた。スターンの文体への言及は『英国小説家とその文体』(British Novelists and Their Styles, 1859)にある。[本文に戻る]

豊腴
【ほうゆ】
 豊か。[本文に戻る]

嫺雅
【かんが】
 みやびやか。[本文に戻る]

「トレール」
【Henry Duff Traill】
 イギリスのジャーナリスト・批評家(1842-1900)。以下の引用は『英国文人叢書』(English Men of Letters)というシリーズの一冊として書かれた『スターン』(Sterne, 1882)からのもの。[本文に戻る]

肯綮を得たる
【こうけいをえたる】
 的を射ている。[本文に戻る]

怪癖
【かいへき】
 風変わりなさま。[本文に戻る]

察する所此女は
【さっするところこのおんなは】
 第1巻第7章。トリストラムの誕生に立ち会った産婆の経歴を語るくだり。スターンは、普通ならピリオド(.)を打って新たな文を始めるべきところでも、ダッシュ(――)やセミコロン(;)を使って延々一つの文を続けることが多い。この引用箇所も原文は一つの長い文で、初版ではほぼ一ページ分の長さにわたって続く。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

【ゆえ】[本文に戻る]
 

旦那寺の妻君
【だんなでらのさいくん】
 教区牧師ヨリックの妻を指す。[本文に戻る]

贔負
【ひいき】[本文に戻る]
 

【など】[本文に戻る]
 

父は倚子を掻い遣りぬ
【ちちはいすをかいやりぬ】
 第3巻第41章。トウビーに向かってスラウケンベルギウスの難解な鼻論を得意気に聞かせていたウォルターが、トウビーのあまりにとんちんかんな質問にショックを受け、思わず取った奇矯な行動が描かれている。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

蝶※[金+交]
【ちょうつがい】
 第3巻第21章〜第22章によると、シャンディ家の居間のドアの蝶番(ちょうつがい)は調子が狂っていて、誰かがドアを開くたびにギーギー耳障りな音をたてるので、ウォルターはゆっくり思索にふけることものんびりうたた寝をすることもできず、この蝶番が気になって仕方がない。しかし蝶番に油を注ぎさえすえばすぐに直せるものを、ついつい面倒で先延ばしにしてしまい、いまだに直せずにいる。[外字の表示][本文に戻る]

云々
【うんぬん】[本文に戻る]
 

一篇
【いっぺん】
 一つの章。[本文に戻る]

左まで
【さまで】
 それほど。[本文に戻る]

吾父独語して曰く、
【わがちちどくごしていわく】
 第4巻第5章。この章はここに引用された一文だけから成る。
 「一族が繁栄するためには、家長の鼻が大きくなければならない」と信じているウォルターは、生まれてきた赤ん坊の鼻が産科医スロップの手違いでぺしゃんこに潰されてしまったことを聞くと、あまりのショックに寝室に引きこもり、ベッドに突っ伏したままの姿勢で動かなくなってしまう。トウビーとトリム伍長はウォルターを慰めにくるが、第4巻第4章ではふとしたことから話題が逸れ、二人はウォルターそっちのけで「恩給や兵士」の話で盛り上がる。悲劇の主人公であるはずがすっかり話題から置き去りにされてしまったウォルターの心の叫びが、この第5章である。
 ちなみに第6章以降でウォルターは会話の主導権を奪うことに成功し、鼻のダメージを埋め合わせるために特にめでたい名前を与えようと、赤ん坊を「トリスメジスタス」と名付けることを宣言する。[本文に戻る]

静粛無声を随へて
【せいしゅくはむせいをしたがえて】
 第6巻第35章。トウビー・シャンディの失望と落胆を描いた場面からの引用。朱牟田夏雄訳ではこうなっている。「『静けさ』が『沈黙』をあとに従えて叔父トウビーのさびしい居間に入って来、持ってきた紗のマントを叔父の頭の上からスッポリとかぶせました――『無気力』がしまりのない体つきとうつろな目をして、叔父のとなりの安楽椅子に音もなく腰をおろしました」(中巻、338-9)。
 トウビーをそこまで落胆させたのは、スペイン継承戦争(1701-14)の終結である。トウビー・シャンディとトリム伍長は、包囲戦の舞台となる城郭都市を地図を参考に正確に再現したミニチュアを庭の芝生に作り、日刊新聞によって刻々と伝えられる情報に基づいて、現実の包囲戦を庭に作った巨大なミニチュアというバーチャル・リアリティの世界で再現する戦争ごっこに興じていた。二人の呑気な戦争ごっこの模様は、第6巻第21章〜第28章に詳しく描かれている。
 しかし1713年にはユトレヒト条約が締結され、戦争ごっこの根拠を失ったトウビーは途方に暮れる。その落胆を描いたのがここで引用された場面である。やがてトウビーはユトレヒト条約に従ってダンケルクの町(のミニチュア)の防壁を破壊し終ったとき、隣に住むウォドマン未亡人に誘惑され(第8巻第16章、第23章〜第25章)、恋に落ちることになる。[本文に戻る]

幽斎
【ゆうさい】
 奥まった物静かな部屋。[本文に戻る]

【かたわら】[本文に戻る]
 

日に焦けたる労動の娘
【ひにやけたるろうどうのむすめは】
 第7巻第43章。トリストラムが南仏ラングドック地方を旅したとき、ワインの名産地であるニーム近郊の村で出会った若い田舎娘ナネット(Nannette)を描写した言葉。トリストラムは若者たちの踊りの輪に入ってナネットと踊り、生の喜びに浸る。
[朱牟田夏雄の訳文]
 『トリストラム・シャンディ』の第7巻は全体がトリストラムによるフランス旅行記になっている。肺を病んだトリストラムは、追いかけてくる死神から逃れるためにイギリスを飛び出し、全速力で南に向かってフランスを縦断してゆく。
 敢えて過剰に陽気に振舞うことで死神の魔の手を逃れようとするトリストラムは、やはり肺を病んで死神に取り憑かれていた作者スターンの分身にほかならない。スターンは、この道化的大作『トリストラム・シャンディ』を完結させた翌年の1768年に、ロンドンで病死した。
 「『死』の主題はじつは『トリストラム・シャンディ』全体に深い基調音として響いている」(坂本 2000: 321)ことを思うとき、第1巻のロンドン初版(1760)に添えられた、時の有力政治家ウィリアム・ピット(William Pitt, 1708-78)への献辞の中でスターンが書いている言葉は意味深い。朱牟田夏雄訳ではこうなっている。
 「……私は、健康の衰えやらそのほかの人の世の禍いなどから、何とか笑いの力で身を守ろうと、不断の努力を重ねながら生きている身でございます。私めがかたく信じておりますのは、人間は微笑を浮かべるたびに――いえ、哄笑ということになればいちだんとそうでございますが――それだけこのつかの間の人生には、何かが加えられるということでございます」(上巻、p.32)。
 「このつかの間の人生」は原文では "this Fragment of Life"(この人生という断片)である。「どうせ短い人生なら、糞まじめな顔をして肩肘張らずに、笑って生きていこう」というメッセージが、『トリストラム・シャンディ』の根底には流れているように思われる。[本文に戻る]

「カメル」
【Thomas Campbell】
 キャンベル。スコットランドの詩人(1777-1844)。ここに引用されている詩は『希望の喜び』(The Pleasures of Hope, 1799)。[本文に戻る]

Hope for a season . . .

 英文の意味は次のとおり。

Hope for a season bade the world farewell,
(「希望」はしばらく世界に別れを告げ、)
And Freedom shrieked
(「自由」は悲鳴を上げた――)
as Kosciusko fell!
(コシチューシコが倒れたのだ!)
 
「コシチューシコ」(1746-1817)はポーランド独立戦争の英雄。1794年、農民兵を含む部隊を率いてロシア軍と戦うが、同年10月マチェヨビツェの戦いで負傷してロシア軍の捕虜となる。[本文に戻る]

兎にあれ
【とにあれ】
 ともかく。どうであっても。[本文に戻る]

法度
【はっと】
 おきて。[本文に戻る]

※[女+尾]々
【びび】
 長々と飽きずに続けるさま。[外字の表示][本文に戻る]

「スロップ」
【Dr. Slop】
 トリストラムの誕生に立ち会う産科医。主要な登場人物の中では唯一のカトリック教徒であり、何かと諷刺の的にされる。産科学書の著者でありながら実際の分娩にあたっては無力であり、頭でっかちの役立たずという点でシャンディ家の人々と共通している。
 スロップは自ら考案した「こよなく安全な分娩道具」である鉗子(かんし)を用いてトリストラムを胎内から引き出そうとするが、そのとき誤ってトリストラムの鼻を平たく押し潰してしまい、「一族が繁栄するためには、家長の鼻が大きくなければならない」と信じる父のウォルターに衝撃を与える。[本文に戻る]

倉皇
【そうこう】
 あわてふためいて。[本文に戻る]

床上に臥したる吾父は、
【しょうじょうにがしたるわがちちは】
 第3巻第29章。
[朱牟田夏雄の訳文][本文に戻る]

臥床
【がしょう】
 寝台。[本文に戻る]

戸帳
【とちょう】
 寝台の四隅の柱に掛けたとばり。ベッドの垂れ布。[本文に戻る]

毫も
【ごうも】
 少しも。[本文に戻る]

剽窃
【ひょうせつ】
 他人の作品や論文を盗んで、自分のものとして発表すること。
 『トリストラム・シャンディ』に含まれる過去の文学作品からの引用は、すでに発表中から「剽窃」だとされ非難を浴びた。そのため語り手トリストラムは、第5巻第1章で今後は剽窃などしないことを誓い、さまざまな古典からの引用を使って剽窃を非難するが、その文章自体がバートンの『憂鬱の解剖』からの「剽窃」になっているという、手の込んだいたずらをしている。
 『トリストラム・シャンディ』や漱石の『吾輩は猫である』が、古今の雑多な書物からの膨大な引用によって百科全書的かつ衒学的に知識を披瀝する〈アナトミー〉という文学ジャンルに属することを指摘した安藤文人はこう述べている。
 「……繰り返し強調しておく必要があるのは、スターンが『剽窃』したバートンの作品自体が、すでに過去の哲人達などからの〈引用〉によって成り立つ典型的な〈アナトミー〉であるという点だ。……実際『憂鬱の解剖』は、引用元を明示しているという点で『剽窃』とは呼べないにしても、全編がこのような〈引用〉に埋め尽くされている。スターンがバートンから盗んだものがあるとすれば、それは単なる文章の断片だけではない。〈引用〉によってテクストを織り上げるような〈アナトミー〉の編集的記述方法をもスターンは盗んでいる訳である」(安藤 1998)。

[参考]アナトミー(メニッポス風の諷刺)
【anatomy (Menippean satire)】
 「アナトミー」(文字通りの意味は「解剖」)とは、カナダの批評家フライ(Northrop Frye, 1912-91)がその著書『批評の解剖』(1957)の中で、通例「メニッポス風の諷刺」と呼ばれる文学ジャンルを表わすために、より扱いやすい便利な語として提唱した用語。フライは散文の文学作品を「小説」「ロマンス」「告白」「アナトミー」の四つのジャンルに分類したが、このうち「アナトミー」とは、諷刺の対象となるテーマに関する雑多な情報を、百科全書的かつ衒学的に網羅した文章を指す。「解剖」という名称は、このジャンルの代表的作品であるバートンの『憂鬱の解剖』(1621)に基づくもの。その他このジャンルに属する作品を書いた文学者には、ペトロニウス、ルキアノス、アプレイウス、エラスムス、ラブレー、スウィフト、ヴォルテールなどがいる。フライによれば英語で書かれた最大の「アナトミー」はスウィフトの『ガリヴァー旅行記』(1726)であり、また『トリストラム・シャンディ』は「小説」と「アナトミー」の両ジャンルを結合して最大の成功を収めた作品である。[本文に戻る]

墓木已に拱す
【ぼぼくすでにきょうす】
 その人を葬ったとき墓に植えた木が、両手で囲むほどの太さに生長するくらい長い時間が経った。[本文に戻る]

彼は泣べきか将た笑ふ可きか
【かれはなくべきかはたわらうべきか】
 『トリストラム・シャンディ』の語り手トリストラム(あるいは作者スターン)自身は、自分の著作が後世の人間にも読まれ続けることを予想していて、第9巻第8章では後世の読者に向かって、この本の文章を好きなように解釈してもらって結構だと呼びかけている。朱牟田夏雄訳ではこうなっている。
 「私の察しますところでは、母が言い出しました――だが待って下さい、読者の方々――母が今の場合何を察したか――また父がその時何を言ったかは――それにまた母が答えたこと、父がさらにやり返したことなどともども、いずれ別の章でとり上げることにしますから、後世の方々はそこで味読するとも熟読するとも、あるいはご銘々の解釈なり批評なり敷衍[ふえん]なりを加えるとも――一言で簡単に言ってしまえば手垢でよごれるまでいじくりまわしていただいて結構です――私は今、後世の方々と申しました――それはもう一度くり返しても一向かまいません――私のこの書物をたとえば『モーゼは神の使者』や『桶物語』にくらべて見て、これがあの二書とともに「時」の溝の中をフラフラ流れて行くわけにゆかないようなことを何かしでかしているでしょうか?」(下巻、p.230)[本文に戻る]



●本文の表記・画像について

*本文中のルビについては、底本に従いました。ただし底本では『漱石全集』編集部による現代仮名遣いのルビを〔 〕に入れて原文のルビと区別していますが、この電子テキストでは区別していません。「洋袴」に「ヅボン」とルビが振られているところ、「靄」に「モヤ」とルビが振られているところ、および「角」に「カド」とルビが振られているところだけが、漱石の原文のルビです。

*本文中の/\は、二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)を表わしています。

*本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われています。
愚僧の頭は※(くぼ)みて候、

第3水準1-89-53
蝶※(ちょうつがい)の毀れたるを顧みず、

第3水準1-93-13
※々(びび)叙し来つて 

第3水準1-15-81

*本文中の日本語の斜体字は、底本では傍点「ヽ」によって強調されている語句を表わしています。一回だけ使われている白丸傍点「○」については、強調された語句を斜体字にするとともに語句の後に「゜」を付けて表わしました。なお、英語の斜体字は底本でも斜体字です。

*本文中に挿入された曲線の画像は底本のものではなく、スターンの『トリストラム・シャンディ』初版に挿入された曲線の画像をもとに、おそらく漱石自身が描いたと思われる底本の画像に合わせてスターン版にはない数字を書き入れるなど、私(内田)が若干の変更を加えたものです。もとのスターン版の画像は、私が管理するウェブサイト『Tristram Shandy Online』から取りました。

●注釈について

注釈は私(内田)が各種辞典・事典を参考にして付けました。ご意見は masaru@gifu-u.ac.jp までお寄せください。なお、事典類以外で参考にしたのは次の文献です。


[夏目漱石『トリストラム、シヤンデー』の先頭に戻る]


朱牟田夏雄訳『トリストラム・シャンディ』より、夏目漱石『トリストラム、シヤンデー』で言及されている場面


 引用はすべてロレンス・スターン作、朱牟田夏雄[しゅむた・なつお]訳『トリストラム・シャンディ』全3巻(岩波文庫、初版1969年)からのものです。この版は長く品切重版未定になっていましたが、「復刊ドットコム」での復刊運動などの成果が実り、2006年7月に重版再開されることになりました。
 なお、引用の中の……は省略箇所、[ ]内はルビを示します。傍点「ヽ」によって強調されている語句は、便宜的に斜体字で表わしました。また、引用の前後にある[ ]内の文章は、引用された場面の背景を説明するために私(内田勝)が補足したものです。



われ筆を使ふにあらず、筆われを使ふなり

[語り手トリストラムは、前の巻で予告した哀切きわまりない「ル・フィーヴァーの物語」を、読者をさんざんじらせた後でいよいよ語り始めるのだが、例によってたちまち脱線し、トリム伍長の膝の話を延々続けてしまう。]

ル・フィーヴァーの物語


 連合軍がデンダモンドを占領した、その同じ年の夏のある日でした――これは私の父が田舎に引っこんだのより七年ほど前で――叔父トウビーとトリムとが、ヨーロッパでも指折りの堅固な城を築いた都会のいくつかに、これまた指折りのみごとな包囲の陣を敷くべく、ひそかに私の父の都の家を出奔したのよりは、同じく七年ほど後のことになります――ある晩のこと叔父トウビーは夜食をとっており、トリムは小さな脇づくえを前に、叔父の後方に腰をおろしていました。――腰をおろして、と申すのは――伍長の膝がわるいのを考慮して(時としてこれは激痛を与えるのでした)――叔父トウビーは晩餐にしろ夜食にしろ一人で食事をするときは、伍長が立って侍[はんべ]ることを絶対にゆるさなかったのです。一方この伍長が主人に対して抱く尊敬の念というのはこれがまたたいへんなものでしたから、叔父トウビーのほうにしてみると、適切な砲兵隊の援軍をえてデンダモンドの城を打ちやぶるほうが、トリムにこの点を承服させる労にくらべればまたしも楽なくらいでした。現に叔父トウビーは、伍長が脚をやすませているものと思ってふとふり返ってみると、自分のうしろにうやうやしい不動の姿勢で直立しているのを見つけるということが、何度もあったのです。これがもとで両者の間に小さないさかいが起った回数は、二十五年の間に他の原因によって起った不和の回数を総計したよりも多いのでした。――がこれは本題とは関係のないこと――なぜこんなことを書きつける気になったのか――それは私のペンに聞いて下さい――ペンが私を支配するので――私がペンを支配しているわけではありませんから。

(中巻 pp.258-9[原著の第6巻第6章])[本文に戻る]



園中に堡寨を築いて敵なきの防戦に余念なく

[股ぐらに傷を受けて退役になり、兄ウォルターのロンドンの屋敷で療養生活を送るトウビー・シャンディ大尉は、部屋にこもり、城郭都市の地図と書物に埋もれて築城術の研究をしている。しかし部下のトリム伍長はもっといい方法を提案する。]

 ――私の考えでは――とトリム伍長です――……こうやってこの紙きれの上で見ますと、せっかくの三日月堡も稜堡も幕堡も、角堡も、まったく情ないあわれな貧相なものにしか見えません。そこにゆくともし隊長殿と私とが、二人だけで田舎に住まって、どうなりと好きなように使ってよい地面を一ルードか一ルード半も手に入れたと致しますと、二人の手でどれだけのものが作れることでしょう!……。
 叔父トウビーの顔は、トリムの話が進むにつれて朱を注いだように真赤になりました。……叔父はトリム伍長の提案なりその説明なりにもう夢中でした。……われわれが事をはじめるのは、トリムがつづけます、国王陛下と陛下の連合軍とが行動を開始するその同じ日にしてもよいと思います。そして町から町へと敵を粉砕してゆくのも、これまた陛下と――トリム、もう何もいうな、叔父トウビーが言います。――隊長殿は、トリムがつづけます、こういうよい天気ですから、その安楽椅子に(と現物を指さして)かけていて下さい、そして指図さえして下されば、あとは私が――もう何もいうな、トリム、叔父トウビーが言います。――それに隊長殿は、単になぐさみごとや面白い暇つぶしが得られるだけでなく、――澄んだ空気や、運動の機会や、ひいてはすぐれた健康も得られましょう。――隊長殿の傷などは一カ月でなおってしまうでしょう。――トリム、もうそれ以上言う必要はない――叔父トウビーが言います……おまえの提案はこの上なく気に入ったよ。

(上巻 pp.164-7[原著の第2巻第5章])

 さて町もそのとりでも全部完成すると、叔父トウビーと伍長は第一線の平行壕を掘りにかかりました――それも、出たらめや行きあたりばったりではありません――連合軍が彼らの平行壕を掘りにかかったのと同じ地点、同じ距離からはじめるのです。そして毎日の新聞から叔父トウビーが受ける情報をもとにして、自分たちの進撃を規制しつつ――包囲戦の全期間にわたって、連合軍と完全に歩調を合わせながら進軍してゆくのです。
 モールバラ公爵が橋頭堡を作ったといえば――叔父トウビーも橋頭堡を作りました。――ある稜堡の前面が粉砕された、あるいはある防塁が破壊されたといえば――伍長は鶴嘴[つるはし]をふるって同じだけのことをしました――それをくりかえしつつ――一歩一歩と前進し、つぎつぎととりでを占領して行って、結局は町そのものが二人の手に落ちるのでした。
 ひとの楽しそうな様子を見てよろこぶという人にとっては、――モールバラ公爵が敵の本城の一部に進入可能の突破口をつけたという時の、郵便配達日の朝以上にすばらしい見ものは、到底あり得なかったでしょう。――そういう時にあのしでの木の生垣のかげに立ってさえいれば、私の叔父トウビーが、トリムをうしろに従えて、猛烈な勢いで出撃してゆくのが見られたのです。――一人はガゼット新聞を手にしています――もう一人は鋤を肩にして、新聞の報道通りを実行して行きます。――城壁に進み寄ってゆく叔父トウビーの表情に、何というすなおな勝利の色が浮かんでいることでしょう! 伍長の上に立ちはだかるようにして、営々と鋤をふるっている伍長が誤って突破口の幅を一インチでもひろげ過ぎることがないようにと――あるいはまた一インチでもせま過ぎることもないようにと、報道の文章を十遍もくり返して読んできかせている叔父の眼に、何という熱烈な喜びが踊っていることでしょう!――が降服を知らせる太鼓が打ちならされ、伍長が叔父に手を貸して突破口をよじ登らせ、さらにそのあとにつづいて伍長自身も軍旗を手に踊りこんで、城壁の上にその軍旗を押し立てたとき――ああ、天よ! 地よ! 海よ!――いや、こんなものに呼びかけて見たところで何の役に立ちましょう――地水火風、水分のあるのもないのもすべていっしょにして見たところで、これほどにも感激的な一瞬を作り上げることはこの手合いの手ではとてもできないのです。

(中巻 pp.306-7[原著の第6巻第22章])[本文に戻る]



一瞥老士官を悩殺せる孀婦「ウワドマン」

[トリストラムは、読者がウォドマン夫人の姿を絵に描くための白い紙を、本の中に用意している。]

 そういうわけで、恋が何であるかはさておくといたしまして――私の叔父トウビーはその恋に落ちたのでした。
 ――いえ、事によると、やさしい読者がたよ、あれだけの誘惑に接するとなったら、――あなた方にしても同じことになられるかも知れません。あなた方の目が、あるいはあなた方の貪欲な色欲が、この世であのウォドマンの後家以上に色欲をそそり立てる対象にぶつかったことは決してないのですから。……。このことを正しく認識していただくために――どうぞペンとインクをとりよせて下さい――紙はお手もとに用意してあります。――そこでどうぞお席におつきになって、この女性の姿をお心のままにここに描いてみて下さい――できるだけあなたの恋人に似せてでも――奥さんにはあなたの良心がゆるすかぎり似せないようにでも――それはどっちだって私はかまいませんが――ただあなたの空想だけは満足させて上げて下さい。
















 ――やっ! 自然界にかくも甘美なものがあろうか! かくも美しいものが!
 ――それならば、皆さん、どうして私の叔父トウビーにそれに抵抗する力があったでしょう?

(中巻 pp.344-6[原著の第6巻第38章])

[やがてウォドマン夫人はトウビーを誘惑するために、目に入ったゴミを見てほしいと言って近づく。トウビーは「太陽の黒点をさがし求めたガリレオの二倍くらいの善意さで」ゴミをさがそうとするが見つからず、夫人の目の中に「ゆらゆらと静かに燃えている甘い炎」を見るばかりである。]

 奥さん、あなたの眼の中には、叔父トウビーは申しました、何もはいってなどいませんよ。
 白眼じゃないんですのよ、ウォドマン夫人は言いました。叔父トウビーは全力を傾注して眸の中をのぞきこみました――
 古往今来この世に創り出されたありとあらゆる眼の中で――それは奥さん、あなたの眼からはじめて上[かみ]はあの、人間の顔に宿った最も欲情的な眼にちがいないヴィーナスその人の眼までを含めて――今叔父トウビーがのぞきこんでいるその当の眼以上に、叔父の心からやすらぎを奪うという目的にかなった眼は考えられません――その眼はキョロキョロ廻転する眼ではありません――はねまわるいたずらずきの眼でもなければ――キラキラとかがやく眼でもなし――すねた眼でも権柄ずくの眼でもなし――高飛車な主張やものすごい要求をつきつける眼でもありません。もし万が一にもそんな眼だったら、叔父トウビーの胸にみなぎるミルクのような人情味は、たちまちコチコチに固まってしまったでしょう――その眼にみちあふれていたものは、やさしい挨拶であり――柔らかな応答であり――つまりそれはものいう眼だったのです――と申してもそこらにある出来そこないの楽器の一番高い音みたいな、お粗末なキーキー声で会話をする眼というのにも私はたくさんお目にかかりましたが、ああいう類とはまるでちがいます――いわば柔らかにささやく眼でした――ちょうど瀕死の聖者の、いよいよご臨終という時のような低い声音で、その眼はささやきました――「どうしてシャンディ大尉さま、あなたは慰めもないおひとりきりの暮しなどしておいでになれるのでしょう――そのおつむりをもたせかけるふくよかな胸もお持ちにならず――胸のご心配を打ち明ける相手もないままで?」
 ああ、その眼こそは――
 がこれ以上一言でも書きつづければ、私自身がその眼のとりこになってしまうでしょう。

(下巻 pp.177-8[原著の第8巻第25章])[本文に戻る]



彼等は皆自家随意の空気中に生息し

 ――かの偉大なクナストロキウス博士は、暇さえあれば驢馬[ろば]の尻尾[しっぽ]を櫛[くし]ですいて、老廃した毛を見つけると、毛抜きは常にポケットに持っているのに、自分の歯でそれを抜きとることに無情のよろこびを感じたというではありませんか。いや、そういう話になれば、あらゆる時代を通じていかなる賢者といえども、それはソロモンその人さえ例外でなく――それぞれの道楽を持っていたではありませんか。――馬を走らせたり――貨幣や帆立貝の貝殻を集めたり、さては太鼓やラッパや提琴だったり、パレットだったり、――あるいは蛆虫[うじむし]だったり蝶々だったり。――そして、ひとがその道楽の馬にまたがって、天下の大道をおだやかに静かに走らせて、あなたや私にこのうしろに乗れなどと強制しないかぎりは、――そりゃ、あなた、それはあなたや私とは何の関係もないことじゃありませんか。

(上巻 p.48[原著の第1巻第7章])

 ある人間とその道楽馬とが、魂と肉体との相互作用とまさしく同じような作用、反作用をお互いに及ぼし合うとまでは言えないとしましても、それでもやはり両者の間には一種の通い合いがあることは疑問の余地がなく、私の意見では、この二者の関係には、電気を帯びた物体同士のそれに似たものがあるように思います。――それは、乗り手の体の、道楽馬の背中に直接接触する部分が、熱せられることで起るようです。――長い間馬を走らせ、摩擦が重ねられてゆくうちに、ついには乗り手のからだがはち切れんばかりに馬的要素で充満することになる――その結果は、馬のほうの性質をはっきりと記述することさえできれば、それだけで乗り手の天分なり人柄なりが、かなり正確に把握できるということになるわけです。

(上巻 p.137[原著の第1巻第24章])[本文に戻る]



吾が数(しばし)ば話頭を転じて、言説多岐に渉るは、諸君の知る如く少しも不都合なき事なり
余の話頭は転じ易し、されども亦進み易し

 ……現在私がはからずも迷いこんでしまったこの長い脱線ですが、ここには私のすべての脱線の場合と同じく……、脱線術としての入神の妙技が秘められているのです。がそういう秘術を残念ながら読者諸賢は終始見おとしておいでらしい――それは何も諸賢に洞察の力がないからというのではなく――ただ、このような神技が脱線というものに普通予想も期待もされないからにほかなりません。――それというのはこういうことです。たしかに私の脱線ぶりは、諸賢も御覧の通り公明正大なものであり、自分の従事している仕事をそっちのけに、大英帝国のいかなる文士にも負けぬほどに、遠いかなたまで、またそれも機会あるごとに、逸脱してしまっているにはちがいありませんが、それでいて私は、私の留守中といえども私の本来の仕事が歩みをとめてしまわないような布石だけは、一瞬も忘れていないのです。
 たとえば私はつい先刻も、わが叔父トウビーのこの上なく気まぐれな性質について、その大きな輪郭をお伝えする仕事にかかっていました――そこに突如として私の大伯母ダイナーと例の馭者が飛びこんで来て、われわれを何百万マイルのかなた、わが太陽系のまっただ中までも拉[らっ]し去ってしまいました。にもかかわらず叔父トウビーの性格の描写は、その間も絶えず静かにつづけられていたことは諸賢もお認めでしょう――なるほど大きな輪郭のほうではない――それはとうてい不可能でした――しかしあちらでちょっと砕けた一筆、こちらでかすかにほのめかす暗示という類が、脱線話の途中でも随所に叔父の性格に添加されて、その結果は皆さんは私の叔父トウビーについて、前よりもはるかに知見を肥やしていらっしゃるわけです。
 このような工夫によって、この私の著作の仕組みはまことに無類独特のものになっております。二つの相反する動き、お互いに両立はできないと考えられた動きが、この著作に持ちこまれて、しかも融和している――一言でいうならば私の著作は、脱線的にしてしかも前進的――それも同時にこの二つの性質を兼ね備えているのです。

(上巻 pp.129-30[原著の第1巻第22章])[本文に戻る]



「ヨリック」の最期

 ヨリックが最後の息を引きとる二、三時間前に、ユージーニアスは最後に一目逢って永の別れも告げようと、その室に入ってゆきました。彼がヨリックのベッドのカーテンを引いて、気分はどうだい? とたずねますと、ヨリックは友の顔をまともに見上げて、その手を握り、――いろいろと生前に見せてくれた友情の数々に例を述べ、もしあの世でも再び君と逢うめぐり合わせになるならば、――その時はまたくり返しくり返しお礼を言いたいと言ったあと、――もう二、三時間のうちに敵の奴らを永久にまいてやることになるよ、と言いました。――そんなことはあるもんか、ユージーニアスは涙をハラハラと流しつつ、男としてこの上はないような親身な口調で答えました。――そんなことがあるもんかね、ヨリック。――ヨリックはまたそれに答えようと、顔を上げ、ユージーニアスの手をやさしく握りしめましたが、それっきりでした。――ユージーニアスは心をかきむしられる思いで、おい、おいどうした、ヨリック! と、涙をぬぐいつつ心中の勇気をふるい起して、――クヨクヨしてはだめだ!――この、勇気と剛毅の一番必要な時に、そんなに意気地のないことでどうする!――まだまだどういう救いの手が用意されているかわからないし、神の力はまだまだ君のために何をして下さるかわからないじゃないか? と言いました。――ヨリックは手を胸において、静かに頭をふりました。――ぼくとしては、ヨリック君、ユージーニアスははげしく泣きながら言葉をつづけました――君と別れるなんて思いもよらないことだ、――まだまだ君には主教[ビショップ]にくらいなれるだけの気力は残っているはずだし、また君がそうなるのをいずれはこの目で見届けられるという望みを捨てたくないのだ――そうユージーニアスは声をはげまして言いました。――お願いだからユージーニアス――ヨリックは左手で辛うじて寝帽[ナイトキャップ]をぬぎつつ言いました――右手はまだユージーニアスの手に、しっかり握られたままだったのです――お願いだからちょっとぼくの頭を見てくれないか。――別にどうもないじゃないか、とユージーニアスが答えます。それじゃ言うけどね、とヨリック、ぼくの頭は××××や××××やそのほかの連中に卑劣にもくらやみで襲われたおかげで、ひどく傷がつき形もかわってしまった、だからサンチョ・パンサの言い草ではないが、かりにぼくが回復して、「主教のかぶりものが天上からわが頭に霰[あられ]のごとく一面に降りそそぐことがあろうとも、その一つとしてこの頭に合うものはありゃしないのさ」――ヨリックがこう言った時、その呼吸はふるえる唇の上に、本当にこれが最後の一吸いになるかのようにおぼつかなく動いていました。――でもこの言葉だけは多少ともセルバンテス流の皮肉な口調で発されました。――またそれを言ったとき、その目にもチラリと光る一条の火が一瞬きらめくのをユージーニアスは認めました。――それは(ヨリックの先祖についてシェイクスピアが言ったように)「生前満座を爆笑させる習わしだった」あの機智の閃めきを、かすかに伝えるものだったのです。
 ユージーニアスはこの事から、友の心がすでに打ち砕かれたものと確信しました。彼は友の手を握りしめ、――それからさめざめと涙を流しつつ静かに部屋を出てゆきました。ヨリックはユージーニアスの姿を、扉のところまで目で送りました――そしてその目をとじましたが、――その目はそれっきり開かれませんでした。

(上巻 pp.74-6[原著の第1巻第12章])[本文に戻る]



「スラウケンベルギウス」の話

[ある夏の日の夕暮れ、騾馬に乗ってシュトラスブルグの町の門に現われた、とてつもなく大きな鼻を持つ旅の男は、一カ月後にまた戻ってくることを告げると、フランクフルトへ向かって去っていった。]

 男がフランクフルトにむけて一マイルとは進まないうちに、シュトラスブルグの町は町をあげて、男の鼻のことで大さわぎになりました。夕の祈祷を告げる鐘の音がちょうど鳴りひびいて、市民たちに祈りを忘れるな、祈りで一日の仕事にしめくくりを、と呼びかけていましたが――町中のだれ一人、そんなものに耳を貸すものはありません――まるで町中が蜂の巣をつついたようでした――男も女も子供たちも(夕の祈祷の鐘はその間も鳴りひびいていましたが)右往左往――片方のドアから走りこむと他方のドアからとび出す――あちらへ行きこちらへ行き――縦に横に――一丁目をかけのぼって二丁目をかけ下る――こっちの横丁へとびこんであっちの横丁からかけ出る――そして口々に言う言葉は、見たか? 君は? 見た? 本当に御覧になった?――だれが見たの? 見たのはだあれ? だれが見たのか本当に教えて!

(中巻 pp.11-2)

 その鼻がシュトラスブルグの人々の夢想の中にひき起した騒動と混乱は、まことに町全体にゆきわたりました――シュトラスブルグの人々の頭は、その全能力をこの鼻のために完全にまた圧倒的に支配されました――まことに数かぎりのない不思議な事どもが、それもどっちを見ても負けず劣らずの自信にみちて、またどの方角からも相譲らない能弁で、この鼻について語られもし、断言もされて、町中の会話の流れ驚嘆の流れが、ことごとくその鼻のほうにと方向をかえました――一人残らずの人間が、善人も悪人も――金持ちも貧乏人も――学のあるのも学のないのも――学者も学生も――恋を知った女も恋を知らぬ乙女も――紳士も野人も――シュトラスブルグ中の尼さんの生身[なまみ]も俗人女の生身も、その鼻についての情報を聞くことに時をつぶしました――シュトラスブルグ中の目という目が、その鼻を一目みたいと恋いこがれました――指という指、手という手が、ちょっとでもその鼻にさわりたいとじりじりしました。

(中巻 p.19[原著の第4巻「スラウケンベルギウスの物語」])

[なおトリストラムは第3巻で、「鼻」という言葉が読者にいかなる不純な誤解も与えないように、「鼻」が意味するところの明確な定義を下している。]

 さて私は、この「鼻」という言葉を敢えてふたたび使用する前に――そのことで予想されるさまざまの論議に混乱の生ずるのを防ぐために、この私の物語のまさに佳境に入ろうとするこのあたりで、私自身の意味するところを説明し、この「鼻」という語に私がどういう意味をもたせていると理解されたいのかを、可能なかぎり正確精密に定義しておくことも、徒事ではないと考えます。……。
 ……天も証人になってくれると思いますが、曖昧な批評のはびこる余地をこの私が多く残しておいたことが――また私が終始、読者の心中に不潔な想像の働くことなどないものとすっかり頭から信じていたことが――どれほど世間に、私に対して手痛い復讐[しかえし]をさせる原因になったことでしょう! ……。
 私は鼻という言葉をこう定義して一つにきめます――ただあらかじめ読者諸賢に、それは男女、年齢、肌の色、身分等の如何を問わず、すべての読者に、懇願もし懇請もしたいのは、後生ですから悪魔の誘惑やほのめかしから身を護っていただきたい、悪魔がたとえどんな秘術や奸計を用いようとも、私がこれから定義の中で申す以外の解釈を皆さんの頭の中に吹きこませないように、ということです。――というのは「鼻」という言葉によって、鼻についてのこの長い章の全体を通じて、また「鼻」という語の出て来る私の著作の他の部分においても、ここに私ははっきり宣言しますが、その言葉によって私が意味するものは、鼻そのものでこそあれ、それ以上でも以下でも決してないのですから。

(上巻 pp.342-4[原著の第3巻第31章])[本文に戻る]



悽楚なる「ル、フェヴル」の逸事

 翌朝の太陽は村中のだれの眼にもあかるく映りましたが、ル・フィーヴァーと、悲嘆の中にいるその息子との眼にはそれも別の映り方をしました。死の手がすでに重く中尉のまぶたをおさえていたのです。――さて、ふだんより一時間も早くベッドを離れた私の叔父トウビーは、井戸の釣瓶[つるべ]をまき上げる輪が一まわりまわり終えたか終えないうちに――中尉の室にはいって来、前おきも挨拶も抜きでベッドのかたわらの椅子に腰をおろすと、作法やらしきたりやらは一切おかまいなしに、古なじみの将校仲間がするだろうようなやり方でベッドの帷[とばり]をついと引きあけて、早速気分はどうかとたずねにかかりました。――昨夜はよく眠れたかどうか――何か訴えたいことはないか――どこか痛くはないか――何かこのわたしにできることはないか、と問いを連発して――そのどれかに答えるだけの暇などを与えればこそ、さらに言葉をつづけると、前夜中尉のために伍長と案を練り合っていた、ちょっとした計画を話しはじめました。――
 ――ル・フィーヴァー君、叔父トウビーは言いました、君は今すぐわしの家に引きとることにする――そうしたら医者をよんでどこが悪いのかを調べさせる――薬屋もちゃんとよぶし――伍長を君の看護人にする――それからわしは、ル・フィーヴァー君、君の召使役だ。
 叔父トウビーの飾り気のなさは――これは親しさの結果ではなくて、むしろその原因になるものですが――たちまち相手に自分の心の奥をひらいてみせ、天性の善良さをさとらせます。それに加えて、叔父の顔つき、声、態度などに具わる何かしらも、悲運に泣く人たちにむかって、きたってこの人の庇護を受けよと永遠に手招きしているおもむきがあります。そういうわけで叔父トウビーが父親のほうに誘いかけた親切な申し出を半分も言い終えないうちに、息子のほうは思わず知らず叔父の膝にひしとすり寄ると、叔父の上着の胸をつかんで、自分のほうに強く引きよせていました。――ル・フィーヴァーの体内ではその血液も生気も、すでに冷たくまた緩慢になりかけて、その最後の砦である心臓のほうに退却を開始していましたが――ふたたび陣容を立てなおしました――眼をおおいかけていたもやのような膜も一瞬また晴れ上りました――中尉は希望にみちた眼を叔父トウビーの顔のほうに上げ――それから自分の息子に一瞥[いちべつ]をむけました――その三者をむすんだえにしの糸は、ごく細いものであったとはいえ――ついにたち切れることはなかったのです。――
 生気はあっという間にふたたび引きはじめました――眼のもやも、もとにもどりました――脈がみだれました――とまりました――また打ちました――トントントンと打って――またとまりました――また打った――またとまった――もっと書きつづけましょうか?――〈いえ、もう結構です〉

(中巻 pp.275-6[原著の第6巻第10章])[本文「悽楚(せいそ)なる『ル、フェヴル』の逸事」に戻る][本文「旧友『ル、フェヴル』の死を写せる一段の如き」に戻る] [本文「天命は忽ちにして復去りぬ」に戻る]



噴飯すべき栗の行衛

[フュータトーリアスが気づかないうちに、焼けた栗が一つ、彼のズボン穴の中へ転がり込んだ。]

 栗のもたらしたほどよい暖かさは、最初の二十秒ないし二十五秒の間は不快なものではなく――フュータトーリアスの注意を局所のほうにおだやかに誘う以上のものではありませんでした。――しかし熱さは次第に上昇して、もう数秒たつうちには、おだやかな快さなどという程度は通り越し、つづいてたいへんな速力で苦痛の領域に進入しましたから――そこでフュータトーリアスの魂は、頭の中の思想、考察力、注意力、想像力、判断力、決断力、慎重さ、推理力、記憶力、空想のことごとくを動員、さらには十個大隊の動物精気をも率いて、それぞれ別々の隘路や迂回路を通り、危険に襲われたその局所へと、喧々囂々[けんけんごうごう]雲霞[うんか]のごとく群がり下りました。その結果は上のほうの諸地域が、まるでこの私の財布のごとくに空っぽになってしまったことは、ご想像に難くないところです。
 しかしながら以上のような多数の使者がもたらし帰ることのできた最上の情報を検討してみても、フュータトーリアスは一体下のほうで何がはじまっているのかの秘密をうかがい知ることができず、何がどうなったのやら何の臆測を下すこともできません。とはいえ、真の原因がどういうところにあるのかはわからないなりに、今自分が置かれている状況にあっては、これは禁欲主義者のごとくに可能なかぎり堪え忍ぶのが最も賢明な態度だと彼は考えました。また事実、顔をしかめたり唇をキュッと結び合わせたりの応援の下に、この努力は大いに続けられて、もしこれで想像力さえ中立の態度を守ってくれたなら、必ず成功したことだったでしょう。――がこういう場合に想像力が抜け駆けにとび出そうとするのは、おさえ切れるものではありません――一つの考えがたちまち彼の頭に駈け上ります――たいへんな熱さの感覚はたしかにあるけれども、でも事によるとこれは火傷でなくて、何かに咬[か]まれたという可能性もある。だとするとこれはあるいはいもりとかやもりとか、何かそういう恐ろしい爬虫類が下からしのび込んで、歯を立てているのかも知れない。――そういう恐ろしい考えが頭に伝達されたのと、ちょうどまたその瞬間に新しい焼けつくような痛みが栗から発生したのとが一緒になって、フュータトーリアスは突如恐慌におそわれ、そこから来る瞬間的なものすごい感情の混乱のうちに、かつて三軍を叱咤する名将たちの上にも同じことが起ったように、フュータトーリアスもまったくわれを忘れました。――その結果が彼があっという間に突ったち上って、それと同時に、あの大いに論議の種となった驚きのさけび声を発するということになったわけです。

(中巻 pp.110-1[原著の第4巻第27章])[本文「噴飯すべき栗の行衛(ゆくえ)」に戻る][本文「『フューテトリアス』と栗の話し」に戻る]



われ出鱈目に此篇を書かんと思う念頻なり

 私は今度のこの章を、きわめてノンセンス式に切り出して見たいという強い誘惑を感じます。また、そういう思いつきのさまたげはしたくない――となるとこんな書き出しはどうでしょうか。
 もしもモーマスのガラスが、あの大あらさがし屋先生の修正提案どおりに、人間の胸にとりつけられた場合を考えて見ますと――まず第一にはつぎのような馬鹿馬鹿しい結果が生じましょう――それは、人間の中のどんな賢者でもどんな謹厳居士でも、生涯を通じて来る日も来る日も、何らかの形で窓[まど]税を払わされたにちがいないということです。
 次に二番目には、そのようなガラスが胸にはめこまれたとしたら、ある人間の性格をよみとるためになすべき仕事といったら、ただ椅子を一つ持って、中ののぞける蜜蜂の巣箱にでも近づくように、そーっとそのそばに寄って中をのぞきこむ、――そうして素っ裸の魂を仔細に吟味する――その動き工合やからくりのすべてを観察する――蛆虫[うじむし]然としたさまざまの気まぐれが、最初に生まれるところからモソモソ匐[は]い出すまでをつぶさに跡づける――魂が勝手気ままにはねたり踊ったり飛びまわったりするのを眺め、さらに、そうやってはねたり踊ったりしたあとの多少鹿爪らしい振舞も多少は斟酌[しんしゃく]したあとで――さて今度はペンを執[と]って、自分で見たこと、絶対まちがいなしといえることだけを書きつける――という以外には何も必要ない、ということになってしまうでしょう。――しかしこういうことはこの地球上に棲[す]む伝記者にゆるされそうな特権ではありません。

(上巻 pp.132-3[原著の第1巻第23章])

[なお、モーマス(Momus)はギリシア神話のあら探しと嘲弄の神。人間の胸に窓がなくてその中の秘密を探ることができないのを不満とした。そのエピソードはギリシアの諷刺作家ルキアノス(Lucianos, 120頃-180頃)の対話篇『ヘルモティモス』で語られているが、おそらくスターンはこの話をバートンの『憂鬱の解剖』から拾ってきている。また、イングランドでは1695年から1851年まで、窓に税が課されていた。][本文に戻る]



「ヨリック」時としては其乱調子なる様子を以て

 時としてこの男は独特のはげしい口調で、糞まじめな奴はとんでもない大悪党だ、と言いました。――それも、狡猾なだけに実に油断のならぬ悪党なんだ、とつけ加えました。――こういう手合にだまされて金品をまき上げられる正直な善意の人々の数は、一年間で、すりや万引きにやられる人数の七年分よりも大いにちがいない、ともいいました。陽気な心の持主がむき出しに本性を見せるのには、何も危険はない――彼はよく言いました――あるとすれば自分自身への危険だけだ。――そこへゆくと糞まじめの本質は陰謀だ、したがって偽りだ、――自分が持ちもしない分別や知識を、持っているかのように世間に信じこまそうとする、手のこんだトリックだ、――ずいぶん前にあるフランスの智恵者が、糞まじめを定義して「頭の欠陥をおおわんために見せる玄妙不可思議な身のかまえ」といったが、ずいぶんもったいぶってこしらえてはいても、実際、この定義以上ではない、いや、時には以下でさえある、――そういってはなはだ軽率にもヨリックは、この糞まじめの定義は金の文字で大書しておく値打がある、などというのでした。
 が、率直にいって、この男はきわめて世事にうとい未熟者で、この糞まじめ論議だけではなく、どんな話題の場合にも、すこしはおのれを抑制するのが得策とされるような時でも、やはり無思慮な愚かな言辞を弄しました。何ごとによらず、物事から受けるヨリックの印象といえば一つだけ、それは、話題になっている人の行為の本質からの印象でした。そういう印象をヨリックは、通例何の衣[きぬ]も着せずに簡明な日常語に翻訳する――それもあまりにもしばしば、相手や時や所の見さかいもなしに、です。――したがって、たとえば誰かのあわれむべき卑劣なやり口が話題になれば――この男は、その話題の主[ぬし]が誰なのか――どういう身分の人物なのか――その人物が後になってどれだけ自分に復讐する力があるのか、等を瞬時も考えてみようとはせず――もしそれが下劣な行為であれば――あとさき見ずの単刀直入――「あいつは下劣な野郎だ」となります。――その上、この男の評言は、通例不幸にもピリッとした警句に終るか、さもなければ話中至るところに剽軽[ひょうきん]なユーモアに富んだ字句が躍動するので、それがまたヨリックの無思慮をあちこちに伝播することになる。……。
 そういうことの結果がどうなったか、それがどうヨリックの悲劇的最期をもたらしたかは、次の章で御覧下さい。

(上巻 pp.68-9[原著の第1巻第11章])[本文に戻る]



心を以て tabula rasa に比したる哲学者あるを聞きぬ

 一つ伺いますがあなたは、今までいろいろの読書をして来られた中で、ロックの『人間悟性論』という書物をお読みになったことがありますか?――いえいえ、軽率なご返事はなさらんで下さい――というのは、読んでいないのにこの本を引用する人がたくさんある、――また、読んだのだがわかっていないという人も少くない。――もしあなたもそのどちらかならば、私は教化のために筆をとる身ですから、その本がどういう本か、ごく簡単に申上げましょう。――これは記録の書物です。――〈記録だって! 誰の? 何の? どこの? いつの?〉――まあ、あわてないで下さい。――記録といってもこれは、(こう申すと世間にこの本を推奨することになるかと思いますが)人間の頭の中に起ることの記録なのです。もしあなたがこの書物のことをこれだけおっしゃって、あと一言もつけ加えないで置かれれば、形而上学者の仲間で笑いものにされる危険は絶対にありませんね。

(上巻 p.150[原著の第2巻第2章])

 ――父がその生涯の多年にわたって掟としていたのは、――どの月もどの月もきまって第一日曜の夜に……裏の階段のてっぺんにおいてあった大時計のねじを、自らの手でまくということでした。……父はこの時計のことのみでなく、ほかにも母親だけを相手のこまごました用事なども、だんだん同じ時期にかためるようにしていました。それというのも……すべてを一ぺんに片づけてしまって、あと一カ月の間はそういうことに煩わされずにサッパリとしていようがためだったわけです。
 それはよいとしまして、これにはただ一つだけ不幸がともなうことになりました。……その不幸というのはほかでもありません。本来お互いに何の脈絡もない観念同士の不運な連合の結果として、ついには私の母親は、上述の時計のまかれる音をきくと、不可避的にもう一つのことがヒョイと頭に浮かんで来ずにはいない、――その逆もまた同じ、ということになってしまったのです。――あの賢いロックは、明らかにこのようなことの本質を大概の人よりもよく理解していた人で、かかる不思議な観念の結合が、偏見を生み出すもとになる他のどのような源にもまさって、多くのねじれた行為を生み出していることを確言しております。

(上巻 pp.41-2[原著の第1巻第4章])[本文に戻る]



吾説話の方法は頗る不規則にして頗る曲折せり

 さてこのあたりからいよいよ話の本筋にはいってゆくわけですが、……これからは私の叔父トウビーの物語を、ついでに私自身の物語も、かなり直線に近い形で進められることを私は信じて疑いません。ふりかえって見ますと、

 これがこの本の第一巻、第二巻、第三巻、第四巻でそれぞれ私が動いてきた線でした。――第五巻はたいへんうまく行って、――あそこで私がたどった線は、まさに次のようなものでした。

 ……この調子で私が進歩してゆくならば……今後はつぎのような模範的な進み方に到達することさえ、決して不可能ではありません。



 これは私があるお習字の先生のものさしを借りて(わざわざこのために借りたのですが)、右にも左にもそれないように、できるかぎりまっすぐに引いてみた線です。


(中巻 pp.348-51[原著の第6巻第40章])[本文に戻る]



是免る可らざるの数なり、「マグナ、カータ」の第一条なり

 哲学というものは森羅万象のすべてに立派な言葉を用意しています。――死ということに対しては、特に豊富に取りそろえてあります。困ったのはむしろ、それらが一斉に父の頭に殺到して来た結果、それらを適当につなぎ合わせて多少とも首尾一貫した体裁らしいものをそれらに与えることが困難だったことです。――父は殺到して来る奴を手あたり次第にとり上げました。
 「これは必然の運命だ――マグナ・カルタの第一条だ――国会の定めた永遠の法令なんだ、トウビーよ――すべてのものは死すべきものなんだ。
 「もしわしの息子が死なないとしたら、そのほうこそ奇蹟というものだろう――死んだことがじゃなくてだ。
 「王侯君主といえどもわれらと同じ輪を作って踊っているのだ。
 「――死とは自然というものに人間が支払うべき偉大な負債あるいは貢物だ。墳墓とか記念碑とかは、われらの記憶を永久にさせようと建てるものだが、これら自身もまたそういう貢物は支払わねばならない。それらの中でも、富と学問の粋をつくして建てた最も誇り高きピラミッドでさえも、すでにその頂上部を失って、旅人が歩を進めてゆく地平線上に、頭をちょん切られたまま立っているのだ」(父はずいぶんと気が楽になったことに気づき、さらにつづけました)――「王国も、州、県も、町村も、都市も、みなそれぞれの寿命を持っているではないか。そしてそれらを最初結合させ創建した主張とか権力とかも、それぞれの機動力を出しつくしおわれば、やはり屈する時がくるのだ」――兄上、と叔父トウビーが、機動力という言葉を聞きとがめて、パイプを下におきながらいいました――いや機動力ではない、発動力というつもりだったんだ、父が申しました――本当に冗談じゃない! 発動力というつもりだったんだよ、トウビー――機動力じゃばかげている――ばかげているなんてことがあるもんですか――叔父トウビーは申します。――でもこんな場合にこういう話の腰を折るなんてのはばかげているじゃないか? 父はさけびました、――頼むから――なあトウビー、と父は叔父の手をとってつづけました、頼むから――頼むからひとつ、この大事なところで話の腰を折るようなことはやめにしてくれ。――叔父トウビーはパイプを口にもどしました。
 「トロイもミケネーも、テーベもデロスも、またペルセポリスもアグリゲンツームも今いずこにありや」――父は一度下においていた例の駅馬車路線の本をとりあげながらつづけました。――「ニネヴェーやバビロンや、キツィクムやミティレネーは、トウビーよ、一体どうなったのだ? かつては太陽の照らす最も美しい町だったものが、今は姿を消してしまった。名前だけはわずかに残っているが、その名前とても(もう今ではその多くは綴りを誤まられているし)徐々にバラバラに崩れ去って、時のたつうちには忘れ去られ、すべてのものとともに常闇の夜に埋もれてしまう。この世界そのものだとて、弟トウビーよ、いつかは――いつかは終末を迎えねばならないのだ。
 「アジアよりの帰途、わが船のアエギナを後にメガラのかたにむかいし時」(一体いつの話なんだな、これは? 叔父トウビーは思案しました)「われはおもむろに四辺の陸地に目をやりぬ。アエギナはわが背後にあり、メガラは前方にあり、ピレーウスはわが右手、コリントはわが左なり。――さしもに栄華を誇りし幾多の都市が今地上に打ち伏してあるにあらずや! やめよ! やめよ! われは心中ひそかに思えり、かくも大いなりしものがわが前に恐ろしくも埋もれてありというに、うつし世の人の身が子を失いて心をかき乱す愚かさは!――忘るるなかれ、われはふたたび心に思いぬ――忘るるなかれ、汝、ただ人の身に過ぎざるを」――
 さて私の叔父トウビーは、この最後の一節が、キケロを慰めようとセルウィウス・スルピキウスが書いた手紙から抜いて来たものとは、知りませんでした。――正直者ではあっても、古代の文書などには全然たしなみがなく、この断片の場合もそれは同じことだったのです。――それに私の父がむかしトルコ貿易に従事していたころ、三度か四度レヴァントに行っていたことがあり、そういう中の一度は、ザンテ島にまる一年半も滞在していたので、当然のことのように叔父トウビーは、父がそういう滞在期中のどの時かに、多島海をわたってアジアに旅行を試みたもの、そしてこのアエギナを背後に、メガラを前方に、ピレーウスは右手にあり云々という舟行の件も、父自身の航海と思索とが本当にたどった道にほかならないと判断したわけでした。――いかにも叔父らしい話ですし、それに、野心満々の批評家で、これにも及ばない基礎工事の上にこれより二階分くらい高い空中楼閣を築き上げてしまいそうな人物だって少くはないのです。――ちょっと伺いますが兄上、叔父トウビーはおだやかに話をちょっと休止してもらおうと、パイプのさきで父の手をつついておいて――しかし父の話の終るまで待った上で申しました――これは主の紀元何年のことだったのです?――主の紀元なんかじゃありゃしないよ、父が答えます。――そんなばかな! 叔父トウビーはさけびました。――阿呆な奴だな! 父は申しました――キリストのお生まれになる四十年前のことさ。

(中巻 pp.160-3[原著の第5巻第3章])[本文に戻る]



此人日夕身を築城学の研究に委ねて、中々其道の達人とぞ聞えし

 ――まことに、際限のないのは真理の探究です!
 私の叔父トウビーは、砲弾がどういう道を通らないかの理解ができると、途端に知らず知らずせき立てられるようにして、それではどういう道を通るかをしらべて突きとめてやろうと心中に決心しました。そのためには新しくマルテュから出発する必要を感じて、熱心にその著書を研究しました。――次にはガリレオとトリチェリに進んで、そこに正確な弾道が抛物線――あるいは双曲線であることが、ある幾何学の原則を使って、絶対に疑問の余地なく明記されているのを知りました。また、その弾道の円錐曲線のパラメーターあるいは通径は、砲弾の飛量とその射程に正比例すること、ちょうどその全曲線と、砲身の尾部が地平面に対してなす発射角を二倍したもののサインとの関係と同じであり、またその半パラメーターは――よして下さい、トウビー叔父さん!――よして下さい! そういうとげだらけの、滅茶滅茶に入りくんだ道には、もうこれ以上一歩も踏み入らないで下さい――どこに足の踏み場所があるのかわからない! この上なくいり組んだ迷路じゃないですか! そんな魔法のわなのような「知識」などという幻を追ってゆけば、叔父さんの身の上にどんな厄介な面倒ごとが降りかかるかわかったもんじゃありません。――叔父さん、叔父さん、蛇から逃げ出すように逃げ出していらっしゃい。――第一、叔父さん、そんな鼠蹊部の傷なんか抱えながら、そんなに熱病やみみたいに血眼[ちまなこ]になって、来る晩も来る晩も徹夜して、血をたぎらせたりして、からだにいいと思ってるんですか?――そんなことしてたら、叔父さんの病気はますます悪化し――汗はとまり――精気は抜け、――動物的体力は消耗し――自然にあるべき体内の水分は乾いてカラカラになり――便秘の習慣は抜けなくなり――健康は滅茶滅茶になって――老衰の徴候が一度にどっと出て来ちまいますよ。――ねえ叔父さん、トウビー叔父さんったら!

(上巻 pp.156-7[原著の第2巻第3章])[本文に戻る]



「ウォルター」の時間を論ずる条

 時間とは何であるか、ついでながらこれがわからないと無限ということも決して理解できない、というのは後者は前者の一部なのだからな、――この時間というものを正しく理解しようと思えば、われわれはまず腰を落ちつけて、われわれがもつ時間の経過という観念はどういうものであるかを真剣に考え、どうしてそういう観念がわれわれのものになるかについて、納得のゆく説明を試みる必要がある。――そんなことはどうだってよいではないですか、叔父トウビーが申しました。もしおまえが目を内部にむけて自分の心中をかえりみ、父はかまわずつづけました、そこで丹念に観察するとすると、その時おまえも気づくだろうが、たとえばこうやっておまえとわしがおしゃべりをしながらいろいろ考えたりいっしょにパイプをくゆらしたりしている間、あるいはわれわれがいろいろな観念をつぎつぎに頭に受け入れてゆく間、われわれはその間自分が存在しているということを知るわけだ。そこでわれわれは自分のそういう存在を、あるいは自分自身の存在の継続を、あるいはまたそのほかのすべてを測るのに、われわれの頭の中に連続して生ずる観念に、あるいはわれわれ自身の経過に、あるいはまたわれわれの思考とたまたま共存する何でもいいほかのものの経過に、照らし合わせて測るということになる。――従って、規準としてあの先入主的な――何のことやら、私には死ぬほど退屈だな、叔父トウビーがさけびました。
  ロック参照のこと。

 ――そういうことのために、父は応じました、われわれは時間というものを測定するのに、すっかりもう分[ふん]とか時間とか週とか月とかいうものになれっこになってしまっている――つまり、時計というものに(このイギリスの王国中に時計なんてものが一つもなかったらどんなによいことか)たよって、われわれの、あるいはわれわれの親しい者たちの、それぞれ時間のわけ前を計算してもらっている――今後は、われわれの頭に相ついで生ずる観念というものが、多少とも時間を測る規準として役に立つようになったらよいだろうと思うのだがなあ。
 ところで、われわれ自身が観察しようがしまいが、私の父はつづけました、すべて健全な人間の頭には、いろいろな種類の観念というものが規則正しくつぎつぎと発生して、それがあとからあとから列をなしてつづく有様はまるで――大砲の列よろしくですかな、叔父トウビーが申しました。――列などは何の列だってかまやせんが――と父は言って――とにかくあとからあとからと一定の距離を置いてわれわれの頭の中につづくところはといったら、蝋燭の熱でぐるぐる廻る走馬燈の内部のいろいろなものの影絵によく似ている。――私の場合などはさしずめ、叔父トウビーが申しました、走馬燈などよりも台所で肉を焼くときの焼き串まわしですな。――そういう与太ばかり飛ばすなら、トウビー、もうおまえにはこれ以上この話はせんわい、私の父が申しました。

(上巻 pp.299-300[原著の第3巻第18章])[本文に戻る]



愛といふ情をいろは順で並べたらば斯(こう)も有(あろ)うか

 ――恋とはまごう方なく、少くともいろは順にならべて申すかぎりは、
     ざこざの多い
     くでもない
     らのたつ
     がにがしい、等の点ではこの上なしの――
     ねの折れる
     んてこらいな
     ほうもない
     からのはいる
     くつ抜きの(は飛んで)
     ろかしい、などというも愚かで、同時に
     けのわからぬ
     なしい
     をまどわせる
     よりない(はまたなしの)
     みの深い
     そっかしい――きわみのものなのです。もっともよりはが先に来べきところですが――


(下巻 pp.133-34[原著の第8巻第13章])[本文に戻る]



一匹の蠅は無遠慮にも、老士官の鼻頭に留りぬ

 ――行け――ある日の食事の時、叔父は、食事の間中鼻のまわりをブンブン飛びまわって散々に自分を悩ました、やけに大きな一匹の蠅――いろいろ苦労したあげくにそばを飛び過ぎるところをやっとつかまえたその蠅にむかって言ったものです。――おれはおまえを傷つけはしないぞ、叔父トウビーは椅子から立上って、蠅を手にして窓のほうに歩みながら言いました――おまえの頭の毛一すじだって傷つけはしないぞ――行け、と窓を上のほうに押しあげて、手を開いてにがしてやりながら――可哀そうな奴だ、さっさと飛んで行くがよい、おれがおまえを傷つける必要がどこにあろう、――この世の中にはおまえとおれを両方とも入れるだけの広さはたしかにあるはずだ。
 これは私が僅か十歳の時の出来事でした。……私の全身が、誠に快い感動で一つになってふるえたのは、この行為そのものが、成人の後とはちがってあの涙もろい年ごろの私の神経にピッタリするものだったからかどうか――叔父の態度なり言葉なりが私を感動させるのにどこまでの力があったのか――また、声の調子にもなだらかな身のこなしにも慈悲の気持がゆきわたっていたことが、どの程度まで、またどういう人知れぬ魔力で、私の心に通ったのか――そういうようなことは私にはよくわかりません。――私にはっきりわかっているのは、その時叔父トウビーによって教えられ刻みこまれた、万物に善意をもって対すべきだという教えが、以後今日まで決して私の頭から消えていないということです。私は、大学で授けられた古典の学問がその点で私の力になってくれたことを低く評価するものでもなければ、またその後国内国外で私が受けた高価な教育のいろいろな助けを信用しないのでもありませんが、――にもかかわらず私の博愛の心の半分は、あの一回の偶然事の印象のおかげだと、私はしばしば考えるのです。

(上巻 pp.188-9[原著の第2巻第12章])[本文に戻る]



察する所此女は四十七歳の時四人の小児を残して其夫に先き立たれて

 ――この老婆、もとは四十七歳で夫に先立たれて、三、四人の小さな子供を抱えて悲嘆にくれる後家さんであったようです。ただその当時も身のこなしの淑やかな、――品行も生まじめな人物で――それに口数のすくない女であり、おまけにその立場は同情の的、深い悲しみと、さらにはその悲しみに黙々と堪えるさまとが、心ある者にいよいよ親身の助力を惜しまぬ気持ちをおこさせたわけで、その教区の牧師の細君がまず惻隠の情に動かされました。この人は、かねがね夫の教区民たちが、六、七マイルという長い道のりを馬でかけつけるより近いところには、たとえどんなに火急の場合でも、資格や程度は問わず、かりにも産婆と名のつく者がひとりもいないために、長年たいへんな不便にさらされているのを嘆きとしていました。その七マイルという長い道のりを暗夜にゆくのは、何しろそのあたりの土質ときたら深い粘土ばかりですし、道路も惨澹たるもので、ほとんど十四マイルくらいに匹敵した、ということは結局のところ、時によってはどこにも産婆がいないのと同じことだったのです。そこでこの細君の頭には、この気の毒な未亡人に産婆術の初歩の原理くらいを少々学ばせて、そのほうで身を立てるようにしてやったら、未亡人自身のためはもちろんのこと、教区民全体にとっても、はなはだ時を得た親切というものだ、という考えがひらめきました。

(上巻 pp.46-7[原著の第1巻第7章])[本文に戻る]



父は倚子を掻い遣りぬ、立ちぬ、帽子を被りぬ、戸の方に進む事四歩なり、

 何とも残念なことだ、私の父がある冬の夜、三時間ばかり骨を折ってスラウケンベルギウスを訳してきかせていたあとで、さけびました――何とも残念なことだ、そういって、父は、母の、糸を包んだ紙を、目印に本にはさみました、真実というものが、なあトウビーよ、こうも難攻不落のとりでの中にピッタリと閉じこもってしまって、これだけ手段のかぎりをつくしての城攻めにも、頑としていっかな降参の様子もみせないというのは。――
 この時たまたま叔父トウビーの空想は、こういうことは前にもしばしばあったのですが、父が自分にむかってプリニッツの説明をしてくれている間――何しろその話のほうには何も叔父をひきつけるものはないのですから、ちょっとすきを見て例のボーリングの芝生のほうに飛んで行っていました。――いや、できれば体のほうもそっちへ行って一まわりして来たいくらいのところでした。……。が今、父の比喩の中の「城攻め」という言葉が、まるで呪文の魔力のように、叔父トウビーの空想を引きもどしました。ひびきの声に応ずるようなすばやさでした――叔父は耳をすませました――父は、叔父がパイプを口から離し、かけている椅子をテーブルに引きよせ、一語も聞きのがすまいとするかのような様子を見てとると、――大よろこびでふたたび言葉をはじめました―― ……。
 何とも残念だよ、父は言いました、……あれだけ大勢の学のある人たちが、みなそれぞれの才智をしぼっているのだから、鼻のことももっと解けて来るとよいんだが。――なに、鼻が溶けたりするんですか? 叔父トウビーが申しました。――
 ――父は椅子をうしろに押しやりました――立ち上りました――帽子をかぶり――大股に四歩、ドアのところまで行き――ドアを勢いよく開いて――頭を半分、外へつき出しました――それからまたドアをしめ――蝶番の工合の悪いのなどには目もくれず――テーブルのところにもどり――スラウケンベルギウスの本から母の糸包みの紙を引き抜きました――いそいで書き物卓[づくえ]に近より――今度は糸を包んだ紙を親指にクルクルまきつけながら、ゆっくりともとにもどりました――チョッキのボタンをはずし――糸の紙を火に投げこみ――母の繻子[しゅす]の針さしを歯でかみ切り、口じゅうをもみがらだらけにし、そこで悪態を一つつきました――

(上巻 pp.373-5[原著の第3巻第41章])[本文に戻る]



日に焦けたる労動の娘は群中より出でゝ余を迎へたり

 私が連中のほうに歩み寄って行くと、野良仕事に日焼けした娘が一人、一群の中から立ち上りました。ほとんど黒といってもよい濃い栗色の髪が、きつくゆわえられて、ほとんど一束のようになってたれていました。
 男の踊り手が足りないのです、娘はそういうとこの手をとれといわんばかりに両の手をさしのばしました――うん、踊り手に加わって上げよう、私も言ってその手を両方ともしっかりと握りました。
 ああ、ナネット、あの時のおまえが公爵夫人のような装いをしていたらなあ!
 ――でも残念なことに、あのおまえのペチコートの隙間がねえ!
 ナネットはそんなことにはとんと無頓着でした。
 あなたにおいでいただけなかったらはじめるわけに行きませんでしたわ、娘はこういうと、だれに教わったのでもない自然のしとやかさで片手をふりほどき、もう一つの手で私を引っぱってゆきました。
 脚の悪い若者が一人、その代償にアポロ神から笛の才を授かっているらしく、さらには本人が自発的に小太鼓まで加えて、堤に腰をおろすと、踊りの前奏曲を浮き立つように奏でます――この垂れている髪をいそいでゆわえちゃって頂戴、ナネットは言って、短い紐を私の手にわたしました――それに勇気づけられて私は、自分が異国人であることを忘れました――たばねてあった髪が全部パラリと落ちます――あとはもう、七年も前からの知り合いのようでした。
 若者は小太鼓で曲をかなで――さらにその笛がつづいて、われわれも勢いよく踊りはじめました――「ペティコートの隙間などどうでもなるがよい!」
 若者の妹が、天上から盗んで来たような美しい声で、兄とかわるがわる歌います――ガスコンの村踊り唄でした。
   よろこびは とこしえに!
   かなしみは 七里けっぱい!
娘たちが声をそろえてこれに和し、若い衆らも一オクターヴ低く声を合わせます――
 私は、あそこさえ綴[と]じつけてもらえるのなら一クラウンくらい出してもよいのにと思いました――ナネットはそんなことにはまったくの無頓着です――「よろこびはとこしえに!」娘の唇が歌いました――「よろこびはとこしえに!」娘の眼も言っていました。つかの間の友情の火花が、虚空を切って二人の間に飛びかいました――ナネットは好意にみちた顔をしています!――なぜこのおれも、このままここに住んでここで生を終えてはいけないのだろう? ああ、われらのよろこびも悲しみも公平に配分される天の神よ、私はさけびました、人間はなぜここに限りない満足のうちに腰をおちつけてはいけないのでしょうか?――踊り、歌い、祈りを上げ、そして天に上る時までもこの胡桃のような褐色の肌をした娘といっしょにということがなぜゆるされないのでしょう? 気まぐれのように娘は首を片方にまげて、そそのかすように踊り寄って来ました――

(下巻 pp.106-8[原著の第7巻第43章])

[「七里けっぱい」(七里結界)とは、何かをひどく嫌って近くに寄せつけないこと。][本文に戻る]



床上に臥したる吾父は、

 ――この点については、奥さま、私はあなたと議論をする気はありません――そうときまっているのですし――私は百パーセント確信しているのです。つまり、「男女のいずれを問わず、苦痛や悲しみにたえるには(その点、私の知るかぎり、快楽の場合も同じだと思いますが)、水平の姿勢が最適だ」ということです。
 私の父は階上の自分の室に入るやいなや、これ以上は想像もできないほどの取り乱した姿で、ベッドにパッタリとうつぶせに身を投げ出しました。しかしそれと同時に父の姿は、古来憐憫の眼によって一掬の涙をそそがれた中でもこれ以上は考えられないほどのいたましい、悲しみにうちひしがれたものでもありました。――父が最初にベッドに崩れるように身を横たえた時、父の右手の掌はその額をささえて、両の眼の大部分をおおっていましたが、次第に少しずつ頭とともに下[さが]って行って(肱がだんだん弱って腹のほうに寄って行ったのです)、とうとう鼻が敷蒲団についてしまいました。――左の腕はダラリとベッドの外にたれて、指の関節のあたりが、ベッドの垂れ布の下からのぞいているしびんの柄[え]のところにさわろうとしていました――右の脚も(左脚は胴体のほうに引き寄せてありました)、なかばベッドの外にはみ出して、ベッドのへりがその脛骨を圧迫していましたが――本人はそれを感じませんでした。顔のしわの一つ一つにも、深い動かしようのない悲嘆が刻みこまれており――父は溜息を一度つき――胸を何度か大きくふくらませましたが――言葉は一言も発しません。

(上巻 pp.339-40[原著の第3巻第29章])[本文に戻る]


福沢諭吉『童蒙をしへ草』(1872[明治5])巻の三 第十五章「怒の心を程能くし物事に堪忍し人の罪を免す事」のうち「『つび』と蠅との事」

  (ト)ツビと蠅との事

 ツビといふ人は、ものを害することを好まず。さりとて勇気なきにあらず。又心の鈍くして物事に頓着なきにもあらず。時ありては勇気を振ふて事を為し、少しも他に後るゝことなし。其性質温和にして騒がしからず、過ぎたるもなく及ばざるもなく、一様に深切なる徳を備へり。其ものを害せざるに至りては、一疋の蠅にても妄にこれを苦しめて怨を報るの心あらず。或日食事の時、一疋の蠅とび来りて、鼻のさきにとまり、目の前に飛び、食事の間、其煩はしきに堪へず。色々として漸くこれを捕へ、立上りて云く、「余、汝を害することなし」とて、其蠅をにぎりながら窓の方へ行き、又云く、「余は汝の毛一筋をも害することなし」とて、窓を明け手ににぎりし蠅をにがして、又云く、「憐むべき奴かな。何処へなりとも行くべし。この世界は広くして余と汝を容るゝに余りあり。いかで汝を害すべきや」と。

(慶應義塾編『福沢諭吉全集 第3巻』再版[岩波書店、1969年]245ページ。ただし漢字を新字体に改めた。)

 日本にローレンス・スターンと『トリストラム・シャンディ』を本格的に紹介したのは、夏目漱石(金之助)の評論『トリストラム、シヤンデー』(1897)が最初ですが、それより25年前、『トリストラム・シャンディ』第2巻第12章に登場する「叔父トウビーと蠅」のエピソードだけは、福沢諭吉(1834-1901)がチェンバーズ兄弟(William and Robert Chambers)の教訓的童話集 The Moral Class-Book を翻訳した『童蒙をしへ草』(1872[明治5])の中でこのように紹介されていました。
 なお、国立国会図書館近代デジタルライブラリーのサイトでは、国会図書館所蔵の『童蒙をしへ草』から、上の文章が載った箇所のJPEG画像[1枚目][2枚目]を見ることができます。[本文「『トビー』一日、食卓に着き」に戻る][夏目漱石『トリストラム、シヤンデー』の先頭に戻る]



夏目漱石『トリストラム、シヤンデー』

初出:『江湖文学』(江湖文学社)第4号
   1897(明治30)年3月5日発行
底本:夏目金之助『漱石全集 第十三巻』岩波書店
   1995(平成7)年2月22日初版第1刷
電子テキスト入力・注釈作成:内田勝[岐阜大学地域科学部教員](masaru@gifu-u.ac.jp
テキスト公開:2002年12月4日
注釈版公開:2003年1月8日
注釈版最終更新日:2015年3月25日(スマートフォンでの閲覧に対応)
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